第3章・城砦

文字数 6,335文字

 翌朝、日が昇り切ってからロルフは船を港に着けさせた。北海の船の姿に、港の者達が遠巻きに集まって来るのをロルフは冷たい目で見つめた。五人の部下を率いて船長と殺人者を人質に船を下りると、港の衛士達が槍を手に近付いて来た。
「それ以上近付いてみろ、この男の生命はない」
 部下の一人が片刃の小太刀を船長の喉元に当てる。小太刀は元は肉切り包丁であったというから、良く切れる。衛士達の隊長もどうして良いものやら分からぬようだった。
「領主に用がある、道を空けろ」
 ロルフの命に、人々はさっと分かたれた。その目には恐れがあるのをしっかりと見た。北海の者を実際に目にするのは初めてなのだろう。ヴァドルの選んだ五人は、いずれも名うての戦士だ。体格も良く、小柄な中つ海の者を睥睨(へいげい)するだけの丈もあった。
 ロルフを先頭に、北海人は堂々と町を進んだ。事前に船長から道筋は聞き出してあった。大きな通りを一本道だという事だった。確かに、港からは広い石畳の道が小高い丘へと続いているようだった。
 勇気のない事よ。
 ロルフは思った。如何に北海の戦士が大柄で見慣れぬ武器を携帯しているとは言っても、たかだか六人だ。皆でかかれば簡単に片がつくだろう。それを、人質の生命を重んじる故か、向かっては来ない。これが北海ならば、自分達は既に生きてはいまい。そもそも、人質に取られるくらいならば死を選ぼう。
 町は静かだった。人々はざわめくことも忘れてロルフ達に見入っていた。噂には北海の海賊というものを聞いてはいるのだろう。金色の長めの髪と髭を編み、青い眼をした大きな野蛮人であると中つ海の人々が噂している事は、アスラクから聞いて知っていた。元々は交易島へ商売の話をしに行ったのであるから最低限の武器の準備しかしてはいなかったが、ロルフも他の者も、戦闘の時のように編める者は髪と髭を編んでいる。背中には舷側に連ねていた楯だ。だが、服装は胴着で中つ海の者とそうは変わらない。中つ海の者は北海人を野蛮人と馬鹿にするが、北海の事を語る中つ海の者には出会った事がないという話も聞いていた。確かに、普通の北海人は書を読まない。だが、文字は読めるし書ける。学者と呼ばれる者もいる。どちらが野蛮人という事もないであろうと、ロルフはいつも思っていた。
 それを、まるで犬でも切るかのように殺された。
 北海人の生命は、中つ海の者よりも軽いとでも言うのか。
 まだ、世の中とはどういう物なのかも知らない子供だった。無邪気に遊ぶ事が仕事の子供だった。
 それについて、領主はどう言い逃れをするのだろう。自分の子の生命がかかった時に、唯論、生命乞いはするだろう。その時、領主は何と言うのだろうか。
 ロルフの中から久しく消えていた怒りがふつふつと湧いてきた。怒りが哀しみを凌駕した時に何が起こるのか、ロルフ自身にも分からなかった。それほど長く、怒りを制御してきた。
 町の風景は交易島とそうは変わらない。背の高い建物が密集し、空が小さい。人々の服装や容姿も同じだ。結局、交易島は中つ海なのだ。だから、交易島は中つ海には甘いのかもしれない。
 町外れまで来た時、城砦の方から騎馬の者達がやって来た。
「止まれ」
 年配の男が馬を止め、ロルフに命じた。
 ロルフが歩みを止めると、部下が船長を前に突き出した。
「北海人が、何の真似だ。それに、これは一体どういう事だ」
「領主の前で説明させてもらう」ロルフは言った。「それ以外はなしだ」
 部下が船長の喉に小太刀を押し付けたのか、息を飲む音がした。
「領主が、北海人などにお会いになるとでも思うのか」
 男は言った。「その男達を置いて早々に引き取れ。今、引き返すならば追いはしない」
「随分と大きく出たものだな」ロルフは返した。「この者達は交易島の法を犯した。故に、北海の法で裁くべく、ここへ連れて来たまでよ」
「交易島の法を犯した、だと」
