第32章・反抗

文字数 8,115文字

 夕食には、ハラルドと養育係だけではなく、エリス、オルトも同じ席に着いた。四人で食事をするのは朝食以外では殆どなかった為、ハラルドは興奮気味だった。来年には見習い戦士として大人の宴席に駆り出されるのだが、それは、この子供にとってはまだ遠い未来のようであった。
「今日のお客は、何の用で来られたのですか」
 ハラルドは好奇心をむき出しにしてティナに訊ねてきた。
「黙って、食べなさい」
 エリスが不機嫌に言ってハラルドの口に麺麭を突っ込んだ。
 ティナは食事が進まなかった。エリスの機嫌が悪い理由は分かっていた。
 今朝、ロルフはティナに外に出るな、と言い付けた。何が起ころうとしているのかを知らされもせず、唯、その言葉に従う外はなかった。エリスと求婚者達を会わせる計画がある事を、オルトから知らされた。
 会わせたところで、ロルフがエリスの意向を聞く気はない事も分かっていた。エリスは期待した分だけ失望も大きいだろうし、怒りもしよう。それを人に向けるような子ではなかったが、機嫌が悪くなるのは仕方のない事だ。ハラルドは余計な事に首を突っ込みすぎるきらいはあったが、悪気があってやっている訳ではなかった。それも、エリスは承知しているはずだ。
「ハラルドが勝手に大広間に行かないように、しっかり見張っていてね」
 エリスがハラルドの養育係に言った。乳母でもあったこの自由民の女は、ハラルドとそう日数の違わない実子を亡くしていたせいか、甘かった。それを正すのは、常に姉のエリスの役目であり、自分ではない事をティナは心苦しく思っていた。如何にロルフに取り上げられようとも、養育係が付こうとも、ハラルドの母親は自分なのだ。
 ロルフがエリスにどのような男を(めあわ)せるつもりでいるのかも、ティナには分からなかった。北海人にとっての良い婿と、中つ海とでは違ってもいよう。自分が口を挟める事ではなかった。
 食事を終えると、ハラルドは養育係に促されて渋々ながら、部屋に下がった。その後ろ姿を見送り、エリスはティナに向き直った。
「今日の午後に、求婚に来た人達と会ったの」
「エリスさま」
 オルトが言葉遣いを注意したが、エリスは聞く気がないようだった。
「四人いて、五日の内に誰か決める、とお父さまはおっしゃっているらしいのだけど」エリスは首を振った。「嫌な人を選ばれたら、どうしたら良いのかしら」
「嫌な方など、いらっしゃいませんでしたよ」
 そう、オルトが言った。

いやだと思ったわ」
 憮然としてエリスが言った。「それどころか」
「せっかくいらしてくださった方々を、悪く言うものではありません」
 見る見る内に、エリスの目に涙が湧いてきた。長じてこの娘が泣くところを、ティナは見た事がなかったので、愕いた。
「その内の一人の使者に、ウーリックがいたわ」
 誰の事だろうかとティナは思った。自分達が名を知る他島の者は、そう多くない。
「憶えていらっしゃらないの」
 ティナは考えた。そして、一人の男に行き当たった。
詩人(バルド)の」
「そうよ。詩人のウーリックよ」
 一粒の涙が、エリスの目から零れ落ちた。「使者の一人として、お父さまに求婚者を推薦しに来たの」
 ティナは詩人の事を思い出した。スールの産まれた夏に、この島を去った男だ。去り際にティナに対して好意を見せた詩人だ。自分に好意を見せてくれた男であるというのに、ずっと忘れていた。その冬にスールが亡くなったからだ。
「お母さまに、スールのお悔やみとご挨拶を、と言っていたわ」
 詩人は自分の事を忘れてはいなかったのか。それとも、ロルフの娘を欲しいという男に請われて使者の一人となった時に思い出したのか。いずれにしても、その風貌は定かではなかったが、この島に戻って来るとは思いもしなかったのは事実だった。
「わたしの求婚者の使者だなんて、酷いわ」
 エリスが殊の外、ウーリックを気に入っていた事も思い出した。子供達の誰もが、この詩人の事を好きだった。ロルフでさえも気に入っているように思えた。
