第37話:被災地に石油を送れ1

文字数 1,745文字

 根岸で石油を積んで、新潟貨物ターミナル駅を経由し、磐越西線方面へ向かう。磐越西線は、非電化区間があるため新潟貨物ターミナル駅で電気機関車からディーゼル機関車DD51に切り替える。会津若松駅から東側が山岳エリアで、急勾配と急カーブが待ち構える難所。DD51を2台連結し馬力を倍増させても、牽引できるタンク貨車は通常の半分10両まで。

 「よし。大筋この方向で進めてくれ。運転士の確保は?」
異常時対策を指揮する山田さんが運用チームに聞く。
「DD51と磐越西線、両方の経験がある人が望ましい。ただ、現役でDD51を運転している人は少ないので再教育が必要だ。稲沢機関区・愛知県稲沢市で対応できる」
「すぐに手配を」。
そんなやり取りが続いた。

「磐越西線で石油を運ぶことが決まった」
運転士が集められた郡山総合鉄道部。運転課長が計画の概要を伝える。
「機関車はDD51を使うそうだ。本社からは志を持って運行して欲しいとの指示だ」。
 DD51の運行は、新潟から会津若松までを東新潟機関区の運転士が担い、会津若松から郡山までを郡山総合鉄道部の運転士が担当することになった。

 東新潟機関区は規模も大きくDD51の運転士はすぐに確保できたが、郡山側では人選が難航した。遠藤さんを含め、郡山所属の4人が選ばれたが、講習会直前に1人が辞退を申し出た。インフラが途絶え、自宅の水や食料を運ばなければならないとの理由だった。
 「欠員が出たんだ。悪いが吉田さん、いってくれないか」
運転課長から電話を受けたのは定年まで1年を残すベテラン運転士、吉田さんだった。

 ここ数年は駅構内での貨車の入れ替え作業を専門にしていた。「俺にまで回ってくるとは…」DD51を運転したのはもう10年以上前。力士のような馬力を思い出す。「もう一花咲かすか」。渡辺さんは拳を握った。

 磐越西線ルートでの石油輸送が決まり、線路を管理するJR東日本では、補修人員を東北本線などから磐越西線に転進させる措置をとった。磐越西線の沿線は、水田地帯や山岳部など地盤の不安定な部分が多い。震源から離れていても揺れの影響は大きく、レールのゆがみ補正など70カ所以上の補修が必要となり、作業は不眠不休の突貫工事を強いられた。

 一方、会津若松-郡山間の運転を担う郡山総合鉄道部所属の吉田さん、若松さん、瀬戸さん、飯田さんの4人は3月21日、輸送に使うディーゼル機関車DD51の運転技術講習のため、愛知県にあるJR貨物の稲沢機関区に向かった。同機関区は日本で唯一、DD51の運転講習が可能な施設だった。

 「運転の難しさはディーゼルが格段に上だ。電気機関車は自動車で言うとオートマチック車みたいなもの」。運転士はそう口をそろえる。運転免許は別だが、JR貨物でも最近では使用頻度の多い電気機関車の免許しかとらない運転士が多い。「いつまで石油くさいのに乗ってんだ」。そういって笑う電気機関車の運転士もいた。

 しかし今、時代遅れのディーゼル機関車と運転士たちが、最大級の天災に見舞われながら力を発揮しようとしている。DD51は2台を連結し、1つの運転台から操縦できる重連機能があり、その分、計器類や操作部が多い。「一つ間違えれば発進しなかったり、ブレーキがうまく作動せず事故の恐れもある」。稲沢機関区での講習は時速25km程度で練習線区を何往復もする。郡山の運転士4人のうち、飯田さんはDD51の乗車経験がなく、講習では苦労したという。ただ、残る3人の運転士はDD51にしばらく触っていないとはいえ十分なキャリアを積んでいる。

 磐越西線ルートでの石油列車の初便は3月26日に決まり初便の運転士に指名された遠藤さんは一足早く郡山に戻った。すでに線路の補修は完了しておりタンク貨車タキ1000の入線確認も、JR東日本仙台保線技術センターの尽力もあり、わずか3日で完了していた。25日には実際に短い旅客車を引いた機関車で磐越西線の確認走行が行われた。

 車両には遠藤さんの他、信号や保線の専門家など15、16人が搭乗し、会津若松から郡山まで踏切ごとに止まりながら時速25キロで走行。遠藤さんは勾配の確認やアクセル・ノッチやブレーキをかける目標物を確認しながら、走行イメージを膨らませていく。
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