 男の声には愕きが含まれていた。顔は平静を装ってはいるが、大分、動揺したようだった。中つ海にあっても交易島の法を犯す事は、それほどまでに重いのだ。
「そうだ、それには、領主の立ち会いも必要だ」
 暫く、男は考え込むようだった。だが、やがて、意を決したように言った。
「分かった。では、付いて参れ」
 馬の頭を巡らせて男は言った。そして、若者を一人、先に城砦へ送った。
 騎馬の後を、ロルフ達は進んだ。
 城砦の周りは牧草地になっており、羊や牛が放牧されていた。北海には牛はいない。牛の肉を食べる事なく、二人は逝ってしまったのだろうか。それとも、アスラクの家で、珍しい客人としてそれでもてなされたのだろうか。ロルフの思いは、どうしようもなく二人に戻ってしまう。そうなると、後ろを歩いているのであろう殺人者の息遣いまでが憎くなった。その男がまだ息をしているというのに、子供達には既に息はないのだ。
 城砦は高い石壁に囲まれていた。壕はない。だが、石壁の上にも衛士がおり、自分達をじっと見つめている事にロルフは気付いていた。弓で狙いをつけている者もいたが、命令のない以上は射る事は出来ないようだった。
「族長」
 同じく気付いたのか、部下の一人が小声で言った。だが、ロルフは頷いてみせただけだった。攻撃しようとすれば何時でもできるであろうが、その代わり、人質の生命はない。中つ海では、人質を取るのも有効な手段であるのだ。これは、族長集会で知らせる価値はあるだろう。
 それとも、交易島の法を破ったのだとすれば、領主もその理由を知りたいのだろうか。
 城門をくぐると、騎馬の者達は馬を下りた。そして、ロルフについて来るよう示した。
 城の中は薄暗かったが、気になるほどではなかった。そして、ロルフ達は大広間へと案内された。
 大広間は贅を尽くした造りになっていた。壁は一面に華やかな綴織で飾られており、燭台も銀だった。そこには騎士達が勢揃いしていた。正面の高座に領主夫妻が座しており、どちらも暗い色の髪と目をしていてロルフから見ると小柄であった。だが、領主は年配ではあるものの戦士らしく、それなりに鍛えた体つきをしていた。二人の間には、少年が一人立っていた。それが、恐らく、跡取りの子供なのだろう。少し明るめの栗色の髪をしていた。これが今のような場面でなければ、自分も恐らく、この子供を愛らしいと思うのではないかとロルフが思うほどに、その目は大きく無邪気だった。その他には侍女達が夫人の側に、領主の後ろには近習の少年達が侍していた。
 ロルフは部下達を連れて大広間を進んだ。族長の館の大広間よりも大きかったが、そのような事で圧倒されるようなロルフではなかった。どれほどの金銀財宝も、今のロルフを感歎せしめる事はできない。
「北海の者よ。何しに来た」
 領主の機嫌は余り良くはなさそうだった。それに、完全にロルフ達を下に見ていた。地位だけを言うならば領主と族長は同等であろう。「その者達を放せ」
 ロルフは答えず、殺人者の綱を摑むと高座の前に引き摺り出した。
「交易島の法を破った者だ」
「交易島の法を破ったのならば、交易島で裁くべきだろう」
 顔をしかめて領主は言った。
「交易島は、逃げた者は個々に対処するようにと言った。だから、追い掛けて捕えた」
 ロルフは今の所は、上手く怒りを抑えつけていた。
「何の法を犯したのか」
「殺人だ」
 領主の顔色がさっと変わった。広間に集まっていた人々がざわめいた。
「殺人だと――その証拠はあるのか」
「この男の剣と服には血が付いている。それ以上の証拠はあるまい」
「犬を切ったのではないのか」
 集まっていた騎士達の中から声が飛び、微かな笑いが起こった。北海人を犬に喩えている。
「切られたのは娘が一人と子供が二人だ」
「わざわざ、娘と子供の為にここまで出向いて来たのか」
 ロルフ達をここまで案内して来た年配の騎士が嘲笑うように言った。「北海人とは律儀なものだな」