「その任が終われば、故郷の北の涯の島に帰るのですって」
 北海の最果ての地と言われる涯の島の事は、ティナは殆ど知らなかった。それも、オルトから聞いたものでしかなかった。
 涙を拭い、エリスは溜息をついた。
「誰も、わたしの気持ちなんて考えてはくれないのね。あんなに優しかったウーリックでさえも、わたしの気持ちを思いやってはくれないのね」
「みんな、あなたの幸せを願っていますよ」
 オルトが言ったが、自分の哀しみの中に閉じこもっているエリスの耳には届かぬようだった。
 この娘の幸せを願う気持ちは、誰にも負けぬつもりであった。それでも、掛ける言葉をティナは持たなかった。女はつまらない、女は損だ、と常に言っていたエリスにとり、結婚という人生の一大事までも自分の意志が通せぬのは、耐えられない事であろうと思った。ロルフも、自らの娘であるならば、その気性を心得ているはずだ。
 しかし、ロルフは男だ。男の基準で相手を選ぶであろう。
 ウーリックも、所詮は男の世界で生きる者だ。男の目でしか、見る事はできまい。
「どのような方を、ウーリック殿は推挙してきたのですか」
 ティナは訊ねた。
「知らないわ」エリスが答えた。「その人とは、話してはいないの。それに、ウーリックも、自分からその人をわたしに推薦するようなことはしない、と言ったわ」
「それは、ウーリック殿があなたに誠実であるということではないかしら」考えながらティナは言った。「ウーリック殿の推薦があれば、あなたの見る目も変わるかもしれないのに」
 エリスは眉をしかめた。その考えは気に入らなかったようだ。
「でも、どうして、その方とはお話をしなかったの」
「先に来た人がいつまでも喋っているものだから――睨みつけてはいたけれど、そうね、他の人達は先に誰かがいても、平気で声をかけて譲ってもらっていたわ。あの人は、本当は、わたしに求婚したくはないのかもしれないわ」
 声を掛けて来ない男は論外だ、というような事をエリスが言っていたと、ティナは思い出した。その男がどのような者であろうと、競争から脱落してしまったのかもしれない。
「そんなことはどうでもいいの。わたしだって、幸せにはなりたいわ。でも、それは、わたしが相手を選んでこそだと思うのに」
 北海であろうと中つ海であろうと、選ぶのはいつも男だった。女の意見というのは、大して影響力を持たなかった。殊にロルフのような男にとっては、女の言葉など何の意味も持たないだろう。それが愛する娘のものであったとしても、ロルフは反抗する事を許すまい。
 ロルフの逆鱗に触れてはいけない。殺されるのならば、恐ろしくはない。苦痛は一度きりの事だからだ。だが、叩かれ蹴られれば、その痛みはやがて治まろうが、恐怖は消える事はない。ティナは、エリスにそのような思いはして欲しくはなかった。ロルフの怒りが娘に及ぶ事はない、という絶対的な自信が、ティナにはなかった。エリスを愛し、可愛がろうが、ロルフの心は全く見えない。見えないものを推測する事もできない。
 この娘は、ロルフに反抗するかもしれない。それだけの強い心を持っている。
 ロルフがそれを許さず、エリスを抑えつけようとするならば、何が起こるだろうか。ロルフの暴力によって独立心も好奇心も奪われ、否応もなく、エリスは気に入らない男の許へ嫁がされるのだろうか。
 考えたくはなかった。
 それは、エリスの幸せではない。前にエリスが言ったように、ロルフの考えるエリスの幸せでしかない。それが正しいと、当たっていると誰に言えるだろうか。
 不幸な結婚は、子供達の誰にもして欲しくはなかった。相手に納得した上で、できる事ならば、いずれは愛せるような人と一緒になって欲しかった。
 大それた望みだろうか。
 自分の幸せは、とうに諦めた。その代わりに、子供達の幸せを願ってはいけないだろうか。北海の神々は中つ海の自分に、それを許しはしないのだろうか。エリスもロロも、族長の子であれば、政治的に重要な立場にいる事も分かっている。だからといって、不幸な結婚でも仕方がないと考えるのは間違っている。
