第30話 令和三十年七月二十三日(木) 東京⑤

文字数 849文字

無人タクシーの車内の後部座席に、曽呂利新左衛門と三玉斎が並んで座っている。操作座席には新左衛門の弟子がいる。
ベストセラーとなった「新時代のマナー」では進行方向左側が無人タクシー時代の上座であると書かれているが、進行方向右側に目上が座ることは何年も変わらない。

「悪いなぁ。三玉斎に言うてもろて来たのに、仕事とってしもて。」
「ええに決まってるやないですか。けど、なんか変な感じしましたね。」
「なにが?」
「いや、長講一席ずつっちゅうのが気にかかってて。」
「オモロい趣向やな。俺の苦手分野や。」
「兄さんに苦手分野なんかないでしょ。」
「いやぁ苦手やわ。長いの。ホンマはな、モタレで、10分か15分軽い噺してお客さん納得させるような渋い落語家になりたかったんやけどな。立場上トリとることも増えて、長い噺もやるけど、あんまし得意やないなぁ。」
「確かに、兄さんの軽い噺、僕もものすご好きですわ。」
「寄席やったらな、独演会と違ごて、ポジションに合うネタチョイスできるかどうかも腕やからな。一席ってなったら、あの慈水さんやったら俺食われてまうかもやな。」
「そんなことはないでしょう。」
「大いにある話や。向こうは、いっきょいあるしな。」
「けどなんでそんな楽しそうなんですか?」
「え?」
「めっちゃ楽しそうですよ。」
「俺も、年とったなぁ思て。」
「兄さん、まだまだ若いですよ。」
「どっちか言うたらな、俺もずーっと挑戦者側の立場で自由にできたんや。今回のでやっと先輩方と同じ景色見られるなぁと思て。」
「同じ景色ですか?」
「売り出し中の頃はな、ホンマ色々二人会さしてもろたからな。格上とやんのは楽やねん。負けて元々やから。それでも中々勝たれへんわけや。向こうも意外と必死やから。」
「そういうもんですか?」
「ほんで、俺も言うてみたいなぁ思てた言葉があってな。」
「なんですか。」
「「まだまだ若いモンには負けへんで」や。年寄りの台詞やな。渋いやろ。」

無人タクシーが東京駅に着く。

「ほな、二ヶ月後。三玉斎も空いてたら、楽屋遊びに来てな。」
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