第53話:奥さん体調不良でに、日本に戻る

文字数 1,634文字

 ヨーロッパを代表する観光地、マディラ諸島に来て良かったと石津夫妻は、心の中でつぶやいた。その後、2泊し、絶景を十分に楽しんで、リスボンに戻ってホテルにチェックインした。明日は、2013年10月28日は、ホテルで1日、まったりと過ごした。そうしてリスボン空港からスペイン・マラガへ飛んだ。リスボンは冬でも昼間が15度を超える日もあり暖かい。

 しかし、マラガは、冬の昼間の日向は、日射しがきつくて日焼けしそうになる。11月でも、20度以上になる日もありヨーロッパの富裕層の避寒地として有名だ。市内のエンカルナシオン大聖堂は、大きくて広くて、内部は荘厳な巨大な空間が広がり、まさに厳か、そのものだった。天井の高さは40m以上あり装飾や、天使の像などが素晴らしく、彫刻や絵画がも多い。

 まさに、世界屈指の大聖堂だった。マラガに一泊し、翌日は、イギリス領のジブラルタル空港へ飛んだ。ジブラルタルは、御存知の通りアフリカに最も近いヨーロッパ。そこは、切り立った岩山、ターリクの山。711年にこの地に侵入したアラブの首長ターリク・イブン・ザイードが「ターリクの山」と名付け、それがなまってジブラルタルになったのだと言われている。

 英語では「ザ・ロック」と呼ばれ、ジブラルタルの代名詞として親しまれてる。ザ・ロックの山頂からは、天気の良い日にはジブラルタル海峡の向こうにアフリカ大陸を望む絶景を楽しむことができる。標高426メートルへの山頂へは、ロープウェーが、便利。展望台やその周辺には、もはやザ・ロックの主となった猿たちが、我が物顔に歩き回っている。

 ジブラルタルが英国領だと知ってリスボンからイギリスに飛ぶ時は、ここから出発する方法もあると考えた。1泊したが、石津健之助の奥さんが、急に体調崩した。そこで、もう1泊して、飛行機で、ロンドンへ行き、病院にかかることを決意した。その後、ジブラルタル空港を11時半に出て、ロンドン・ガトウィック空港に到着した。

 そこから、ガトウィック・エクスプレスで、ノンストップでロンドン・ビクトリアまで30分。病院に直行してクレジットカードのゴールドカードについてる保険を使い診療を受けた。風邪という診断がついて,消炎鎮痛剤と抗生物質、胃薬、喉のうがい薬を処方された。この後、奥さんが日本に帰ると言うの、でポルトガル旅行と宿泊予定のホテルをキャンセルした。

 ロンドンで体調を回復させて風邪が、治り、成田行きの飛行機に乗り、2014年3月10日に日本に帰り、その晩に、熱海のマンションに帰った。2014年4月、豪ドルが上昇し、104円で164万豪ドル売り1億2千万円となり総計4.6億円となり奥さんの資産と合わせて石津夫妻の総資産が5.6億円となった。

 石津夫妻が、2014年5月8日の平成芙蓉会で、石津三千子の友人で、親しくしている香川里美、稲山美代子、菊田浜子、秀川節子と以前から計画していた、2014年7月3日に出発する、ポルトガル、スペイン15日の旅のチケットを受取り、旅行の話題で,持ちきりになった。石津健之助は、男性1人であったが、プライベートなので、極力,気を使わないようにした。

 食事会の後は,すぐに麻雀のグループと麻雀を始めた。そうて、2014年7月3日になり、成田空港で待ち合わせ、カフェで,お茶をして早めに搭乗手続きを取り、飛行機に乗り込んだ。成田からローマで降りてリスボン行きの飛行機に乗り換え飛んだ。途中、特に、激しく揺れる事もなく、機内では、女性陣はおしゃべり、石津健之助は、寝て過ごした。

 リスボンに到着すると,晴れていて海からの潮風で、乾燥しすぎることもなく、快適だった。飛行場から、地下鉄とタクシーで15分で、ホテルに到着した。そして、雑談しているうちに、石津夫婦は、荷物を置いて、フロントに来て、今晩は、ファドレストランへ行きましょうと言い、タクシーを呼んだ。大型のワゴンタクシーがやってきて6人全員を乗せた。
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