 エリスの流したのは、たった一粒だった。だが、それは、何よりも雄弁に心情を語っていた

    ※    ※   ※

 ロルフは上機嫌で求婚者達をもてなす宴から下がった。
 思惑通り、直接会う事でエリスの価値は上がったようだった。供に老いたオルトを置いたのも効果的だったようだ。娘の美しさを際立たせるばかりではない。エリスに余計な口を出させず、相手から情報を聞き出すには、やはり、オルトが適任だった。
 明日には使者達と話す事になろう。その時に、どのように売り込んでくるかも楽しみだった。
 族長室では、あの女がまだ起きていた。普段ならば、ロルフの戻るのを待たずに寝ているものが、この宵に限っては、着替えもせず、炉辺に座っていた。
 女はロルフの姿を見ると立ち上がり、一礼をした。
 どういうつもりなのかは知らなかったが、ロルフの戻るのを待っていたように思われた。
 自分の方には、この女には用はない。
 ロルフは女を無視して寝台に近づいた。長剣を抜き、枕頭に置いた。片刃の小太刀は枕の下だ。見習いになった時に年長者に教えられて以来の習慣で、特に意識した事はなかった。
「ロルフさま」
 革帯の結び目を解いたところで、背後から女の声がした。その口から自分の名が発せられるのは、何年ぶりの事なのだろうか。だが、一瞬止めた手を、ロルフは金具に掛けた。
「ロルフさま」再び、女が言った。「お話が」
 自分には話のあろうはずもなかった。
「お願いです、お聞きになってください」
 大きな溜息をつき、ロルフは女に向き直った。
 女は下ろした両手を固く組み、ロルフを見つめていた。その顔は蒼ざめていたが、目には力があった。
「何だ」
 眉をひそめ、ロルフは問うた。自分から声を掛けるのであれば、それなりの覚悟あっての言葉であろうと思った。
「エリスのことです」女は言った。「今日、エリスが、求婚者の方々とお会いしたと申しておりました」
 ロルフは無言で頷いた。いずれは、この女の耳に入る事であった。
「お願いです、どうか、あの子にも選択肢をあげてください」
 思いもかけない言葉であった。ロルフは知らず、女の顔を注視した。
「どうか、エリスにも、お相手の方を選ぶ自由を与えてあげてください」
 最初の愕きが去ると、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「お前には、関係がない」
 吐き捨てるように言ったが、女はまだ、ロルフの怒りには気付かぬようであった。
「わたしは、あの子の母親です。あの子の気性を存じております。どうか、あの子の意向を聞いてはくださらないでしょうか。このままでは、あの子を不幸にするばかりです」
 ロルフが、エリスの幸せを願わぬとでも言うのだろうか。この女が、自分は母親だと言うのならば、ロルフは父親であった。気性は良く知っている。だが、結婚は家の問題だ。それは女が口を挟むものではなかった。
「家長の権限に口を出すな」
 その言葉に、女はびくりと身を震わせた。ようやく理解できたかと思ったが、女は首を振った。
「決めるのは、あなたの務めの内であることは存じております。でも、あの子の言葉も、気持ちも考えて頂きたいのです」
 煩かった。黙らせたい、と思った。それは簡単な事であったが、ロルフは行動する事ができなかった。色は違えど、エリシフがロルフの意向に沿わぬ時に見せたものと同じ光が、その目にはあった。
 ロルフは女を見た。
 この女は、自分とエリシフとが出会ってから死に別れるまでよりも、長い年月(としつき)を妻の座にいる。その間、二人が言葉を交わした事は殆どなかった。エリスの裳着の儀式についても、オルトとこの女とで進めた。ロルフは、オルトに言われて小太刀を用意したに過ぎない。男の子達が見習いとして戦士の館へ行くに際しても、ロルフからオルトに指示をして女はそれに従っただけだ。