 ロルフは男を睨み付けた。
「子供は、私の子だ」ロルフは言った。「北海の族長、白鷹ロルフの後継ぎだ」
 しんと大広間が静まり返った。
「この男は」とロルフは床に跪いている殺人者の髪をぐいと引っ張った。顔がのけ反った。「この男は、北海の娘を娼婦扱いした上に、拒まれると殺した。それを守ろうとした私の子二人もな。二人の剣には和平の紐が掛かったままだった」
 領主の顔が蒼白になった。ようやく、事の重大さが飲み込めたようだ。
「剣の血も拭わず、服を着替える暇もなかった臆病者よ」
 ロルフは笑った。
「交易島の法では逃げ出したこの男は裁けぬと言う。ならば、捕まえたのは海上での事、我々が、北海の法にてこの男を裁く」
「海上であるならば、北海ではなく中つ海であろう」
 そう言う領主の声は震えていた。
「中つ海の法では裁かせぬ。捕まえたのは我らだ」
 ロルフは身体の正面に佩いていた片刃の小太刀を抜いた。
「死には死を。これは血讐だ」
 殺人者の反った喉に小太刀を当て、素早く引いた。血飛沫が飛び、領主の夫人と女達が悲鳴を上げた。ロルフが男の髪から手を放すと、そのまま男は床に倒れ、ごろごろいう喉から泡の混じった血が流れ出した。やがて、身体を痙攣させると男は動かなくなった。
「これで一人分」
 ロルフは笑みを浮かべて言った。飽くまでもこれは一人分、アスラクの娘の分だ。
 男が交易島の法を犯した理由など、ロルフにはどうでも良かった。たかだか酔っ払いの言い訳だ。聞くに耐えない言葉の羅列に過ぎないだろう。目撃者の証言の方が余程信用できる。
 衝撃から立ち直れていない領主達の許へ歩むと、ロルフは脅える少年の腕を摑み、高座から引きずり下ろした。恐怖からか、少年は一言も発しない。ただ、大きな目を見開いて震えているばかりであった。
 歳の頃は、エリタスと同じくらいだった。
「何をする、その手を放せ」
 領主が叫んで立ち上がり、夫人は再び悲鳴を上げた。城の騎士達が剣の柄に手を掛ける。ロルフの部下達も同じようにする。
「お前の世継ぎか」
「そうだ、その手を放せ」
 領主の慌て振りは半端ではなかった。顔は蒼白で声も震えていた。
「男子はこの子供一人か」
「そうです、ですから、どうか、その手を放してください」
 夫人が叫んだ。
「ならば、丁度良い」ロルフは笑った。「私は後継ぎを亡くした。今度はお前の番だ。それでこそ、釣り合いが取れるというものだろう」
 ロルフは少年の首に(やいば)を当てた。拭ってはいない先程の男の血が、少年の首を伝った。
 やめて、と夫人が叫び、気を失った。侍女達が慌てて駆け寄る。
「欲しいものは何でもやる、だから、その子だけは止めてくれ」
「欲しいものは、この子供の生命だ」
「まだ八歳なのだ、何も分からぬ子だ」
「私の子がそうでなかったとでも言うのか、まだ七歳と五歳であったものを」
「その子を殺したとて、御身(おんみ)の子は戻っては来まい」
「これが血讐だ。相手の血を流した者は、それなりの代償を支払わねばならない。私の長子の分は、この子供の生命で支払って貰う」
「は、話し合おうではないか」領主は宥めるように言った。「御身に起こった事は実に気の毒な事だと思う。殺人者を殺したのも、分かる。だが、その子はこの件には何の関係もない。放してくれ」
「何の関係もない、だと」ロルフは口を歪めた。「これは痛み分けだ。嫡男を殺したからには、相続権のある子を差し出さねばならない。だが、聞いた話ではあの男には子はなく、老いた父母がいるのみだと言うではないか。ならばその財産は結局はお前の物だ。お前の相続者は誰だ。この子供であろう」
 北海での論理だが、北海の法を以て裁こうと言うのだからそれに従うのが道理だろう。ロルフは自分が間違っているなどとは微塵も思わなかった。これは北海の正義だった。
「だからと言って、幼子を――」
「私の子達は幼くなかったとでも言うのか」
