第31章・求婚者

文字数 7,424文字

 エリスの求婚者は、結局四人が集まった。北の涯の島と海鷲の島からは、求婚者は現れなかった。
 だが、その事にロルフは納得もしていた。
 北の涯の島の者達は風変りだ。異教だとの話もある。今までにその島に輿入れしたという話は聞かなかった。嫁に来たという話もだ。第一、あの島では族長家の女性が姿を見せることさえも珍しい。最初から、考えにない島だった。
 海鷲の島は、独特の流儀を持っている。戦士達は、伴っている鷲の好悪を自分の感情よりも優先すると聞いた。エリスは、鷲の好みではなかったのだろう。
 だが、他の島からは求婚者が現れた。族長家の者もいれば、戦士長の息子もいる。一つの島から一人ずつ。充分だった。それ以上のものは望めない。族長の後継者がいないのは巡り合わせで仕方のない事だが、次男、三男であったとしても、白鷹ロルフの娘の婿として相応しい者を選べば良いのだ。戦士として一流である事、その他は些細な事だ。恐らく、その些細な事で決める事になろう。
 一人ひとりと、顔を合わせる時が来た。
 いよいよ、エリスの結婚相手を決めなくてはならない。
 十七年は長いようで短かった、とロルフは思った。子供はあっという間に育ってしまう。最早、子供達の全てがエリタスの年齢を越えてしまった。生きていればエリタスとヴェリフ、共に正戦士となり、今頃は嫁取りの話になっていたはずだ。いや、もう、結婚して子がいてもおかしくはない年齢だろう。現に、ロルフ自身は十八でエリタスを得た。その時の事は忘れられない。
 エリスも、いずれは母親となる。あの娘ならば、夫が若くで死ぬような事があっても、強く生きてゆくだろう。毅然として、前だけを見つめる娘だ。求婚の理由がどうあれ、そのような女を、北海の男が愛さぬはずがなかった。愛されたのであれば、エリスは幸せになれるだろう。その事を、ロルフは信じて疑わなかった。

    ※    ※    ※

 一人目の求婚者がやって来た時、エリスは父に言いつけられて中庭で刺繍をしていた。常にそこで手仕事をしている母の姿はなく、オルトだけが静かに糸を紡いでいた。お母さまは、と訊ねたエリスに対してオルトは、お父上のご命令で今日は部屋におられます、と答えた。そこに何かしらの意図を感じたが、深く追及はしなかった。母にとり、父からの言葉は絶対だった。何故(なにゆえ)に、母がいつでも言いなりなのかが分からなかった。普段から物静かで言葉少ない人であるので、それが妻としての当然の姿であると思っているのかもしれない。オルトからすれば、母のような態度が、女としてのあるべき姿なのだろう。だが、自分は無理だとエリスは思った。
 その男は、見た目はそこそこに良い顔をしていたが、戦士の持っている力強さは感じられなかった。礼儀正しく名乗った後は、静かにエリスの言葉を待っていた。大人しい人なのかと思ったが、和平の紐が掛けられた長剣の鞘は使い込まれているようだった。実際には戦士として優秀なのだろう。それでなければ、父がエリスの求婚者として許すとは思えなかった。
 父が、求婚者と自分とを会わせる、と決めたのだと思うと、少し、心は慰められた。何も知らないままに決められるのでないのだ。僅かでも、自分の意見にも耳を傾けてくれるのだろうかと、期待せずにはいられなかった。
 オルトがその男――名前を憶えそびれた――と、二言三言交わした。悪い人ではないようだ。
 エリスが何も言わないでいても、その男は平気なようだった。大人しい女と思うなら思え、とエリスは刺繍に目を落とした。余り、良い出来ではない。これも、嫁入りの為のものなのだ。そう思うと、無性に腹が立った。どうして、女が選んではならないのか。納得がいかなかった。目の前にいる男が悪いのではないという事は分かっている。この男とて、周りに勧められて来たのかもしれないのだ。それならば、さっさと帰って欲しかった。
「――殿が、お訊ねですよ」
 オルトの言葉にはっとした。目を上げると、男が笑っていた。
「いや、大した事ではありません。手仕事に熱心なのは、感心な事です」
「何でしょうか」
 エリスは、余り不愛想にならないようにと注意しながら訊ねた。
「先程からそこで覗いているのは、貴女の弟君でしょうか」
 男の指さす方向を振り返ると、ハラルドが逃げるのが見えた。族長集会が終わって間もないというのに訪れた客人に、好奇心をそそられたのだろう。思わず叱りそうになったのを抑え、エリスは言った。
「ハラルド、末の弟です。来年には、見習い戦士になります」
