第39話:被災地に石油を送れ3

文字数 1,736文字

 渡辺さんは、国鉄に入社し、最初の職場は、貨物の連結などをする部署だった。直接運転することはなかったが、ディーゼル機関車の力強さや石油を積んだタンク貨車の特殊な揺れ方を記憶していた。会津若松駅長に就任し、磐越西線の難所も体感してきた。春遅くまで、雪が舞い散る気候。石油列車の車輪はかなりの確率で空転し、最悪、停止する。

 そんな時には、後ろから別の機関車で押して脱出するしか手がない。
「JR貨物側は大丈夫だと踏んだんでしょう? 要請もなくサポートの機関車を用意するのは、ちょっと…」
部下の意見はもっともだった。
「おい、DE10を用意しとけ」

 JR東日本の会津若松駅長だった渡辺さんが、部下に指示を出した。DE10は中型のディーゼル機関車で、ローカル線の客車牽引の他、駅構内の貨車運搬などに多く使用される予備的な機材だ。山道で石油列車が動けなくなったら、後ろからDE10で押して脱出する。DD51の運行に合わせ26日早朝から運転士を待機させ、暖機運転までしておけという指示だ。

 今回の石油輸送は背景に政府の意向があるものの、基本的にはJR貨物の仕事だ。JR東日本は磐越西線のインフラを管理、提供しているにすぎない。1987年の国鉄民営化前は1つの会社だったが、今は違う。非常時とはいえ、それぞれの枠の中で分業すべきだ。JR東としては磐越西線の緊急修理などで既に十分な役割を果たした。JR貨物からの要請がない状況で、JR東が機関車を待機させる必要はない。しかし明日、列車が止まってJR貨物から要請が来てからDE10を用意すれば、運転士や整備士の確保など準備に丸1日かかる。被災地に石油が届くのが1日遅れるだけ。そうじゃない。非常時だからこそ、一秒でも早く届けろ。鉄道マンの魂がそう言っている。

 明日の待機を運転士に告げるため受話器を握る社員の顔にも決意が宿っていた。26日午前4時過ぎ、会津若松駅のプラットホームを出発した石油列車。DD51を運転するJR貨物の遠藤さんには、窓越しにDE10が見えた。「ああ、準備しているのかな。そんな話はなかったけど」。遠藤さんのつぶやきに、同乗していたJR東日本の職員は何も答えなかった。会津若松駅を出てすぐ、みぞれが大きくなった。同日未明、日本石油輸送石油部の渡辺圭介さんは会津若松駅付近にいた。日本石油輸送は石油元売り最大手のJXTGグループなどが出資する石油輸送専門の企業だ。JXとJR貨物の間に立ち、被災地向けの臨時石油列車の機材調達などにも深く関わってきた。

 渡辺さんはその日、震災後初めての休暇だったが磐越西線ルートでの石油輸送を自分の目で見届けたいと自費で現地に駆け付けた。目の前の踏切を予定時刻、通りに通過した石油列車初便を見送って、安堵のため息をついた。携帯電話のメールで、上司で石油部長の原さんに「今、列車が通過しました」と伝えた。メールに起こされた原さんは「了解」とだけ返信した。待っていた友人の車に乗り込む渡辺さん「次はどこに行く?」「猪苗代湖畔のポイントに先回りしよう」。曲がりくねった山道を四輪駆動の車が進む。山間部に入るとみぞれは雪に変わった。「タイヤはスタッドレスだよな」。渡辺さんの問いに友人は「そうだけど、あんまり積もると走れないからね」と顔を曇らせた。

 会津若松駅を出発した石油列車は広田駅、東長原駅を通過。ようやく白み始めた空の下、目を凝らすと線路脇にはかなりの積雪が見て取れた。深い霧で視界が悪い。大粒の雪が舞い始めた。出発してまだ30分もたっていない。これから本格的な山道に入るというのに。磐梯町駅付近に差し掛かったとき、運転席の空転ランプが初めて点灯した。

 機関車の馬力が車輪とレールの摩擦を超えて空転し始めたのだ。遠藤さんはすかさずスピードを落としレールに車重をかけていく。戦いが始まった。猪苗代湖畔駅近くに先回りした日本石油輸送の渡辺さんが待てど暮らせど石油列車がやってこない。
「止まったのかもしれない」。

 その不安は的中する。磐越西線を郡山へ向かう石油列車。磐梯町駅を通過すると上り坂の傾斜が増し、カーブもきつくなる。レール上で車輪が空回りしていることを知らせる空転ランプが何度も点灯した。
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