第60話:リスボンからポルトへクルーズ1

文字数 1,645文字

 リスボンのカフェを楽しんで、夜はファドレストランで夕食をとり、ホテルへ。翌日は、特急電車でポルトへ移動して、きれいな川沿いの道を散策して、素敵なカフェで、休みながら、かなりの距離を歩き、丘に上がり、ポルトのきれいな街並みと、家と川のコントラストを見て、多くの写真をとり、素敵なレストランに入り、ゆっくり食事をして、早めにホテルに戻った。

 ホテルのコンシェルジュにポルトのヨットクラブでカラマラン・クルーザーヨットを借りれるか聞くと、船舶1級免許を持っていれば、1日・24時間で500ユーロで、カラマラン・クルーザーヨットを借りられるというので、予約しておいてもらった。翌朝、9時にヨットクラブへ行き、カラマラン・クルーザーヨットの取り扱い説明を聞いた。

 近くを運転してから、お金を払い契約書にサインして10時にヨットハーバーを出て大西洋を南下してコスタ・ノバをめざし出港。お昼過ぎにコスタノバに到着。以前、来た事があるので、ストライプ模様のかわいい家を見て回り写真を撮った。パンと飲み物を買って13時に進路を北にとりポルトをめざした。海津夫妻で、出発し、14時過ぎ、ポルトのヨットクラブに到着。

 クラブの係員にカギを返しに行くと、こんなに早く帰ってきたのと笑いながら言い、これなら、1日、24時間でなく6時間契約で200ユーロで良いと言い契約書を書き換え300ユーロを返えしてくれた。彼にポルトガルのヨットクラブでは時間借りでカラマラン・クルーザーヨットを借りる人が多いのかと聞くと大都市、リスボン、ポルトでは、借りる人が多いと告げた。

 ポルトガルでも海辺の村で自宅にトレラーでカラマラン・クルーザーヨットを牽引して行ける人以外、ほとんどレンタルが多いと教えてくれた。その後、そのヨットクラブのレストランで、奥さんと一緒に海を見ながら早めの夕食をとってタクシーでホテルに帰り早めに床についた。翌日、今田さんと彼の所属するヨットクラブへ行った。

 そして今田さんと友人の3人で、リスボンからポルトガル最南端、ファロへ行って、その後、北部のポルトへ行き、リスボンに戻る、2泊3日のクルージングの詳細を検討し、実行する事にした。その間、エレナさんと石津三千子は、リスボンで、待っていてと、お願いした。数日後、午前中、男性3人が、食料品、水、飲み物、軽油を満タンにして、必要な物を全て、そろえた。

 そして、昼には出発して、ファロの港を経由して、そのまま、北上して、リスボンを通り越して、ポルトへ12~15時間の長距離クルーズをして帰ってくる計画で出向。昼過ぎ、リスボン港を出ると、海は、それほど荒れてなく順調に進みインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの生誕地のシネシュを通りラゴスを抜けて、ファロへ到着したのが、夜19時。

 カラマラン・クルーザーヨットの中で食事して軽油を満タンにして食料品、水、飲み物を多めに補充してからベッドに入った。翌朝、日の出と共に起きて朝6時前にファロ港を出向し、一路、北上し、昼に、リスボンを通り14時過ぎにペニシェ沖を抜けて15時にナザレ沖を通り、17時過ぎ、コスタノバの沖を通り、夜19時過ぎに、ポルトに入港した。

 その後、港の近くのレストランで夕食をたべた。そして、カラマラン・クルーザーヨットの軽油を満タンにして、すぐ、ポルト港を出て、夜間クルーズを始めた。21時にコスタノバ、23時にナザレ、午前0時にペニシェ沖を抜けて、2時半にリスボン港に入港し、無事、長距離クルーズを終えた。その成功を祝して固い握手を交わし3人とも感激のあまり涙ぐんだ。

 そのまま、ヨット内で、寝て、朝8時に起きて、カラマラン・クルーザーヨットの内部を掃除して、下船した。石田健之助は、今田さんに車でホテルへ送ってもらった。ホテルにつくと無事に帰って来た石田健之助を見て石田三千子さんが、抱きついて出迎えた。その数日後、友人達に、別れの挨拶をし、2015年8月30日、日本へ帰っ行った。
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