「それは、頼もしい」男は言った。「ロルフ殿は、お子に恵まれていらっしゃる」
 自分に、母と同じ多産を見ているのだろうか、とエリスは訝しんだ。男は、子の多いのを喜ぶものだとオルトも言っていた。しかも、男子を、である。男兄弟の多いエリスであるならば、と男達は見ているのであろうか。嫌な気分だった。
「アスヴァルド殿」大きな声がした。「次は、私の番ですぞ」
 見ると、柄の大きな赤毛の男が立っていた。
「ケネヴ殿」男は失望を露わにした。「貴方でしたか。白鷹殿もお人が悪い。貴方がいらっしゃるとは、一言も仰言らなかった」
「私もあなたがいらっしゃる事を知りませんでしたよ」
 赤毛の男は笑ったが、その声の大きさに、エリスはすぐに嫌だ、と思った。部族にも声の大きな男は多いが、余り好きではなかった。
「では、これにて」
 アスヴァルド、という男はエリスとオルトに一礼して去った。すれ違う際に、赤毛の男に会釈をしていった。
(それがし)は族長、強者(つわもの)ハルドールの四男でケネヴと申します」赤毛の男は言った。その声も人よりも大きかった。「エリス殿にお目通りを許されました」
 エリスは耳を塞ぎたいのを我慢して微笑んだ。ケネヴの顔がさっと紅潮した。それなりに男らしい顔ではあったが、地声が大きすぎると思った。
「ま、間近でお目にかかりますと、実にお美しい」
 こういう男にありがちな、口下手な類らしい。それは、構わない。だが、慣れぬ口でお世辞を言われると気持ちが悪い。どうも、この男には良い印象は持てなかった。それが声だけのことであったとしても、生涯を共にすると思えば、大事な問題だ。
「あなたも、集会にいらっしゃったのですか」
「四男であれば、末席の方でありましたので、お気付きにはならなかったと思いますが」
 照れたようにケネヴは言った。性格は良さそうだった。皆が意匠を凝らせる長剣の鞘も装飾ひとつなく、無粋で生真面目なのかもしれない。
 エリスは行儀よく微笑んでみせた。
「ど、どうぞ、お仕事を続けて下さい。お邪魔は致しません」
 ケネヴは困ったような顔になり、言った。このような場には慣れてはいないのであろう。それとも、見かけよりは大人しいのか。自分の方からも、続ける話題がなかったので、その言葉は有難かった。
 刺繍に向かったエリスをよそに、オルトがエリスの行儀のなっていない事を詫びた。女から話しかけてはいけなかったようだ。だが、ケネヴは気にした様子はなかった。その目が、自分に注がれたままであるのにエリスは気付いた。
「交代して頂けますかな」
 また来た、とエリスは思った。もう二人でうんざりだった。声のほうに目をやると、どことはなしに尊大さを感じさせる、中々に顔の良い若い男が立っていた。
「これは、これはソルハル殿」ケネヴの声には、嫌な奴が来た、という調子があった。「貴方もいらっしゃいましたか」
「良い縁談の相手を探しているのは、貴方ばかりではありませんよ」
 ケネヴはあからさまに嫌な顔をした。この二人は、余り仲が良くないのだろう。ケネヴの態度は、先ほどのアスヴァルドに対するものとは違っていた。唯論、先程は邪魔する方であったが、今度は邪魔される側だ。それで態度が異なるのも当然だろうが、アスヴァルドはケネヴが邪魔をしても、それが態度や表情に現れることはなかった。
「では、(それがし)はこれにて失礼を致します」
 ケネヴはエリスに丁寧に頭を下げた。それなりに礼を尽くしているのは確かだった。もし、地声が大きくなければ、この男も自分の中で選択肢になったであろうとエリスは思った。
「族長、熊髭エイヨルフの次男ソルハルと申します」
 慇懃に男は言った。その笑顔を見た途端に、エリスは、この男は嫌だ、と思った。自分が男前だと知っている顔だった。自分に落とせぬ女はいぬよ、と自信のある顔だった。
 エリスは、微笑み返さなかった。黙って頷き、再び刺繍に目を落とした。オルトがソルハルに話しかけた。それに対しても礼儀正しく答えてはいるが、エリスは何も聞いてはいなかった。男の目が、自分を遠慮会釈なく眺めるのを我慢しなくてはならなかった。まるで値踏みをされているようだった。
 この男が族長の後継者でなくて良かった、とエリスは思った。何があってもこの男は嫌だ、と言えば、父とても無碍にはできぬであろう。それでも、族長の後継者であれば、断るのは難しいかもしれない。長男と次男とでは、それ程に違う。
 次男は長男の代替品だと言う者がいる事も、エリスは知っていた。しかし、父はロロと下の弟達との間に区別はつけなかった。正戦士となれば、また違ってくるのかもしれなかったが、今のところ、四人に対する父の態度に変化はない。
