第64話:バルセロナからリスボン、マディラ諸島へ

文字数 1,718文字

 いや、このまま、Uターンして帰りましょうという意見が出て多数決をとると3人が、ホテルに泊まる。5人が、このまま帰ろうという事になり帰る事に決まった。そこで、手分けして軽油を満タンにしてヨットの周りも点検。食料、飲み物、水、その他、必要なものを買い込んだ。

 そして22時過ぎ、バルセロナを出港し、風が良くなったので、セイリングを3人に任せて、必要な時に起こしてくれと言って石津健之助と今田たちは、ベッドに入った。他の3人もベッドやソファーで寝て、他のクルーが、運転を始めた。疲れもあったせいか、石津と今田は、4月17日、朝6時過ぎまで熟睡した。起きると、他の3人も起きた。

 そして、今度は、セーリングしていたクルーと交代して他の3人のクルーで、セイリング航海を開始。6時間後の昼過ぎ、風が弱くなったのでエンジンを始動して高速運転を開始。22時にマラガに到着し軽油を満タンにして夕飯を食べた。シャワーを浴びて23時半に出発。4月18日、10時半にポルトガルのウェルバを過ぎて、エンジンでの高速運転を始めた。

 4月18日の夜19時にリスボンの港に到着。来年、2018年2月、石津夫妻と平成芙蓉会の香川里美、稲山美代子、菊田浜子、秀川節子とポルトガルの西方の離島に出かける計画を立てた。2018年2月10日、成田からマドリード経由でリスボンへ飛んだ。まず、リスボンに2泊し、翌日、大西洋の真珠と呼ばれているマディラ島へ出かけた。

 リスボン空港から飛行機で2時間でフンシャル空港のへ着いた。マディラ島観光の拠点の町、フンシャルまで空港バスで1時間弱、南国の花、南国の果物、明るい色彩が美しい。大聖堂へ行ってみたが、それほど大きな建物ではないが天井がマデイラ杉で精妙に彫刻されている。ここでは、何と言っても、世界一の断崖絶壁、海抜約580メートルのジラオン岬が有名。

 そこで、早速出かけたが、想像以上の険しく、下を見る事ができない。しかし、展望台には、足元に厚い強化硝子を張ってあり下の景色が見える。また、南国フルーツや野菜、花が所狭しと並んでいた。この島は、その温暖で年間を通して安定した気候のためラン、ストレリチア「極楽鳥花」、アンスリウム、モクレン、ツツジ、プロテア、その他、多くの花々が栽培されている。

そして、それらの多くの花が庭園に、咲き乱れていた。まさに、全ての大陸の花と植物を自然の環境のままで鑑賞できる。特にマデイラの花、ストレリチア「またの名をバード・オブ・パラダイス」「または、別名、極楽鳥花」も咲いた。これらの熱帯植物と亜熱帯植物の一部は、マデイラ ワインの取引で財をなしたイギリス人商人たちにより集められた。

 それは、18世紀と19世紀、この島に持ち込まれたもので、彼らは自分たちの荘園建設の場所としてモンテ、カマシャ 、サント・ダ・セーラ、ジャルディン・ダ・セラ 近郊を選んだ。これらの地域は、より涼しく湿度の高い気候で、イギリスの気象条件に近いため、植物が適応するには理想的だった。毎年イースターの後、開催されるフラワーフェスティバル。

 お祭りは土曜日に始まり、晴れ着で着飾った大勢の子供たちが市役所広場に集まり、みんなで「希望の壁」という名の花の壁を作り上げ、 翌日、島・原産の無数の花々で飾られた山車が何台も町の通りを練り歩き、あたりの空気をそこはかとない花の香りで満たす。これが花のパレード。それと同時に、マデイラのアーティストたちが目も彩な花のカーペットを制作する。

 それを町のいたる所に巧みに配し、店のショーウィンドーのデコレーションを競うコンペが開催される。また、マデイラ島は小さな島だが、内陸部には火山島らしい険しい山々が連なり、北上すると、ピコ・ド・アリエイロという山の頂上1818m辿り着く。フンシャルの歴史的中心地とモンテの街をつなぐケーブルカーで、モンテへむかった。

 モンテ付近に絶景のみえる教会の中に入ってから、再び外に出てくると映画のワンシーンの様な海の景色が、堪能できる。教会の横には、ハプスブルク家最後の皇帝像が、たっていた。彼は、退位後、亡くなるまで、マデイラ島で、過ごしていたらしい。
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