第26章・産屋
文字数 4,214文字
翌日の夕刻になっても、子は産まれなかった。
昨日はあれ程に陽気であった男達も、居心地が悪そうだった。
「不吉な――」
そんな言葉も囁かれていたが、ヴァドルが咳払いでそれを制しているのがロルフには分かった。
これでは、子が無事に産まれても女はそうではないかもしれない。
ロルフはそう思い、腰の小物入れに忍ばせてある眠り薬を強く意識した。冬の間、多くの生命が失われた。ようやくそこから立ち直ろうとしている部族にとり、新たに族長家に産まれる生命は象徴であった。そして、その母親も。
産褥で女が生命を落とすのは、それほど珍しい事ではない。だが、これまでずっと、族長の妻は安産であると知られていた。それが今回に限って無事でなかったとなれば、部族に再び暗雲が広がる可能性があった。族長家は、部族の繁栄の証でもあるのだ。
安産であったのなら、ロルフは薬を使う事を躊躇わなかったであろう。数日で良いから生きればいい。
しかし、今回は違うようであった。
ヴァドルが自分を見ている事にロルフは気付いた。その目は気遣わしげな色を宿している。この長引いている出産を、ヴァドル自身も不吉なものとして捉えているのであろう。
子供達も沈黙を守っているが、不吉な思いを抱いているのは間違いはない。何しろ、妊娠期間中はずっと、具合が悪いと聞かされて続けた母親なのだ。
苛立ちがつのり、ロルフは立ち上がった。何人かがびくりとしたように肩を震わせるのが見えた。ロルフは、その癇癪で未だに恐れられているのだ。長らくそれを部族の者に向ける事はなかった。だが、ロルフがあの女をどのように扱ったかが知られているのかもしれない。ヴァドルやオルトが他言するとは思わなかったが、使用人や奴隷の口から漏れたのかもしれない。口止めはしなかったのだから。
ヴァドルは何か言いたげにしていたが、ロルフは無言で大広間を出た。向かうのは、今は産屋となっている族長室だ。暖炉の側で長椅子に横になるのは苦にはならなかったが、酒宴での、皆の落ち着かぬ様子には我慢出来そうになかった。
族長室の前では、オルトが奴隷に何事かを指示していた。
「ロルフさま」
その姿を見ると、オルトは頭を下げた。
「まだ、産まれぬのか」
「療法師が手を尽くしておりますが、何分、陣痛が弱い上に逆子でございますので…」
逆子がどういうものであるのかをロルフは知らなかったし、今知るつもりもなかった。
「それに、奥方さまの体力も――」
ロルフは大きな溜息をついた。何処までもあの女は煩わしい。
外衣を翻してロルフが大広間に戻ろうとした時、オルトが小さな声で言った。
「最悪、どちらのお命も――」
ぎょっとしてロルフは肩越しに振り返った。オルトが蒼い顔をして佇んでいた。
「どうか、お覚悟を」
それだけを言うと、オルトは族長室に入っていった。
族長室からは何の音も聞こえてはこなかった。余りにも静かすぎた。うめき声すらも漏れてはこない。
厄介な事だった。
母子共に生命が失われるとなれば、非常に厄介であった。ようやく立ち直ろうとしている部族にとり、これ程の凶兆はないであろう。
普段はあれ程に丈夫な女であるのに、どうしてこのような時に限って、こう厄介な事になるのか。忌々しい女であった。
ロルフが高座に戻ると、エリスやヴァドルが物言いたげ目で見てきたが、それを無視した。
いずれは、選ばなくてはならないだろう。
だが、ロルフは未だ産まれぬ子には情を持てなかった。唯論、産まれれば我が子として愛情を注ぐであろう。今回の子は、生かす事に決まっているのだから。
だが、あの女は。
スールの死の代償を払わなくてはならない。
うとうととしていたロルフが女療法師の声で目を醒したのは、夜更けだった。さすがのエリスも眠気には勝てず、早々に他の子供達と共にさがった。ヴァドルは卓子に突っ伏し、数人の酔い潰れた者がいぎたなく長椅子に横たわっていた。
「族長」女療法師は言った。「族長、大事なお話がございます」
