第15話:ハワイ旅行と奥さんの新たな仕事

文字数 1,675文字

 また海外長期クルーズに行きませんかと言いラスベガス、フロリダ、マイアミ、スイス、イギリスなどの旅行も企画していた。そして有名な旅行会社の方が、毎回、土産を持って参加した。ツアーのパンフレットを用意してクルーズやビジネスクラスの豪華海外旅行の募集もした。6月12日、そのツアー会社の方から石津三千子さんが、呼ばれた。

 透析患者さんのツアーとか心臓病の方のツアーなども企画しているが、時間があれば、給料を払うからツアーに参加してくれないかと誘われた。契約条件を書いた書類を渡され、是非、検討して下さいと頼まれた。家に帰って石津三千子さんから、その話を聞いた石津健之助は、悪い話じゃないから自分が行きたい所だったら行ったら良いと助言した。

 そうーね、自分が行きたい旅行で、給料をもらえるなんて夢のような話だから良いかもねと、笑いながら話すと、奥さんも同意した。1996年7月10日の熱海芙蓉会の時にハワイに別荘を持っている井上夫妻に今年、10月2日から1ケ月、ハワイに行くのですか、一緒に行きませんかと誘われ、井上夫妻は1ヶ月滞在します。

 しかし、石津さんは、いつ帰っても良いのよと言ってくれたので、石津健之助を呼んで、話を聞いた。ハワイのカハラ地区の以前、石原裕次郎の別荘のあった所から徒歩10分の場所に、4LDKの一軒家の別荘だそうだ。面白そうだねと旦那が言うので、参加させていただく事にして話がまとまった。

出発は10月2日のJALで成田からホノルルまでのチケットを予約してみますと答えた。その話を聞いた井上達弘さんが看護婦さんが、来てくれたら本当に安心ですよと言い、実は、以前、心筋梗塞でハワイで倒れ大変な目にあったそうだ。その後、必ず、旅行保険に入り万一に備え病院の場所も調べたと話した。

 10月2日、17時に熱海を出て、新幹線を使い1時間半で成田に着いて20時発のホノルル行きのJALで井上夫妻と共に乗ったが、彼らはビジネスクラスで石津夫妻はエコノミークラスだった。翌日の朝8時、ホノルル空港に到着し、朝食をとりタクシーでカハラの井上夫妻の豪華の別荘へ、途中ショッピングセンターで大量の食品、飲み物、ビールなどを買った。

 初日は、早めに時差ぼけを解消のため散歩に出かけ昼間に眠気を我慢し夜22時頃まで起きてビールを飲んで熟睡した。そのため、翌日は、かなり時差ぼけがなくなり近くのダイヤモンドヘッドへ出かけた。昼食を別荘で食べて夜にレストランに出かけてステーキをたらふく食べた。その後、ビールを飲んで、タクシーで別荘に戻り熟睡した

 翌日はレンタカーを借り、ノースショアへ行こうと言う話になり、カハラからホノルル、パールハーバーを抜けてルート99を北上した。途中、ドール農園に立ち寄り一休み。ハレイワの海鮮料理屋で昼食をとりワイメア渓谷で散策した。その後、サンセットビーチを抜け、タートル・ベイ・リゾートのカフェで、ゆっくり休んみ近くを散歩し2時間ほど滞在した。

 帰りは西側の海岸線を一気に南下、カフクを過ぎてカメハメハ・ハイウェイをクアロア・ランチの平原を右手に見て、カハルウを越えて途中で右折してヌアヌ・パンチボール方面にバリハイウェイを走り、国立太平洋記念墓地を左折してフリーウェイを走って、カハラの別荘に到着した。午後18時過ぎ別荘に到着しシャワーを浴びビールを飲みなが夕食をとり床についた。

 翌朝、9時まで寝て散歩した後に、またレンタカーでハワイ大学マノア校へ行き、近くの素敵なカフェで、昼食をとってからマノア渓谷へ行き、トレッキングをして、午後16時頃までかけて、広いマノア渓谷を歩いて回った。その後、カフェで一休みし、カハラの別荘に戻り19時過ぎ、飲みながら夕食をとり5泊した。

 明日の便で石津夫妻が日本に帰るので、翌朝9時に家を出て車で10時半頃にホノルル空港まで送ってくれた。井上夫妻に、謝礼として、5泊分、5万円をお渡しすると、いらないと言ったので、今後も、お世話になるので無料と言う訳にはいきませんと言い、受け取ってもらった。
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