第61話:2016年のポルトガルとスペインの旅1

文字数 1,695文字

 2016年10月20日、成田からスペインのマドリッドへ直行便で14時間半かけて行く計画と立てた。数日間、マドリードを観光し、その後、マドリードからリスボンへポルトガル航空に乗りリスボン空港へ1時間半かけて飛んだ。10月20日、朝7時半、熱海を出て東京に9時に到着し、京浜東北線で東京から上野へ向かい上野から特急スカイライナーに乗り換えた。

 10時半に成田に着いて、12:20発のイベリア航空マドリッド行きの搭乗手続きを取ってて、登場する時間まで、カフェで待った。しばらくして搭乗時間になった。その後、成田を飛び立ち、約14時間の長旅が始まった。最初、石田健之助は奥さんと話をしていたが、疲れて眠りについて途中の食事の時に起きて、やがてマドリッド空港に18時半に到着した。

 空港のカフェで軽く食事を取ってクルーズの話をすると興味深そうに聞いていた。次回、私たちも一緒に連れて行って欲しいと言うと了解といった。今回、リスボンにいる間に、半日間のクルーズに今田夫妻とヨットクラブの友人の5人で出かけようと告げた。今回は、スペインのマラガからグラナダへ旅行へ行こうと言い、明日、チケットを取ると話した。

 今田さんに電話して、昼、近くのレストランで会う事にした。次に、銀行で1000ユーロを下ろして、レストランへ出かけ、今田さんに会い、費用を払うと言うと、500ユーロで良いですかと今田さんが言うので渡し、また、来週にでも、奥さん同伴で、5人で、リスボンからナザレまでクルーズしませんかというと、わかりましたと答えた。

 2016年4月19日、昼食を終えてリスボンからマラガの航空券を買ってホテルに戻った。グラナダのアルハンブラ宮殿は、前から一度行ってみたいと思っていたと、石田三千子さんが喜んだ。4月21日、ホテルからタクシーで空港へ朝6時半に着き、7:50分発、マラガ行きの飛行機に乗り、マラガに10時20分に到着し昼食を食べた。

その後、タクシーでアルバ公爵のブエナ・ビスタ宮殿の中にある美術館へ向かった。ここは、小さな美術館だが、絵画や彫刻など200点以上ものピカソの作品や親族による寄贈品が展示されていて多くの絵や彫刻を見られた。その後、マラガの闘牛場を見学に行った。ここは、1785年に建てられたスペインでも最も古いの闘牛場で、初めてスペインで闘牛が行われた場所。

 闘牛博物館が隣接しており闘牛の剥製や闘牛士の衣装などが展示されている。当時の活気が伝わってくるほど迫力のある闘牛場。最後にヌエボ橋という深い谷の上の橋へ出かけたが、石津健之助は高所恐怖症で、見られず、奥さんが、見て、多くの写真を撮った。短い時間だったが、タクシーを使って効率的に見て回り、明日のアルハンブラ宮殿の入場券も手に入れた。

 そして、予約しておいたホテルにチェックインし早めに床についた。翌日の朝食後、7時半にホテルを出てバスでアルハンブラまで行きチケットを見せて指定された10時の前にへネラリフェ、アルカサバを見学し終了。指定された10時からナスル朝宮殿の見学をはじめ、そのイスラム建築の素晴らしい彫刻や柱を見て感動した。

 しかし、破損と修理を繰り返されたと書いてありアルハンブラ宮殿の激動の歴史を感じた。特にアラヤネスの中庭は、素晴らしくコマレスの塔はアルハンブラ宮殿の中で最も高い建物で、感動的だ。内部にはバルカの間と大使の間がある。ここでボアブディルが、グラナダをカトリック両王に引き渡すことを決心したと言われている。

 またコロンブスが西周りでインドへ遠征するためにカトリック両王を説得した場所であるとも言われている。ライオンの中庭はライオンの宮殿の一部。長方形で、キリスト教の回廊のように124本の柱によって支えられた柱廊に囲まれてる。

 中庭の名前は12頭のライオンによって作られた中央の噴水によるものでライオンの上には十二角形の水盤がある。リンダラハのバルコニーは小さな長方形で、アヒメッセスの間から入ることができ、正面には二連のアーチが一つ、側面にもそれぞれアーチがあり、その精緻な彫刻には驚かされる。
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