その声はひそめられていたが、ロルフは誰も聞いている気遣いはないだろうと思った。奴隷も、ロルフが眠ったものとして下がっているだろう。ロルフは椅子の中で姿勢を正した。
「申せ」
ロルフは言った。中年の女療法師は頭を下げ、その青い眼をロルフに向けた。
「お子は未だに産まれません。奥方さまの体力も限界に近づいております。ご決断をいただかなくてはなりません」
その時が、来たのだ。
「両方が助かる道はないのか」
その言葉に、療法師は頭を振った。そして、苦しそうに言った。
「手はつくしております。ですが、いよいよとなった時には、族長のご決断が必要でございます。ただ、今回、無事に助かったとしても、奥方さまにはもう、お子は望めないかと」
ロルフが妻を何とも思ってはいないことを、部族の者は皆知っている。わざわざ訊くまでもない事だろうと思った。女を生かしておいたとしても、スールの生命の代償は新しい子でなくては贖えない。
ならば、そのような女を生かしておく手はない。だが、それでも、部族の為には数日でも生きていて貰わねば困る。凶兆であってはならない。
「無理をしましても、どちらも数刻と生きてはいらっしゃらないかと存じます」
まるでロルフの心を読み取ったかのように療法師は言った。
ロルフが族長室に足を踏み入れた時、中にいた女達は一切目もくれなかった。皆、寝台に横になっている女に気を取られているようだった。
女療法師がすぐさま、女の許へ行く。そしてオルトに何事かを囁き、ロルフを二人して振り返った。
「ロルフさま」
オルトが近付いて来た。「ここは男のいる所ではございません」
老いた顔は疲れ切っているようであったが、声はまだ、大丈夫なようだった。
「まわったわ」
女療法師が声を上げた。そしてロルフを見た。
「族長、恐れながらお力をお貸し下さい」
その顔は厳しかった。
「奥方さまは弱っておられますので、通常のお産(座産)は無理です。もうすぐ、お子が産まれます。どうか、お力添えを」
ロルフは寝台へ向かった。何をするのかも分からなかったが、女療法師の声には有無を言わせぬものがあった。
目を閉じた女は、死人のように白い顔をしていた。だが、額に浮かぶ汗と忙しない呼吸が、この女はまだ生きているのだと示していた。剥き出しになった立てた膝に、女がもう、この姿勢で長くいることを察した。
女療法師はロルフの手を取り、女の胸の下に導いた。
「わたくしが合図しましたら、押し出して下さい。加減をする必要はありません」
ロルフは言われるがままに両手を当てた。女の身体は思ったよりも熱くはなかった。むしろ、冷たく感じた。まるで、生命の炎が消えようとしているかのようだ。
「奥方さま、しっかりなさって下さい。もう、産道も充分に開いております。次で、終わりにいたしますので、どうか、今一度、お気をしっかりお持ち下さい」
女がうっすらと目を開けた。生気のない榛色の目が、ロルフを見た。
「死が、来たわ」
消え入るような声で、女が言った。ロルフは自分の考えが読まれたのかと思わずにはいられなかった。女は、ロルフを死と見た。
「なにをおっしゃいます。大丈夫ですわ。わたくしたちが、必ずお助けいたします」
女療法師が力付けるように言った。女は女の味方なのだとロルフは思った。この産屋では、ロルフの言葉など奴隷のものほども価値は持たないだろう。
ロルフは自分の手を見下ろした。弱々しい女の身体の動きとは別のものが蠢いているのが感じられた。それは、エリシフの膨らんだ腹部に手を当てた時の事を思い出させた。長く失っていた感覚だった。
「次に来ましたら、思い切り息んで下さい。それで終わりにいたしましょう」
「きたわ」
女が呻くように言った。
女は歯をくいしばって身体に力を入れた。女療法師がロルフに頷いた。
ロルフは言われた通りにぐっと体重をかけて女の腹を押した。
「もう一度」
女療法師の声に、ロルフは従った。
先程まで感じていた生命の気配が、するりと手から消えた。
「お産まれになりました」
女療法師が声を上げた。その手には赤紫色をした赤子があった。
「でも、泣かない――」
