第6話:退職後、熱海で静養し投資開始?

文字数 1,635文字

「その後、松本営業所の6人の営業所員が、石津に、お世話になりましたと挨拶した」
「お陰様で年収が増え、社内での個人評価も上がり本当にありがとうございますと言われた」「今後、療養に励んで、早く、お元気になって下さいと言われた」
「石津は、もうやり残した事はないと言い、清々しい笑顔を見せ松本営業所を後にした」

 その後、東京の斎藤貢支店長からの電話が入った。退職金は、2千万円と告げられた。また、愛宕製薬の愛宕宗一会長から石津君の多年にわたる我が社に対する貢献を考えて表彰状、退職金と同額の慰労金を出すように言われたと話した。退職金と慰労金2千万円ずつで合計4千万円を送ると言われ、送金先を聞いたので、お知らせした。

 今までの預貯金6千万円と合計1億円となった。つくば市の家に帰って、どこに住もうかと考えて暖かくて温泉があって東京も近く医療機関が近くにある場所を探してみた。湯河原、熱海、小田原が候補になり熱海の賃貸マンションはどうかと考え、熱海の不動産屋を当たった。すると数件あると言われ賃料が10万円で広めの2DKがあると言われた。

 3日後の1992年3月13日、出かけ、熱海駅前の不動産屋へ行くと、不動産屋の車に乗って、5件を見せてくれて、古けれど、源泉を引き入れてる所が、良さそうなので、検討してみますと答えた。熱海から、一番近い大型病院はと聞くと隣町に、湯河原厚生年金病院、車で15分、その他、小田原市立病院が車で30分の所にあると教えてくれた。

 熱海のKM温泉ホテルに3泊して、源泉の温泉を引いてるマンションの2DKを1992年3月17日に月・10万円でマンションを借りる契約を結んで、住むようになった。ただ、家賃の他に諸費用が5万円かかり、合計、月に15万円の家賃とわかり、ここに決めた。そのマンションの賃貸契約を不動産屋と交わした。

 やがて、4月を迎えて、春めいて暖かくなり、毎日、朝と夕方の2回、温泉につかり、美味しいものを食べて、石津健之助が、だんだん顔色も良くなってきて、散歩する意欲も出て来た。5月の連休があけた1992年5月7日に、石津は、奥さんと、東海道線で橫浜へ行き、中華街で昼食をとって、山下公園を散歩した。

 熱海から橫浜まで約1時間10分、小田原駅まで21分、東京駅まで1時間35分、新宿まで2時間であった。その熱海のマンションは、訳ありで住んでいる住人も多かった。というのは、石津夫妻が入居したときに自治会で歓迎会をしてくれ、自己紹介をすると、以前、芸能界にいたとか、若くして、投資家として住んでいる人、また、作曲家、歌手、小説家も多い。

 一般サラリーマンは、ほとんどいない状態であり、もっと大きな、熱海芙蓉会という組織もあり、良かったら入会しないかと誘われた。その時、自称投資家という30歳代、後半の男性が、石津真之介の所へやってきて、あなたも、まだ、お若かそうだが、今の資産を増やしてみませんかと話しかけて来た。

 彼は、石本聡39歳と言い大学を出てから投資で数億円の金を作り悠々自適な生活をしている。人に縛られるのが嫌いで、いまだに独身だと告げた。投資なんて経験ないし、金も、あまり多くないので辞退しますと言った。いや、そう言う人程、将来のために、お金を増やすべきなのですと説明し始めたので、私には自信がないというと大丈夫、教えてあげると言った。

 電話番号を教えてくれと言うので教えた。すると熱海のN証券にお金を入れといて下さいと言われ、どの位、必要ですかというと聞くといくら、お持ちですかと聞くので約1億円というと、半分の5千万円、入金してと言われ、了解した。

 その後、8月12日電話が入り伊藤忠商事を345円で6万株買いを入れて下さいと言われた。それをN証券の担当者に指示すると10分後、345円で6万株、2070万円で買え、残金が2930万円と連絡が入った。その後、1992年9月、パスポートを取ってオーストラリアと旅行を企画した。
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