第47話:ポルトガル長期旅行

文字数 1,803文字

 その話を聞いた石津三千子が、古い話だけれど「ちあきなおみ」という感情を込めて歌う歌手がいた。1992年9月11日に夫の郷鍈治が病死し荼毘に付される時、ちあき・なおみは、柩にしがみつきながら「私も一緒に焼いて」と号泣したという。これを最後に歌手業を含めた芸能活動を全面的に停止し引退し芸能人との交流を絶った。

しかし、天才的な歌手で、彼女が、一時、このファドに感銘をうけて、「待夢」というファドのアルバム出してるので、是非、一度、聞いて欲しい。その晩、帰ってインターネットで、その歌を聞いた伊東慶子さん、清水克子さんが感動して、しばらく涙が止まらなくなったと絶賛した。ポルトガル、ファド、恐るべしだねと言った。しかし、私たち、何、勉強していたんだろうね、こんな事も知らなかったなんてと、話した。

「それを聞いていた石津健之助が、現代社会が、便利なり過ぎてるからさと語った」
 便利すぎて、こちらから学問の扉、過去の歴史の扉を開けなくても表面上の知識を教えてくれるからだよと付け加えた。自分から能動的に勉強しないと狡猾な商人や政治家に若者達が、皆、洗脳されちゃうよと脅かした。そーね、気をつけなければなと若者4人が納得した。そうして、夜遅くまで、ファドを聴いて、飲んで、ホテルに帰った。

 翌日は、不動産屋に入ってリスボンの家は高く50万ユーロでは、古い家1軒が精一杯と言われポルトの郊外へ行けば、もっと広くて新しい家が、手に入と教えてくれた。翌日、列車で3時間かけてポルトへ、列車の車窓の景色は良いが、かなり揺れるのが気になった。しかし、気分を変えにビュフェ車両へ行き、ビールとツマミを頼んで、飲みながら外の景色を眺めていた。

 その後、席に戻ると心地よい酔い心地で、寝ているうちにポルトに到着。そこからポルト市内の川の見えるポルトのアパートホテルにチェックイン。翌日は、ポルトの町を散策しホテルの近くにカフェ・プログレッソという1899年創業のカフェがありアーモンドケーキとクロワッサンとエスプレッソで昼食をとったが、これが絶品で格安であった。

 そのため、お腹が空くと、この店に入るのが楽しみになった程だ。その後、不動産屋で、50万ユーロで2軒、並んだ家はないかと探し始めた。条件に合う5つの物件を探し出してくれた。1軒はポルトの中心街から近くの古い煉瓦造りの家で築20年で4LDKで、現在も,ご老人が、2人ずつ住んでいると教えてくれた。次は、

 そこから内陸部へ20分程、いった新興住宅街の感じの家で、大きなスーパーと銀行があり、新築の木造の家が、整然と並んでいて3LDKのきれいな色の2階建ての木造一軒家が建っており、2軒で54000ユーロだと言ったが、完成してから、多分、1~2年以上は建っているようで、壁が、埃で,汚れていた。

 そこで、英語で、人気がなさそうですねと聞くと笑いながら言うと、そうでもないですよと言い返した。ポルトガルの賃金が低く、新婚さんが、買いたくても手が出ないと苦笑いした。その後、海沿いはと聞くと古い家ならあるが、はっきり言って後から苦情が出ても困るので、奨めませんと言い、理由は、海風で金属が錆び洗濯物もとばされたりする。

 また、砂埃で、生活にも支障をきたすと言い、そのため、ポルトガル人は、海辺から1キロ以上離れて高台で景色の良い家を欲しがりますと説明した。そこは人気があり、値段も高く、現在、売り物件がないと言った。その後、川沿いから坂道を上がった高台の景色の良い場所の物件を見せてくれて、リビングからの景色も良く、それ程、古くなかった。

 しかし、ここを購入した高齢の方が、歩いての上り下りが、厳しいと5年前に、手放したと教えてくれ、ここは、若い人向きですねと言った。同行した若者達は、見学した家を何枚も写真に撮っていた。次にポルトの駅から近いマンションの2室を見せてくれ景色もそれ程良くない割に狭くて割高だと思うと言った。建物の中は狭い2DKのマンションだった。

 そして2時間、家を案内してもらった。どこも良い点、悪い点がはっきりして、ちょうど良い物件というのが、なかった。若者達は、車で移動するから郊外の新興住宅街が気に入ったと話していた。そうて、翌日、佐藤君達、リスボンに戻り、今田夫妻の知り合いの不動産に、50万ユーロでリスボンのマンションの2部屋を買う相談をしたようだ。
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