第38話 令和三十年九月二十七日(日)東京⑧

文字数 1,379文字

客席は、曽呂利新左衛門の語る「どうしようもない若旦那」に魅了させている。
自分の芸者遊びのせいで気を病み、病気になってしまった妻を見舞いにいくことすらしないどうしようもない男にも関わらず、女中、丁稚に至るまで人気があるのが、分かる。
遊び人であるが故の気遣いが、所々に見える。
妻からすると溜まったものではないが、仮に自分が、店の人間だったとしたら、このどうしようもない若旦那の事を嫌いにはなれない。
客席は慈水を追いかける女性ファンもたくさんいるが、皆、店の人間に共感し、病気で寝込んでいる妻のことを忘れている。
堅いことばかり言う親旦那がおらず、店を早く閉めて、芸者「菊江」をあげて、使用人の好きな料理まで注文をとってくれる若旦那がつくった、束の間のハレの日を楽しんでいる。

このハレの日のピーク、それぞれの好物が並び、酒をあおり、菊江に三味線を弾かせ、店のもので太鼓を鳴らす。
ハメモノの太鼓は舞台袖で三玉斎が打つ。鳴り物担当の前座には当り鉦を打つように指導し、三味線のお囃子さんの陽気な演奏に合わせる。

客席は舞台袖から聞こえる、三味線・太鼓に「ハレの日」を感じて、まさに祭りの最高潮である。

と、そこへ、場違いな登場人物が現れる。親旦那だ。
お経を唱えて、悲しみながらトボトボと歩いている。

「お花、死んでしもた。こんな悲しいことはない。それに比べてどこかでおめでたいことがあったと見えて、陽気に散財してる家がある。」

二回に分けて客席の蓋が抜けたように「ドーン」とウケる。
一度目は「お花死んでしもた」というところで、二度目は「陽気に散財してる家がある」という箇所だ。

突然の「ハレの日」を楽しんでいる店の連中は、親旦那が近づいていることを知らない。それも「お花が死んだ」という最悪の状況で。
その状況を俯瞰で見られるのは、観客の特権で、これから激怒されることを知らずにお祭り騒ぎをしている店の人間の滑稽味を感じている。

「若旦那!親旦さん帰ってきはりました。」
「親父帰ってきたぁ!?」

若旦那の慌てぶりに、再び観客がドッと沸く。それも若旦那は、お花が亡くなったことを知らない。この状況はただ単純に親旦那が帰ってきただけでは済まない状況であることは、店の人間は皆、知らない。観客だけが知っている。

散財のあとを隠そうと、皆バタバタと片付けるが、それも皆親旦那に指摘される。
大きな仏壇入れに芸者「菊江」を隠す。

菊江が見つかってはまた大変である。夫の芸者遊びがきっかけで病んでしまった妻が死んだ日に、芸者を呼んで散財していたのだ。

店のもの一同、せめて菊江が見つからなければいいなと願う。若旦那は気が気でない。

「お仏壇の引き出しの親鸞様のお姿あれを頂かしてやらなならん。」
「おとッつぁん、どちらへ」
「お仏壇じゃ」

仏壇入れに菊江がいることは、親旦那は知らない。店のもの一同と客席は知っている。

仏壇入れを開ける。
普段着姿、白の帷子を纏った菊江が立っている。親旦那が店の連中を叱りつけている様子や、お花が亡くなったことも仏壇入れの中、一人で聞いていただろう。恥ずかしくて仕方がない。

白の帷子姿の女性の立ち姿に驚いた親旦那が
「お花、迷うて出たか無理もない」

お花の幽霊と勘違いする。

「堪忍しておくれ。成仏しておくれ。どーぞ消えておくれ。」
「私も、消えとおます。」

オチの爽快感に客席の緊張が解かれる。
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