 従順でいれば良かった。自分の邪魔にならぬなら良かった。
 妻とは言え、この女はエリシフとは違う。同じ扱いをして良い者ではなかった。たかだか、中つ海の女だ。ハラルドを産んでしまえば、後は用のない女でもあった。だが、あの瞬間、自分が逡巡したが為に、今まで生きて来たのだ。自らの運命を、死を受け入れるあの目にエリシフを見てしまったが故に、仕損じた。これは、ロルフの不明だった。
 女に無言で背を向け、ロルフは乱暴に革帯の金具を外した。これ以上、聞いてはいられなかった。傍らの長櫃の上にそれを放った。
「ロルフさま」
 女が縋るように言った。だが、ロルフは答えなかった。その必要があるだろうか。これは自分の、家長の問題であった。自分が族長であるからには、部族の問題でもあった。女には全く関係のない事だ。それに答える言葉はない。
「あなたも、エリスの幸福を願っていらっしゃることと思います。もし――」
 女は少し言い淀んだが、意を決したように続けた。
「もし、あの子が、先の奥方様の子であれば、あなたは同じようになさいましたか」

    ※    ※    ※

 決定的な言葉を口に出してしまった。
 ティナは震えた。
 先の奥方の事を持ち出しては、ロルフは決して自分を許すまい。
 だが、そう思っていたのは事実だった。深く愛した先の奥方の娘にエリスが産まれていたとしても、ロルフは同じ決断を下しただろうか。本当は泣き喚きたいであろうに、それをこらえていたエリスに、ティナはそう思わずにはいられなかった。自分と先の奥方とでは、余りにも立場が違う事も承知していた。それでも、問わずにはいられなかった。
 果たして、ロルフは鋭くティナを振り返り、怒りを湛えた青い目を向けた。
 恐ろしい、と思った。それでも、エリスの為に、立ち向かわなくてはならない。何一つしてやれなかった代わりに、僅かでもロルフの心にエリスを思い遣る気持ちが生じるのであれば、打擲され、蹴りつけられようが構わない、と思って自分から声を掛けたのだ。覚悟の上だった。
 足音も高く、ロルフがティナの傍へ来た。
 ぐいと腕を摑まれた。その力に、ティナは声を上げそうになったが、何とかこらえた。
 ロルフは無言でティナを睨みつけていた。
 この人にとり、先の奥方は他人が触れてよいものではない。
 そう、知った。特に、自分のような女が口に出してはいけない存在であったのだ。
 だが、ティナはロルフから目を逸らさなかった。ここで負けてしまえば、全てが無駄になる。エリスの人生を閉ざしてしまう。自分の生は、スールの死と共に、いや、ロルフに選ばれた瞬間に閉ざされた。同じ事を、愛する娘に経験させたくはなかった。
「お前に、何が分かる」
 ティナを見下ろし、歯と歯の間から絞り出したような声でロルフが言った。
「わたしは、エリスに、わたしと同じ思いをしてほしくないだけです」
 ロルフの目は青かった。そこに、怒りの他の感情を見る事は出来なかった。腕の痛みは気にならなかった。
 自分は十七でこの島に来た。エリスは今、十七だ。愛してもいない、気にも入らない男の許に嫁ぎ、母親になる、という事を、あの娘は納得するまい。結婚の後に誰かを愛するような事にでもなれば、全てを捨ててでもその相手の許に走るだろう。それは、エリスにとっても相手にとっても、破滅である。
 第一、あのエリスが、強制的に結びつけられた相手に肌を許すであろうか。
 その事を思うと、ぞっとした。拒んでも、男の力には敵わない。自分に乱暴をする男を、エリスは決して許すまい。屈辱を与えた者を生かしてはおくまい。相手も戦士であれば、ロルフのように武器を枕に忍ばせているかもしれない。それをエリスが相手に使わぬという保証はなかった。ロルフの子である。誇り高く、勇気もある。新床(にいどこ)を相手か自分の血で染めてでも抵抗するだろう。
 ロルフは、そういった事をも考慮に入れているのであろうか。その上で、決断を下すというのか。
「あの子は、あなたの娘です。あなたの気性を受け継いでおります」
