第16話:旅行看護婦の仕事1

文字数 1,646文字

 そして、空港で昼食をとり搭乗手続きを済ませ13時前の飛行機に搭乗して、すぐに寝てしまい、起きて、しばらくして成田空港に17時半に到着。1996年10月9日、19時半に熱海のマンションに帰った。今回、オアフ島を1周したが、そんなに大きい島でない事がわかった。今度は、ハワイ島にも行きたいという話になり、次回、ハワイの4島クルーズを考えた。

 その後、1996年12月20日から4週間のグアム旅行に旅行会社から依頼された仕事に出かけることになった。旅行費用とホテル代無料で、20万円の給料を支払う契約。石津健之助が、成田空港まで送ろうかと言ったが、東京駅で、旅行会社の3人と待ち合わせているので、1人で行くと言い、家を9時に出発した。

 グアムで、レオパレスリゾートに4週間滞在予定。中高年のツアー客が体調崩した時、一緒についていくため携帯電話を持たされた。しかし、観光したりショッピングセンターに行くのは、自由。何かあった時に旅行会社の救急セットを持ちスタッフの車で病院について行くのが仕事。マイクロネシアモールやグアムプレミアムアウトレット、ギャレリアのカフェで待機していた。

たまに旅行会社のスタッフが、恋人岬にドライブしてくれたりPICクラブへ送ってくれてカヌーを楽しんだり泳いだりして楽しんだ。しかし2週間もすると飽きてきて何もしないでいるのも退屈だと言う気になった。ツアー客が、海で足を切ったとか虫に刺されたとか暑気で体調を崩したなど軽傷が多い。消毒薬で傷口を消毒して包帯をし消毒用ガーゼを絆創膏で止めた。

 その他、ステロイド軟膏を塗ったり暑気で体調崩した人は、涼しい所で休ませて生理食塩水のような飲み物を多めに飲ませた。もちろんクリスマスパーティーは、ヒルトンホテルのレストランで盛大に行い、ハッピーニューイヤー・パーティも開かれて楽しかった。1月、70代の女性が、ひどい下痢症状でグアムメモリアル病院に連れて行った。

 念のため3日間の入院をしたが、クレジットカードのゴールドカードを持っていて治療費を請求できるので良かったが、一番、スタッフを悩ませるのが医療費の支払いの問題だと言う事がわかった。グアムでは4-6泊の短いツアーが多く旅行保険に入っていないケースがあり、その時には、日本では考えられない高額の医療費を請求される場合が、ある。

 宿泊したレオパレスリゾートには、日本の有名なプロ野球やサッカー選手、テニス選手、プロゴルファーが長期滞在しトレーニングをするようで有名選手にレストランで会いサインをもらったりできるようだった。しかし石津三千子さんは恥ずかしがり屋で、とても言い出せなかった。日本に帰る前日、旅行会社のスタッフが送別会をしてくれ1997年1月20日に成田から熱海に夜22時に到着した。

 その間、石津健之助は熱海芙蓉会のメンバーのクリスマスパーティーの呼ばれて、お酒を飲んで、メンバーの家に泊まったりした。加納夫妻の主催の新年クルーズに誘われて、熱海芙蓉会のメンバー6人と加納夫妻の8人で伊東までショートクルーズを楽しんだ。麻雀大会にも誘われて3時間も麻雀を打ち続けて疲れて家で、すぐ寝てしまった。幸いにも風邪も引かずに1ケ月を過ごすことができた。

 1日2回の温泉に入るのが、元気のもとかも知れないと石津健之助は、勝手に納得していた。今年は、全く雪が降らずに太陽が上がると、部屋は、暖房いらずで暖かい。奥さんが帰り熱海の寿司屋に行き日本の食事は最高だと、しみじみ言った。グアムは、パサパサのパンや、おにぎりも、かたくて、お米が、美味しくなくて困ったと話した。

 1997年3月10日~4月10日にラスベガスのツアーも来て欲しいと旅行会社に依頼された。仕事は、暇で、旅行看護婦の仕事は、非常に楽だと笑いながら言った。今年もラスベガスに行くつもりなので宜しくと奥さんが言うと、ご自由にどうぞと言った。そこで翌日、東京の旅行会社にラスベガス旅行の仕事を引き受けると連絡した。
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