女が呟き、力尽きたように目を閉じた。
女療法師は赤子をうつ伏せにしてその背を叩いた。数度、それを繰り返すと、赤子は液体を吐き弱々しい泣き声が聞こえた。
「男の子ですわ」
オルトはそう言った。女療法師が鋏と糸を取り出し、赤子と女を繋げていた物を切った。
「まだ、後産 がございますから、しっかりなさって下さい」
女療法師は言った。
オルトが赤子をロルフの前に差し出した。
ロルフは我が子を受け取り、その顔を見た。生まれてすぐの赤子は初めてだった。大抵は、後産とやらが終わってから呼ばれた。
他の子供達が産まれた時よりも、小さい。
無事に育つのだろうかという思いが胸に生じたが、女達の間に動揺も憐れみもなかった。では、この子供は大丈夫なのだとロルフは思い直した。問題の無い範囲なのだろう。
手を脇に置いてあった水差しの水に浸し、赤子に振りかけた。
「ハラルドと名付く」
静かにロルフは言った。
後産があるからと言われ、ロルフは族長室を追い立てられるようにして出た。それが何であろうとも、男に見せる物ではないのだろう。
ロルフは大広間に戻った。そこは出て行った時のままであった。ロルフは酒杯を手にすると、数度、卓子に叩き付けた。
その音に、大広間に残っていた男達はすぐさま反応した。何事かと剣の柄に手をやる者さえいた。ヴァドルも目を見張っていた。
「今、男子が生まれた。杯を掲げよ」
男達の顔に笑みが浮かんだ。慌てて奴隷達が奥から出てきて杯を蜜酒で満たした。口々に男達が歓声をあげ、酒をあおる。
ヴァドルが静かに、ロルフに向かって杯を揚げた。ロルフはにこりともせずにそれに応えた。
これからの事を考えねばならなかった。
ハラルドは無事に生まれ、小さいながらも思ったよりも健康には問題が無いようだった。後は、あの女が何日か持ちこたえればそれで良い。だが、あの弱々しさは、どうだ。夜明けまでが峠であろうと思われた。
できれば数日は生かしておかなくてはならない。
しかし、生命は神々の領域だ。自分が望んだからと言って、どうなるものではないという事は痛い程に分かっていた。
昨日はあれ程に陽気であった男達も、居心地が悪そうだった。
「不吉な――」
そんな言葉も囁かれていたが、ヴァドルが咳払いでそれを制しているのがロルフには分かった。
これでは、子が無事に産まれても女はそうではないかもしれない。
ロルフはそう思い、腰の小物入れに忍ばせてある眠り薬を強く意識した。冬の間、多くの生命が失われた。ようやくそこから立ち直ろうとしている部族にとり、新たに族長家に産まれる生命は象徴であった。そして、その母親も。
産褥で女が生命を落とすのは、それほど珍しい事ではない。だが、これまでずっと、族長の妻は安産であると知られていた。それが今回に限って無事でなかったとなれば、部族に再び暗雲が広がる可能性があった。族長家は、部族の繁栄の証でもあるのだ。
安産であったのなら、ロルフは薬を使う事を躊躇わなかったであろう。数日で良いから生きればいい。
しかし、今回は違うようであった。
ヴァドルが自分を見ている事にロルフは気付いた。その目は気遣わしげな色を宿している。この長引いている出産を、ヴァドル自身も不吉なものとして捉えているのであろう。
子供達も沈黙を守っているが、不吉な思いを抱いているのは間違いはない。何しろ、妊娠期間中はずっと、具合が悪いと聞かされて続けた母親なのだ。
苛立ちがつのり、ロルフは立ち上がった。何人かがびくりとしたように肩を震わせるのが見えた。ロルフは、その癇癪で未だに恐れられているのだ。長らくそれを部族の者に向ける事はなかった。だが、ロルフがあの女をどのように扱ったかが知られているのかもしれない。ヴァドルやオルトが他言するとは思わなかったが、使用人や奴隷の口から漏れたのかもしれない。口止めはしなかったのだから。
ヴァドルは何か言いたげにしていたが、ロルフは無言で大広間を出た。向かうのは、今は産屋となっている族長室だ。暖炉の側で長椅子に横になるのは苦にはならなかったが、酒宴での、皆の落ち着かぬ様子には我慢出来そうになかった。
