第2話:配属後の内容と情報収集

文字数 1,771文字

 彼らは、記憶力が弱く、困っていて、たまりかねた講師の先生が、研修生の当番制の仕事も減らし勉強時間を多く取るように配慮したが、最終的には2人が脱落し3ヶ月の研修の卒業生は8人となった。これも会社では、予定内で、常に2割程度の脱落を想定して合格させていると終了時に講師から聞かされた。

 遂に7月10日の研修の終了日を迎え人事部長の新入社員の心得を聞いた後、ご苦労さん会は、すき焼き、ビール解禁。研修の3ヶ月間は、禁酒、禁煙なので喜んで旨いビールを何本も飲んで酔っ払った。その後、山陰の研修所から解放されて、各自、実家に戻り、3日間の有給休暇をもらい、石津健之助は、東京支店、城東営業所に配属されて7月14日に出社。

 城東営業所には、山田勝義所長と飯山達彦課長、諸山富雄係長、2年先輩の絹田英彦先輩、1年先輩の山室和夫先輩、石津が、配属された。6人で、江戸川、江東、葛飾、足立の4区を担当している。石津が担当するのは、中小病院7件と、開業医13件の合計20件と、大手、医薬品卸5件を訪問することになっている。

 会社の独身寮が完備されて、朝7時過ぎに、会社の車、大手、医薬品卸5件を訪問して、エリア担当者と仕事の状況を聞き、必要があれば、訪問要請のある開業医や病院を訪問することになり11時半と12時に開業医を2件訪問して、昼過ぎに中小病院を訪問して、13時半から14時に、駐車場のある、ファミリーレストラン、牛丼、ラーメン屋で食事を取る。

 時間がある時は、営業日報の話題をメモし14時半には、店を出て15時前に開業医に訪問、17時過ぎに患者の少ない中小病院の医局を訪問。各科の先生から情収収集の仕事して、その後、外来患者の多い中小病院を訪問して情報収集。次に早めに終わる開業医の訪問と、終わりの遅い開業医を訪問して1日の営業活動を終える。

 19時、営業所に帰り収集した情報で、特に大事な事や他の病院、開業医に関係する情報は、営業所長、課長、係長、関係する開業医、病院の担当者に伝える。その後、今日の日報を書き、大きな問題や話題がない場合は、20時半に仕事終了。そして酒好き、麻雀好きな先輩に誘われると、0時近くまで付き合うことになる。

 平均して週に2-3回は、遅くなる場合が多く、医薬品営業プロパーは、激務だ。その分、日当が2千円が出て、さらに営業成績によって会社目標を大きく上回るとボーナスの加算が増える。また、営業のキャンペーン競争で全国トップになると、ボーナスと同額程度の報奨金が出て、2位で半分、3位で四半分が加算されるので年収は同年代では、かなり多い。

 それに各営業所で、必ず、月1回土曜勉強会と称して、自社の医薬品に関連する文献の読み込みや、関連するテストを行うのが常だった。城東営業所では、学術肌の諸山富雄係長が月に2回の勉強会を仕切っていて、若手に講師をさせ、鍛えていた。3年位すると、担当を交代する場合が多い。

 石津健之助も1975年4月から国立、都立病院、企業関連大型病院4件担当して、中小病院5件、開業医6件の15件担当となった。月間売上目標金額も、大幅に増えて、面会する医者の数も倍増。そして、仲良しの先生や愛宕製薬と親しい先生とのゴルフ、テニス、飲み会の接待が増えてきた。

 その交際費も若手で年間20万円だったのが、大病院を担当すると年間100万の交際費が与えられる。この接待というものが、実に難しい、ターゲットの先生の、お気に召すレストランでの食事、飲み屋、ゴルフ場、テニス場を把握しておかねばならない。

 その先生の喜ぶ事、タブー、仲の良い先生の名前、悪い先生の名前を覚えねばならなく、接待は、はらはら、どきどきの時間を過ごすことになった。食事の味やゴルフ場、テニスコートの良さなんて感じてる余裕はなく、常に神経を張って、先生の話や行動を全て、覚えて、メモしていなければならなく、実に大変な仕事だった。

 そのため最初の3回は、上司同行で、接待の場合が多く、胃潰瘍になる医薬品プロパーが多い多かった。しかし実際には、馬が、合う先生を探す事が、一番大切だとわかった。いかに早く、馬が合う先生を1人でも多く探すかにより業績の善し悪しが決まる。さらに、医薬品プロパーの年収、出世もそれにより決まると言っても決して過言ではない。
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