第24話:豪州旅行と熱海芙蓉会会長に石津が

文字数 1,743文字


 その後、メルボルンに行きヨーロッパの街並みのようなブロックアーケードを散策したり美味しいパン屋のパンを食べたりして楽しんで3月2日に日本に戻ってきた。その後、日本で、春には、桜と桃の花を見に出かけ4月からカタマラン・クルーズ・ヨットに乗って釣りに出かけた。そして、いつもの日本での生活に戻り、魚料理を作って、食べて、ビールを飲んで楽しんだ。

 熱海芙蓉会の会合にも出て麻雀をして楽しんだ。この頃、以前ハワイの別荘に招待してくれた井上さんの夫婦の顔を熱海芙蓉会の会合で見なくなり、その後の状況を仲間に聞いて見ると井上達弘さんが昨年の1月の末に脳梗塞で倒れて長期入院し外出できなくなったこ事を聞かされた。お見舞いに行っても面会を断られた様で、その後、誰も行かなくなった。

 最近、高齢者が増え、熱海芙蓉会でも多くの高齢者が、熱海から近代的な医療を受けられる東京のマンションに移ったと嘆いていた。熱海芙蓉会に若者が増えるかというと現在の日本の状況では、サラリーマンが多くの金を稼げずベンチャー企業の方は忙しすぎて熱海芙蓉会の様な会に興味を持たなくて入ってくれないという話が多い。

 東京の知り合いの富裕層の方の子供さんに話をしても熱海に興味を持つ人がいない様で幹事も困っていた。そして夏が来てケアンズ旅行に7月16日から9月1日まで出かけ、涼しいケアンズでコンドミニアムを借りた。そして、豪ドルを使い美しい景色を眺めたり釣りをして、退屈しないで生活を続け、9月に日本に戻り、秋風が吹いてきて紅葉を見に行いった、

 やがて年末になり2005年を迎えた。新年早々、旅行会社からグアムの旅行の看護の仕事を1月10日から2月10日まで、お願いしたいと連絡があり1月9日の早朝、石津三千子さんが、家を出てグアムへ出かけていった。2005年、株価も上がり始め巷の景気も上向いてきた様だ。その後、石津健之助は、熱海芙蓉会の麻雀仲間と麻雀していた。

 その他、飲みながら夕食をとったり釣りに仲間と出かけ充実した毎日を過ごした。2月11日にグアムから石津三千子さんが、日焼けして帰って来た。2005年3月8日の熱海芙蓉会で昼食後、会長の篠田夫妻から石津健之助に会長を引き受けて欲しいと打ち明けられた。篠田正一さんは、今年80歳を迎え70歳代の人は多い60歳代の人に、世代交代をしたいと言った。

 そして先月の熱海芙蓉会の後、臨時幹事会を開いて候補者選びをした所、奥さんが、看護婦さんしていて夫婦で海外旅行へ行ったり英語が話せ社交性があり芙蓉会の友達が多く信頼されている人として石津夫妻が一番適任だろうという意見が多かったと打ち明けた。そこで石津健之助が、篠田会長に要望を聞くと若返りとマンネリ化してる運営を刷新したいと言った。

 現在70~80歳代のメンバーが多く、この年代が、抜けるとメンバーが20人程度になり、運営が難しくなると言った。東京、橫浜のメンバーも集めて、会合も、そちらで開いても良いかと聞くと全て任せると言った。篠田会長も病院通いで、会長職を辞めるつもりだと話した。この件は幹事会で、既に承認されていると言った。

 それで、私のどうしてもらいたいのですかと聞くと、できたら、この会を存続させたいので、若手、50から60歳代を中心に新規メンバーを集めて欲しいと言われ、了解した。今日の会合で会長交代を話したいと言うので、石津健之助が、体力的に、無理とおっしゃるなら、後は、引き受けるしかありませんねと言った。

 その後2005年5月10日の会合の時に、今回のメンバー46名を前に篠田会長が、体力的な問題で、会長職を退き、次期会長に石津健之助をお願いすると言うと拍手で承認された。石津健之助が、篠田会長から若い人をもっと集めて世代交代をしたいと言われ、東京、橫浜の60代のメンバーをさらに募集すると告げた。

 また、月に1回の小旅行や、麻雀大会、カラオケの会を企画すると答えた。それぞれの担当の代表と副代表を決めて行いたいと言い、石津三千子さんには、旅行担当してもらい、麻雀は武田史郎さんに、カラオケは山下義昭さんにお願いしますと言った。そして年間スケジュールを立てて、次回の会合の時に発表してもらいますと説明した。
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