族長室の前では、オルトが奴隷に何事かを指示していた。
「ロルフさま」
その姿を見ると、オルトは頭を下げた。
「まだ、産まれぬのか」
「療法師が手を尽くしておりますが、何分、陣痛が弱い上に逆子でございますので…」
逆子がどういうものであるのかをロルフは知らなかったし、今知るつもりもなかった。
「それに、奥方さまの体力も――」
ロルフは大きな溜息をついた。何処までもあの女は煩わしい。
外衣を翻してロルフが大広間に戻ろうとした時、オルトが小さな声で言った。
「最悪、どちらのお命も――」
ぎょっとしてロルフは肩越しに振り返った。オルトが蒼い顔をして佇んでいた。
「どうか、お覚悟を」
それだけを言うと、オルトは族長室に入っていった。
族長室からは何の音も聞こえてはこなかった。余りにも静かすぎた。うめき声すらも漏れてはこない。
厄介な事だった。
母子共に生命が失われるとなれば、非常に厄介であった。ようやく立ち直ろうとしている部族にとり、これ程の凶兆はないであろう。
普段はあれ程に丈夫な女であるのに、どうしてこのような時に限って、こう厄介な事になるのか。忌々しい女であった。
ロルフが高座に戻ると、エリスやヴァドルが物言いたげ目で見てきたが、それを無視した。
いずれは、選ばなくてはならないだろう。
だが、ロルフは未だ産まれぬ子には情を持てなかった。唯論、産まれれば我が子として愛情を注ぐであろう。今回の子は、生かす事に決まっているのだから。
だが、あの女は。
スールの死の代償を払わなくてはならない。
うとうととしていたロルフが女療法師の声で目を醒したのは、夜更けだった。さすがのエリスも眠気には勝てず、早々に他の子供達と共にさがった。ヴァドルは卓子に突っ伏し、数人の酔い潰れた者がいぎたなく長椅子に横たわっていた。
「族長」女療法師は言った。「族長、大事なお話がございます」
その声はひそめられていたが、ロルフは誰も聞いている気遣いはないだろうと思った。奴隷も、ロルフが眠ったものとして下がっているだろう。ロルフは椅子の中で姿勢を正した。
「申せ」
ロルフは言った。中年の女療法師は頭を下げ、その青い眼をロルフに向けた。
「お子は未だに産まれません。奥方さまの体力も限界に近づいております。ご決断をいただかなくてはなりません」
その時が、来たのだ。
「両方が助かる道はないのか」
その言葉に、療法師は頭を振った。そして、苦しそうに言った。
「手はつくしております。ですが、いよいよとなった時には、族長のご決断が必要でございます。ただ、今回、無事に助かったとしても、奥方さまにはもう、お子は望めないかと」
ロルフが妻を何とも思ってはいないことを、部族の者は皆知っている。わざわざ訊くまでもない事だろうと思った。女を生かしておいたとしても、スールの生命の代償は新しい子でなくては贖えない。
ならば、そのような女を生かしておく手はない。だが、それでも、部族の為には数日でも生きていて貰わねば困る。凶兆であってはならない。
「無理をしましても、どちらも数刻と生きてはいらっしゃらないかと存じます」
まるでロルフの心を読み取ったかのように療法師は言った。
ロルフが族長室に足を踏み入れた時、中にいた女達は一切目もくれなかった。皆、寝台に横になっている女に気を取られているようだった。
女療法師がすぐさま、女の許へ行く。そしてオルトに何事かを囁き、ロルフを二人して振り返った。
「ロルフさま」
オルトが近付いて来た。「ここは男のいる所ではございません」
老いた顔は疲れ切っているようであったが、声はまだ、大丈夫なようだった。
「まわったわ」
女療法師が声を上げた。そしてロルフを見た。
「族長、恐れながらお力をお貸し下さい」
その顔は厳しかった。
「奥方さまは弱っておられますので、通常のお産(座産)は無理です。もうすぐ、お子が産まれます。どうか、お力添えを」
ロルフは寝台へ向かった。何をするのかも分からなかったが、女療法師の声には有無を言わせぬものがあった。