 ティナは静かに言った。「ご自分が女であったならば、今の状況をどう思われるでしょうか」
 恐らく、ロルフの想像の埒外であろうと思った。北海人に、立場を逆転して考えろ、と言っても無駄なのかもしれない。自分が女であったならば、などという考えは、この人々にとっては男らしくないこと甚だしいのであろう。
 ロルフの指が、腕に食い込んだ。その怒りによって自分の身に何が起ころうとも、我慢できると思った。これからエリスの身に起こるであろう事を思えば、今更、何でもなかった。殴りたければ殴れば良い。殺したければ殺せば良い。ティナにとり、それが如何ほどの意味を持とうか。まだ若い、人生の入口に立ったばかりの娘を思えば、自分の身などどうなっても良かった。
 ロルフが猛り狂うであろう事は、容易に想像がついた。何事もティナには口を出させなかった、暴力で全てを封じて来た人であった。それに従って来たのは、愛情からではなく、恐怖心からだった。だが、今はその心もなかった。身体は痛みを憶えており、その記憶に反応してしまうが、心が恐怖に竦む事はなかった。
「結婚を決めるのは父親の義務であると申されるのであれば、どうぞ、エリスの思いを、汲み取ってあげてください」
 ロルフの怒りは頂点に達しているだろう。刃物は手の届くところにはない。(くび)り殺される事になっても、自分は最後の息まで同じ事を訴え続けるだろうし、身は抵抗をしないだろう。それでロルフの考えが変わるのだとすれば、何と安い値である事か。エリスの将来を思えば、そのくらいの犠牲は払う覚悟であった。
 自分の身に何かあれば、エリスは愕き、哀しむだろう。他の子供達も、同じだろう。しかし、その理由を知る事はない。ロルフは隠し通すに違いない。それでも、良かった。取るに足りない自分と較べれば、子供達の未来の方が大切であった。
 ティナはロルフを見返した。
 望んでなった妻でも母親でもなかった。子供達は愛したが、この北海人は別だ。憎んではいない。だが、愛してもいない。心のどこかでは赦してはいたが、果たして、自分がこの人に情を感じているのかどうかさえ分からない。
 それは、お互い様なのかもしれない。
 ロルフとて、自分を愛している訳ではない。憎んでいるのとも違うだろう。憐れみを持たれていると感じた事もある。だが、こちらも何らかの情を持っているとは言い難いだろう。
 自分達の人生は、一人の男の浅はかな行動によって狂わされた。
 あの出来事さえなければ、決して交わる事のない人生だった。その時間には戻れない。現実には、二人は夫婦で、子供も五人いるのだ。互いにどう思っているかは問題ではない。
 一人の娘の人生がかかっていた。どちらも、幸福を願い、傷付いて欲しくはないという気持ちは同じはずだ。
「愛を知らぬあなたではないはずです」
 ティナは言った。
 ロルフの目が、細められた。自分の言葉を不快に思っているのだ。殴られても殺されても、その言葉はロルフに言いたかった。愛情のある結婚も、愛情のない結婚も知っているロルフであれば、必ずエリスの思いを理解してくれるはずだ。自分達のような関係が、いかに不毛なものか、いかに不幸なものであるか、身をもって経験しているのだから。
 先の奥方との、短くとも幸せであった時の事を思い起こしてもらいたかった。
 エリスに、そのような幸せを摑む機会を与えて欲しかった。せめて、納得して伴侶を得て欲しかった。
 ロルフが大きく息を吐いた。
 その心に、自分の言葉が届いたのかは分からない。だが、ロルフはティナの腕を摑んでいた手を放した。そして無言で寝台に向かい、寝支度の続きを始めた。
 もはや、掛ける言葉もなかった。エリスの結婚に対して、言いたい事は全て吐き出した。後は、祈るしかなかった。北海の神々に憐れみの心があるならば、エリスを不幸にはすまいと信じるしかなかった。
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