第14話:株投資とドライブ、海外旅行

文字数 1,631文字


 石津健之助は、奥さんが退職したのを機にスカイライン2000GTの新車を買い、早朝、鎌倉から由比ヶ浜、七里ヶ浜から江ノ島へ。、さらに海岸線を鵠沼、茅ヶ崎、平塚、大磯を走り、西湘二宮から西湘バイパスに入る頃には、前方に富士山、左に相模湾を見ながら西湘バイパスの早川の分岐点を直進し、根府川、真鶴、湯河原、熱海に戻るドライブを楽しんだ。

 1995年6月15日朝、株投資の石本聡さんから電話でソニー株を3750円で1万株、3750万円で買うようにと連絡があり、N証券の担当者に指示すると、買えたと連絡があった。1995年7月、8月の暑い日は、東富士五湖道路を使い、高原の涼しい場所へ、涼みに行った。8月、夏本番になると御殿場、富士吉田を抜けて、山梨県に入る。

 韮崎から避暑地、清里で、涼しい夏を満喫し夜遅く熱海に帰ってるドライブに出かけた。やがて9月に入り加納夫妻のカラマラン・クルーザーヨットに石津健之助が、奥さんを誘って酔いそうになったら、すぐに岸に戻るという条件で、誘うと、怖いけど、興味があると言い、乗り込み、伊東までのショートクルーズに出かけた。

 夏の海は、穏やかで天気も良く加納さんのカタマラン・クルーザーは、安定性の高い双胴型で揺れが少ないのが特長。そのため船酔いせず、1時間程で、熱海に帰ってきた。秋が深まり1995年11月15日、早朝に、車で清里高原へ向かい高原の一足早い紅葉を見に行くと色づいた木々が、おりなす素晴らしい自然の色のコントラストに、しばし、時を忘れて感動した。

 その後、諏訪湖に出て信州そばを食べ、出始めた信州のサンふじリンゴを10kgの箱を買い熱海に帰った。お世話になってる管理人さんや加納夫妻に配ると喜んでくれた。やがて年末、長年親交のあった中村小夜子さんと、お別れした1995年が終わり1996年を迎えた。その後、冬、暖かい熱海のマンションで過ごし、春まで風邪に気をつける様に心がけた。

 そして4月になり、加納夫妻のカラマラン・クルーザーヨットで釣りを初め、毎週、釣りの日々を過ごした。その後、銀座、日本橋、橫浜、元町、中華街をぶらついて、土日は家にいて火曜は、釣りに木曜日は東京か横浜へ出かける生活を始めた。その後、加納夫妻が、石津の奥さんが退職したのを知ってから、熱海芙蓉会という、富裕層の会合に誘ってくれた。

 その会は、毎月第二、四の日曜、昼から17時まで熱海のホテルの景色の良いホテルのレストランで、昼食をとって、大きな宴会場を貸し切って、カラオケをしたり、いろんな話をして、仲間同士の親交を深めていた。メンバーは総勢で56名、半分程度が夫婦同伴で、その他は1人で、連れ合いをなくした富裕層が多かった。

 4月の第2、4日曜日に、加納夫妻が石津夫妻を同伴して、熱海芙蓉会の仲間に、紹介してくれて、石津夫妻が自己紹介をした。奥さんが看護婦さんをしていたと言うのが話題になり、中高年が多く、多くの病気の相談をされる様になり、いろんな面で重宝がられるようになった。その他、石津健之助は、釣りの名人という紹介であった。

 そのため加納夫妻のカラマラン・クルーザーで、釣り同好会を開いた。石津三千子さんは医療相談で病院の紹介や、何科を受診すべきかなど、生活指導を毎回、数グループに呼ばれ、人気者になった。いろんな有益な情報を教えて上げると感謝されて高価な土産をもらったり商品券をいただいたり、お中元、お歳暮も増えた。

 その中に井上達弘さんと井上慶子さんの夫婦が、春と秋に、ハワイの別荘に1ケ月、行くのですが、一緒に行きませんかと誘われた。奥さんの井上慶子さんが、リウマチで困っているという話で、国立相模原病院を紹介した。

 その後、病院での治療を受け、リウマチの痛みの症状が、すっかり楽になったと感謝された。井上夫妻は、自分達が、ハワイに行かない1997年4月と10月以外は、熱海芙蓉会の仲間に、1週間単位で別荘を格安で貸している様だ。
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