目を閉じた女は、死人のように白い顔をしていた。だが、額に浮かぶ汗と忙しない呼吸が、この女はまだ生きているのだと示していた。剥き出しになった立てた膝に、女がもう、この姿勢で長くいることを察した。
女療法師はロルフの手を取り、女の胸の下に導いた。
「わたくしが合図しましたら、押し出して下さい。加減をする必要はありません」
ロルフは言われるがままに両手を当てた。女の身体は思ったよりも熱くはなかった。むしろ、冷たく感じた。まるで、生命の炎が消えようとしているかのようだ。
「奥方さま、しっかりなさって下さい。もう、産道も充分に開いております。次で、終わりにいたしますので、どうか、今一度、お気をしっかりお持ち下さい」
女がうっすらと目を開けた。生気のない榛色の目が、ロルフを見た。
「死が、来たわ」
消え入るような声で、女が言った。ロルフは自分の考えが読まれたのかと思わずにはいられなかった。女は、ロルフを死と見た。
「なにをおっしゃいます。大丈夫ですわ。わたくしたちが、必ずお助けいたします」
女療法師が力付けるように言った。女は女の味方なのだとロルフは思った。この産屋では、ロルフの言葉など奴隷のものほども価値は持たないだろう。
ロルフは自分の手を見下ろした。弱々しい女の身体の動きとは別のものが蠢いているのが感じられた。それは、エリシフの膨らんだ腹部に手を当てた時の事を思い出させた。長く失っていた感覚だった。
「次に来ましたら、思い切り息んで下さい。それで終わりにいたしましょう」
「きたわ」
女が呻くように言った。
女は歯をくいしばって身体に力を入れた。女療法師がロルフに頷いた。
ロルフは言われた通りにぐっと体重をかけて女の腹を押した。
「もう一度」
女療法師の声に、ロルフは従った。
先程まで感じていた生命の気配が、するりと手から消えた。
「お産まれになりました」
女療法師が声を上げた。その手には赤紫色をした赤子があった。
「でも、泣かない――」
女が呟き、力尽きたように目を閉じた。
女療法師は赤子をうつ伏せにしてその背を叩いた。数度、それを繰り返すと、赤子は液体を吐き弱々しい泣き声が聞こえた。
「男の子ですわ」
オルトはそう言った。女療法師が鋏と糸を取り出し、赤子と女を繋げていた物を切った。
「まだ、
女療法師は言った。
オルトが赤子をロルフの前に差し出した。
ロルフは我が子を受け取り、その顔を見た。生まれてすぐの赤子は初めてだった。大抵は、後産とやらが終わってから呼ばれた。
他の子供達が産まれた時よりも、小さい。
無事に育つのだろうかという思いが胸に生じたが、女達の間に動揺も憐れみもなかった。では、この子供は大丈夫なのだとロルフは思い直した。問題の無い範囲なのだろう。
手を脇に置いてあった水差しの水に浸し、赤子に振りかけた。
「ハラルドと名付く」
静かにロルフは言った。
後産があるからと言われ、ロルフは族長室を追い立てられるようにして出た。それが何であろうとも、男に見せる物ではないのだろう。
ロルフは大広間に戻った。そこは出て行った時のままであった。ロルフは酒杯を手にすると、数度、卓子に叩き付けた。
その音に、大広間に残っていた男達はすぐさま反応した。何事かと剣の柄に手をやる者さえいた。ヴァドルも目を見張っていた。
「今、男子が生まれた。杯を掲げよ」
男達の顔に笑みが浮かんだ。慌てて奴隷達が奥から出てきて杯を蜜酒で満たした。口々に男達が歓声をあげ、酒をあおる。
ヴァドルが静かに、ロルフに向かって杯を揚げた。ロルフはにこりともせずにそれに応えた。
これからの事を考えねばならなかった。
ハラルドは無事に生まれ、小さいながらも思ったよりも健康には問題が無いようだった。後は、あの女が何日か持ちこたえればそれで良い。だが、あの弱々しさは、どうだ。夜明けまでが峠であろうと思われた。
できれば数日は生かしておかなくてはならない。
しかし、生命は神々の領域だ。自分が望んだからと言って、どうなるものではないという事は痛い程に分かっていた。