 自分も男に産まれれば良かった、とエリスは思った。そうすれば、このように男達から珍しい生き物のように見られなくても済んだものを。選ぶ事もできず、選ばれるがままにならずに済むものを。恐らく、ロロは別として他の弟達は自分の意思で相手を選ぶことができるだろう。ロロは長子であれば、見知らぬ娘に求婚して来いと父が言うかもしれなかったが、それでも、今の状況よりは余程ましだ。
 糸を強く引きすぎて、少しひきつれができた。気にしない事にした。それよりも、男に早く去って欲しかった。
 男はオルトに話しかけられるがままに答えていた。
 長い。他の二人よりも、話が長い。求婚者はこの男で最後なのであろうか。
 上目遣いでこっそりと男の様子を窺った。すると、目の隅に別の男が入った。物陰から、腕を組んでじっとソルハルを見ているようであった。伴って来た使者の一人であろうか。それにしては若かった。推薦者の意味合いもあるので、大抵は随伴の使者には年長の者を選ぶと聞いた。男は、ソルハルと同じくらいの年齢だ。それに、その目は冷たかった。
 どうでも良いわ。
 エリスは再び針を進めた。オルトがソルハルに話しかけている間は、大丈夫だった。刺繍に集中していると思われた方が面倒がなくて良い。既に文様は崩れてきていたが、男がそのような事に興味を持つとも思えなかった。
 どのくらいの時間が経ったのか、ヴァドルの声がした。
「失礼します、ソルハル殿。族長がエリス様をお呼びですので」
 さっと、エリスは顔を上げた。助かった、と思った。
 ソルハルはヴァドルに対して丁寧に応え、エリスに向かって会釈をした。それに笑みを返すのは癪であったが、そこは巧く(こら)えた。ヴァドルはしかつめらしく頷いた。ソルハルが去ると、ヴァドルはエリスに向かっていつもの笑みを浮かべた。
「お父さまをお待たせしてはいけないわね」
 そう言ってエリスが立ち上がると、ヴァドルの笑みはますます大きくなった。
「随分と、ソルハル殿を嫌っておいでのようですな」
「そんなこと――」
 エリスが否定しようとするのを、ヴァドルは片手を上げて押し(とど)めた。
「私に嘘を仰言っても、ばれますぞ。それに、族長がお呼びだというのは、嘘です」
「どうして、そんな嘘を」
 呼ばれた、と聞いた時には、父が自分の意見を入れてくれるのではないかと思ったが、そうではないようだった。
「貴女がお困りではないかと思いまして。案の定、あしらいには難儀していらっしゃったようですし」
「そう思うのなら、どうして早く来てはくれなかったの」
 エリスは拗ねた。いつになく、ヴァドルは人が悪い。
「もうお一人が、お声を掛けられないので様子を窺っておりました」
 もう一人。まだいたのか。
 あの男か、とエリスは思った。ソルハルを見ていた、あの男。
「貴女にお声を掛けられないのですか、とお訊ねしたのですが、良い、と仰言いました」ヴァドルは首を振った。「おかしな方です」
「誰なの」
 好奇心が疼いた。
「緑目ベルグソン殿の島の戦士長であるヴェステイン殿の長子サムル殿です」
 聞いたことのない名前だった。それは、他の求婚者達とて同じであった。例え、一流の戦士であろうとも、自分達、女の耳に入るのはほんの一部でしかない。詩人が新しい詩や話を交易島で仕入れて来るにしても、それは男達の為にであって、女に対して語る物語はないようだった。
 そのような時に思い出されるのが、かつてこの島にいた詩人の事だった。幼い頃であったので、その面影はぼんやりとしていたが、子供にも多くの詩を教えてくれた。
「そのサムル殿が、珍しい人を連れていらっしゃったのですよ」
 ヴァドルが後ろに向かって手招きした。
 現れたのは、穏やかな顔をした男だった。どこかで、会った事があるのだろうかと、記憶を探った。
 穏やかな笑顔と声とに、憶えがあった
「ウーリック」
 エリスは声を上げ、男の許に走り寄った。「ウーリック、なのね」
「お久しぶりです、エリス様」
 詩人は礼儀正しくお辞儀をした。そういう所も、変わってはいなかった。丁度、詩人の事を思い出したところであったので、この詩人は巡り合わせには、何か意味があるのだろうかと思った。
 詩人は見聞を広げる機会を逃さぬとは言うが、なぜ、族長集会ではなくて今なのだろうか。その事も、エリスの心に引っかかった。
「随分と大きくなられました。もう、ご結婚のお歳になられたのですね」
「そのことは言わないで」
「スール様の事をお聞き致しました。実に、残念です」