 ロルフは領主を睨み付けた。「まだ世の中が何であるのかも知らぬ子達だった。この小僧のように父の側で話を聞く事もまだ許されぬ年齢であった。無垢な魂の持ち主であった。それを二人殺した。妻の忘れ形見であったというのに」
「私が殺したのではない」領主は言った。「その殺人者は、今、御身が始末されたではないか」
「あれは一人分、同じく殺された商人の娘の分に過ぎない」
 子供をぐっと自分の方に引きつけてロルフは言った。「あと二人分、残っている」
 正気を取り戻した夫人は泣いていた。だが、女の涙が何になろう。血讐とは、そんなに簡単に感情で覆されるものではない。
「この城の宝物(ほうもつ)を全て持って行っても構わない」
「宝物が何になろう。お前は、この子の生命が絶たれた時に、その宝物で心が慰められると言うのか」
 刃を子供の首に押し付けた。
「あの男はお前の船の護衛だった。それを任命したのもお前だ。ならば、領主であるお前が全ての責任を負うべきだろう。やはり、この子供の生命は貰う。その後で、もう一人分の話をしようではないか」
 ロルフの脚に、生温かい物が伝った。ロルフは舌打ちした。この小僧は勇気がない。このような者を代わりにしたところで、半分の値打ちもないだろう。
「止めてくれ。先に、もう一人の話をしようではないか」
「駄目だ。それに時間がない。南中までに我々が戻らぬ時には、配下の者が町を襲う手はずになっている。時間稼ぎは無駄だ。それと、私を殺そうとするのもな」
 ロルフは居並ぶ騎士達に目をやった。
「六十人からの北海の戦士がこの町を襲ったら、どうなると思う」
 領主は椅子にへたり込んだ。ロルフは笑みを浮かべた。六人を犠牲にする代わりに、下の町はこの世の終わりを見る事になるだろう。それを避けるには、どうしてもこの子供の生命を差し出さねばならない。
 ぞくぞくする考えだ、とロルフは思った。究極の選択を、領主は迫られている。子供の生命か、町か。だが、ロルフは自分の生命が尽きるよりも速く、この子供の生命を奪って見せるだろう。相手は完全に詰んでいる。
「何をどうすれば、その子を助けてくれるのか。私の生命か」
「お前のような者の生命を奪ったとて、何になる。それで私の苦しみと哀しみが治まるとでも言うのか」
「子供の生命を奪ったからとて、御身の苦しみは変わるまい」
 そうかもしれない。
 だが、やらねば気が済まなかった。何の抵抗もしない上に失禁までするような子供を殺したとしても、気分が良くならないのは分かっていた。これは血讐なのだ。同じ重さの生命で支払わねばならないのだ。
「お前の苦しみと哀しみが私の復讐だ」ロルフは言った。「あのような愚か者を交易島に送った、お前の責任を問うているのだ」
「私の責任だと言うのならば、私の生命を取るが良いであろう」
「それでは等価にはならぬわ」ロルフは嘲笑った。「この子供一人の生命とても、我が子一人分には程遠いわ」
「お願いです、わたしの生命を代わりにお召しください」
 夫人が涙ながらに叫んだ。
「女一人の生命など、何程でもない」
 いい加減にうんざりしてきた。この子供にも、領主にも、駆け引きにも。
 相手がどう駆け引きに持ち込もうとも、ロルフの心は決まっていた。このような弱虫一人の生命では、到底、勇敢であった我が子の生命には及ばない。だが、哀しみと苦しみにもだえる領主夫妻の姿でそれに替える他はなかった。他に子供がいれば、その生命も奪ってやろう。そうすれば、自分の気持ちも少しは慰められるだろうか。
 広間の騎士達はロルフの部下と対峙して動けずにいた。人質として連れて来た船長は、ご丁寧にも首と手だけではなく足にまで縄を掛けられて転がされている。
「交渉は、なしだ」
 ロルフはそう言った。最後通牒であった。
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