第13話:中村さんの葬儀と遺産、奥さんの退職

文字数 1,615文字

 同じマンションの加納夫妻も来た。受付では中村小夜子さんの歌を聞いて励まされた感動したとか言う参列者が多い。香典をもらい石津夫妻が、中村小夜子さんのお墓を寺の住職に言って建ててもらった。葬儀が全て終わり手伝った人達に、お礼を言い告別式を終了。翌日、中村小夜子さんのお墓の前で、石津夫妻が、無事、葬儀が終わりましたと手をあわせた。

 すると、まるで、お日様が、喜んでいるかの様に雲間から眩しい光が差し込んだ。きっと、中村小夜子さんが、喜んでくれているんくれているんだわと、石津三千子が言うと、石津健之助は思わず目に涙を浮かべ、奥さんをしっかりと抱きしめた。その後、家に帰り、翌週の月曜日、石津健之助が、遺産の明細と、手続きを取ってくるからと、奥さんに言った。

 駿河銀行・熱海支店で、遺書を銀行員に見せ貸金庫を空けてもらいダイヤモンドとプラチナの指輪、サファイア、ルビー、エメラルド、大粒の黒真珠のネックレスと10キロの金のマリア像があった。預金通帳には3255万円と記帳され全額を石津健之助の三菱UFJ銀行に送金。貸金庫の宝石類は、持参した袋に入れて所定の書類にハンコを押してもらった。

 銀行で金の保管について聞くと金は専門の業者さんに保管して金の価格が高くなったら買ってもらう方法が一般的ですと教えてくれた。そこで田中貴金属に話を聞くと、保管料が年間1万円で買い取り価格は、金価格に比例して動くので、うちで保管して売る方が安心ですよと言った。
その日の晩、奥さんが帰ってきて宝石を見ると何て立派なのと驚いた。

 これらの宝石、使うと聞くと、いや、残しておいても仕方ないから金以外は売りましょうと言った。そこで、金の保管と売却方法について聞いたこと話すと、明日、東京へ行き金のマリア像を保管してきて下さいと言われた。一緒に宝石も売ってきて下さいと言われて、翌日、東海道線で東京・銀座の田中貴金属へ行き金の保管手続きなどを聞いた。

 宝石の買い取りの店を3件程、回り一番高い値段の店にダイヤモンドとプラチナの指輪とサファイア、トパース、大粒の黒真珠のネックレス合計78万円で売ってきた。家に着くと既に奥さんが帰ってきて78万円で売れたというと驚いていた。その後、石津健之助の口座に3255万円が振り込まれ、資産が1億7千万円と10キロの金のマリア像になった。

 この日は、奥さんは仕事で疲れた様で看護婦の仕事きついから辞めたいと言いだし奥さんの考えを尊重するよと答えた。冬の熱海は日射しが良い日には南向きの部屋は20度を超すくらい暖かくなる。冬の熱海は忙しい1月末から、あたみ桜、糸川桜まつりと熱海梅園梅まつりが同時に行われる。1996年3月入り石津三千子さんは病院を退職することを決めた。

 そして、1995年3月末付けでの退職願を病院に提出し正式に受理された。3月が終わると今度は、富士吉田から山梨に入り桃の花の見頃、きれいなピンクの桃の花が咲き誇る。今年も、石津夫妻は、レンタカーを借り、熱海から来宮駅前を通り熱海街道を十国峠から箱根峠を抜けて右手に芦ノ湖を見ながら、湖尻峠、長尾峠を抜けて御殿場へ。

 御殿場から東富士五湖道路を端に山中湖を右に見て北上し河口湖へ行き河口湖大橋を渡り、さらに北上して御坂みちをずーっと走り、一宮御坂インタへと続く、そこからは、桃の花の広い畑が続き、まさに桃源郷となる。遠くから見て近くで桃、桃の花は実に美しいものだ。一通り見終わり、近くのレストランで昼食をとり、一休みした。

 そして、来た道を帰えれば、15~16時、熱海に戻れる。1995年4月、橫浜の中華街で昼食をとった。その後、運動のため元町の急坂を上がり海の見える丘公園から外人墓地、山手の洋館、エリスマン邸、べーリックホールを見て、今度は、元町に続く急な下り坂と階段を降りて元町に出て、カフェでお茶して休息を取り、石川町駅から横浜経由で熱海に帰った。
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