第41話:被災地に石油を送れ5

文字数 1,651文字

 会津若松駅で待機していたディーゼル機関車DE10が、排気音を響かせながら力強く動き始めた。狭い車内に運転士2人のほか、線路整備、機関車接続技師など5人が搭乗し、郡山方面にひた走る。2時間もあれば停止場所に到着するはずだ。
「頼んだぞ」

 JR東日本会津若松駅長の渡辺光浩さんは、DE10に手を合わせたい心境だった。停止場所近くの橋から見守るJOTの渡辺さん。会津若松方面のレールを眺め
「応援が来るとしたらこちら側からだろう」
独り言をつぶやく。

「あ、なんかきたぞ」
現場にいた誰かが叫んだ。 
「こんなに早く、嘘だろ」
渡辺さんは眼鏡についた雪を払いながら遠くを見た。

 停車してからまだ2時間程しかたっていない。DE10は石油列車の最後尾に近付き停車。警笛が2回鳴った。乗車していた職員らが線路に降り、状況を確認、再び警笛が2回鳴り、DE10がさらに接近し、石油列車の後尾に接続された。DD51の運転席と通信しながら、DE10が動き出しのタイミングを合わせていく。

 立ち往生していたDD51運転士の遠藤さんが無線で叫ぶ。
「お願いします」
DE10が押す力がタンク貨車から機関車側へ伝わっていく。
遠藤さんは再びノッチを入れ、ゆっくりブレーキを解除していく。

 一瞬甲高い金属音が響いたあと静かに、しかし力強く石油列車が動き始めた。
「よし、動いたぞ」
 遠藤さんが声を上げた。
「おお、すごい」
 現場にいた日本石油輸送の渡辺さんらも思わず叫んだ。

 予想より早く到着した救援機関車。近くで待機していたんだと思うと、胸が熱くなった。再始動した石油列車は何ごともなかった様にカーブの向こうへ消えていった。午前10時前、石油列車が郡山貨物ターミナル駅に入線した。遠藤さんは時計に目をやった。

 約3時間の遅れだった。やり遂げたという思いと共に、停車の悔しさも込み上げてきた。駅にはテレビや新聞など報道陣が集結している。カメラのレンズが運転席を狙い、盛んにフラッシュがたかれた。JR貨物郡山総合鉄道部の幹部が運転席に声をかける。

「ご苦労さんだったね。無事に運べて良かった、良かった。ところでマスコミが運転士のインタビューしたいっていうんだけど、どうする」
「遠藤さんは、ごめん、なんか遅れちゃったし、そんな気分じゃないんだ、すんません」
 運転席に、こもったまま、遠藤さんは目を閉じた。

 停車までの手順に誤りはなかったか、ノッチやブレーキの操作、速度を思い返した。石油輸送は明日以降も続く。次こそは時間通りに石油を運ぶ。そう誓った。3月27日早朝、会津若松駅長の渡辺さんは、磐越西線の翁島駅付近を歩いた。昨日朝、石油列車の初便が走行不能となった場所はすぐに分かった。

 苦闘を物語るように、レールには車輪の空転による幾筋もの傷がついていた。渡辺さんは氷のように冷えたレールを指でなぞりながら、郡山方面に視線を向けた。被災地の復旧はまだ始まったばかりだ。
「はやく通常ダイヤに戻さないとな」

東北本線が復旧する2011年4月17日まで、小さな機関車故障や余震による緊急停車などに見舞われながらも石油列車は運行を続けた。輸送最終日、郡山から4つ目の磐梯熱海駅には地元住民や鉄道ファンが集まり、感謝の横断幕も掲げられた。なかには「DD51ありがとう」と書かれたものもあった。

「俺たちじゃないのか」、
渡辺さんは一瞬苦笑いを浮かべ、
「お前も本当によく頑張ったよな」
と運転台をなでてやった。

 4月17日までJR貨物は磐越西線ルートで2万キロリットル、日本海ルートで3万7000キロリットルの石油を被災地に運んだ。タンクローリー2850台分に相当するという。石油列車の運行と前後して宮城県の塩釜港や福島県の小名浜港にも大型石油タンカーが入港できるようになり現地のガソリンスタンドに並ぶ給油待ちの車列は徐々に消えていった。

*被災地に石油を送れ1~7は、サンケイニュース情報を引用しています。
*出典:サンケイニュース、SnakeiBiz【被災地へ 石油列車】より。
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