 小さな弟の事を思うと、胸が痛んだ。あの冬は、酷かった。
「もう、ずいぶんと前のことだわ」
 声が小さくなったエリスに、詩人は一礼した。島を去る時には産まれて間もなかった弟の事を思い出して、悼んでくれているのだ。
「お父さまには、お会いになったの」
「はい、先程」詩人は言った。「お変わりのないようで」
「この島に、戻って来たの」
「いいえ」
 ウーリックの答えは簡潔だった。こういう時に言葉を濁したりしないので、エリスはこの詩人が好きだった。
「貴女の求婚者の使者のお一人として、来られたのですよ」
 ヴァドルが言った。
「いずれはお耳に入る事でしょうですから、正直に申し上げます。(わたくし)は、サムル殿の随伴の一人です」
 裏切られたような気分だった。この島に戻って来なくても、それは仕方のない事だ。だが、この詩人が、自分の求婚者を推薦する立場で現れるとは思ってもみなかった。エリスは唇を噛んで俯いた。
「貴女に偽りは申しません。また、私はサムル殿を貴女に推薦する事も致しません」詩人は静かに言った。「私は、唯、貴女と奥方様にご挨拶を、と思ったのみです」
「お母さまは、今日はここへはいらっしゃらないわ」
「それは、残念です。どうか、スール様のお悔やみと私からのご挨拶を申し上げて頂けますか」
「ええ」
 エリスは答えた。例え、詩人がサムルの事を自分に推挙しようがしまいが、父がこの男の人柄を知っている事の方が大きかった。この詩人の言葉ならば、自分がそうであるように、父も信用できると思うだろう。
「五日の内に、族長が貴女のご結婚の相手をお決めになるでしょう」
 ヴァドルが言った。エリスは眩暈がしそうだった。たったの五日で自分のこれからが決められてしまう。衣をぐっと握り締めて、エリスは動揺が顔に出ないように(こら)えた。それでも、産まれた時から自分を知っているヴァドルの目は誤魔化せないだろう、と思った。
「族長は、必ずや、貴女に最適なお相手を選ばれましょう」詩人の声は飽くまでも穏やかであったが、同情するような響きも感ぜられた。「私は、使命を果たすまでの事です」
「求婚者の皆様方とは、明日もお会いになれましょう」慰めるような調子のヴァドルの言葉も意味を持たなかった。「今日はお目通りにならなかったサムル殿とも、その時には正式にお会いできようかと思います」
 会おうが会うまいが、全ては父の胸の内にある。今日の対面は、恐らく、男達による自分の品定めであったのだろう。自分が求婚されるに足る女であるのか、それを見る為の時間であったのだ。
「私が貴女の幸福を祈っております事は、どうぞ、お忘れにはならないで下さい」詩人は一礼をした。「この島で貴女方ご姉弟(きょうだい)と過ごしました年月は、私にとっても幸せな時間でありました」
「あなたは、緑目殿の許に留まるのですか」
「私は――」詩人は僅かに言い淀んだ。「私は、貴女とサムル殿とのご婚約が成立致しましたのならば、ご結婚なさるまでは緑目殿の島におりましょう」
「成立しなかったら」
「その時には、この夏に交易島に渡り、故郷へ帰る事となりましょう」
「あなたの故郷は、どこなの」
 この詩人については何も知らない事にエリスは気付いた。詩人は個人的な事を話さなかったし、幼い自分はそのような事には興味がなかった。
「私の故郷は、北の涯の島であります。帰りましたら、二度と漂泊する事はありますまい」
 北の涯の島の事は殆ど知らなかった。他の島以上に、そこはエリスにとっては遠い場所だった。詩人が帰島しまえば、二度と会う事はあるまい。エリスがどこへ嫁ごうとも、集会は女には閉じられている。
「残念だわ。貴方の詩は、今でも時々思い出すほどに、印象深かったもの」
「そう言って頂けるのが、詩人としての最高の栄誉でございます」
「宴会では歌うのかしら」
「そのつもりでおりますが」
 困ったように詩人は答えた。それに、ヴァドルが助け舟を出した。
「エリス様、貴女は今回の集まりには、ご臨席しては頂けません」
「どうして」エリスは愕いた。「お母さまはお出でにならないでしょうに」
「貴女は当事者でありますれば、族長はお許しにはなりますまい」
「そういうものなの」
 エリスは詩人に訊ねた。放浪を旨とする詩人であれば、そういう事情には通じているだろう。
「慣例では、そうでございます」
 年長の者達は、いつも慣例だと言う。
「貴女も、見世物のようになりたくはありますまい」
 ヴァドルの言葉は決定的だった。
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