第57話:コスタノバのストライプの家、帰国後、夏の北欧へ

文字数 1,694文字

 カワイイの一言につきる。それ以外の言葉が見つからない。まさに、今流行のインスタ映えですね! 観光客はいるけど、リスボンやポルトのようにごちゃごちゃしてないから、すごくのんびりした時間を過ごせる場所です。ビーチも近くにあるので夏場は海水浴も楽しめる。コスタ・ノヴァには2時間滞在して、アヴェイロへ戻り、電車の時間まで少し時間があった。

 そこで、アヴェイロの街を少し散策した。駅の出口を出ると目の前にあるのがこの建物。古い駅舎と書いてあり、昔の駅舎かもね。アズレージョが施してあって、とっても美しい駅舎。そしてバス停のほうに歩いていくと、壁に絵が描かれている建物。電車の時間になって、アヴェイロから夕方6時に、ポルトに着いた。その後、夕食をとって、早めに床についた。

 昨日のアゲダの傘祭りは、きれいで良かったと言い、素晴らしいアートフェスティバルだと、絶賛した。その後のコスタノヴァのストライプの家も素敵で、多くの写真を撮った様で、今度行く時は、アヴェイロで泊まって見たい位だと女性達が、口々に言った。こうして、明日、リスボンに戻って一泊して、日本に帰らなければい。

 冬でも昼間は15度位でマイナスになる事はめったにないようで避寒地としてもポルトガル南部は、良さそうだと石津健之助が話した。そして今晩が、最後のポルトになるので買い物に出かけて食事して帰って来た。明日、ゆっくり起き、リスボンへ移動。体調を整えてる様に心がけて旅行の間、特に不調を訴える人がいなくて良かったと石津健之助は、ひと安心した。

 リスボンの最終日を迎え空港へ行きローマ経由で成田の長旅となる。帰りは、飛行機で良く寝て、無事に2014年7月18日、成田空港で解散して家に帰った。また、近いうちに、秋から冬の、ポルトガルにも来てみたいと、香川里美、稲山美代子、菊田浜子、秀川節子が、言った。熱海について、数日後、往復の飛行機代が、石津健之助の口座に振り込まれていた。

 2015年の夏も暑く、毎年、35度越える猛暑日が増えた。日本に帰ってきてエアコンの効いた部屋で過ごす日々が続き、買い物も夜、日が沈んでから出かけた。そして8月が過ぎ9月になり涼しくなった。2015年7月20日、成田をお昼頃に飛び立ち約10時間でフィンランド、ヘルシンキ空港に15時頃、到着。ヘルシンキで予約していたヒルトンホテルに入った。

 そして旅の疲れもありシャワーを浴び、軽い夕食をとって、早めに床についた。翌日は、ヘルシンキの名所巡りをする事にした。まず、フィンランドの首都ヘルシンキは、陸地面積、210km2。東京山手線内の面積の約3倍の広さで、その中に64万人が暮らしており、一国の首都にしてはとてもコンパクトで落ち着きのある、穏やかな港町。

 バルト海に面しているので港の先に浮かぶ、のどかな島も街の一部。景観法で建築物の高さが制限されているため中心街にすら摩天楼は全く見当たらず道幅も広いので狭さを感じられない。建物の外も内も驚くほど静かな印象を受ける。最初に訪れたのはヘルシンキのシンボル的な建物であるヘルシンキ大聖堂。

 この建物は、1812年にロシアによって首都がヘルシンキに移された後に建設が始まり、1852年に完成した、天空に浮かぶような美しい白亜の巨大聖堂で、今も昔もこの街を優しく見守るシンボル的存在。聖堂を持ち上げる広大な階段は市民の憩いの場としても有名で、夏場は誰もがアイスクリームを舐めながらここに腰掛け、日光浴を楽しんでる。

 隣接した元老院広場は、御影石が敷き詰められたフィンランド最大の市民広場で、中央には雄々しいロシアの皇帝アレクサンダー2世の像がそびえ立っている。次に、海に浮かぶスオメンリンナ島へ向かった。ヘルシンキ・エテラ港から市営のフェリーボートで15分と気軽に行き来ができる、世界遺産に指定された群島、スオメンリンナ。

 ここは、かつてフィンランドを統治していたスウェーデンが、ロシアに対抗するため建設を始めた軍事要塞。岸辺には勇ましい砲台や潜水艦、壁跡などが残り、要所を訪ね歩くだけでも歴史を肌で感じられる。
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