第43話:石津健之助の「NPO未来の子供へ」で助け船

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 また、この運動に賛同して年に6回の不要品持ち寄りのバザーを東京と橫浜で行う事を決めた。1ヶ月後、クラウドファンディングで2千万円が集まった。2013年2月、金価格が上昇して1グラム5千円で10kgの金を石津健之助が、売却し5千万円となり税引き後4千万円となり残金が3.5億円と16万豪ドルになった。

 その他、3月末に平成芙蓉会で3百万円の募金が集まった。カラオケ関連の企業の社長が「企業組織としての収益活動と社会貢献活動は両輪であるべき」という哲学を実践している事を知り協力していく事を決めた。平成芙蓉会では、そのカラオケ会社の大きな部屋を毎回借りて会議をした。またカラオケをしたり食事会をして、その会社の店を頻繁に使った。

 その後、石津健之助の交渉で冷凍食品工場、パン工場、その他の食品工場、現金問屋の期限近い商品の激安での購入の交渉に出かけ「NPO未来の子供へ」専用の4トン・ロングのトラック1台とハイエースバン1台を購入。電話連絡を受け、すぐ取りに行くシステムを作った。そして橫浜のカラオケ会社の倉庫の一部を借りて激安食料品をこども食堂への配送するシステムを作った。

 仕事休みの日に、学生や社会人で、担当の日を決めて配送や人の輸送を行う様になった。その後2013年3月20日、石津の奥さんが,日本に帰ってきた。その数日後、石津健之助が、体調を崩して、寝込み、40度、近い熱を出したので、奥さんが、小田原市立病院へ旦那さんを車で運び,内科で診察してみてもらうと、インフルエンザとわかり、隔離病棟に入院。

 治療を始めて2日後に体温が下がり、おかゆを食べられるようになり7日後、退院。この件を「NPO未来の子供へ」の副会長の金融界出身の佐山浩介さんに話し会長交代のお願いを石津の奥さんから申し出ると、やむを得ないでしょうと承諾してくれた。その後、NPOの残金や、書類などを説明して、「NPO未来の子供へ」の会長職を佐山浩介に引き継いだ。

 その後、佐山浩介さんが新会長になり「NPO未来の子供へ」のスタッフが増えてきて、500万円のトラックをもう一台追加、購入して、格安食料品の輸送範囲を広げ、より多くのこども食堂へ、食材を送れるようになった。その後、2013年が4月4日を迎え平成芙蓉会から10人以上のメンバーを募集して月に2ー3回、土日に熱海港からのクルーズを再開した。

 その他、釣りも企画した。これが好評で1人1~2万円の会費で、クルーズ船に乗れるので、家族連れも参加した。三崎港、伊東港、下田港、逗子へクルーズしたり熱海港沖での釣りを楽しんだ。また6月に平成芙蓉会の麻雀メンバーに入った佐藤和則君32歳が、海外移住に興味を持っていると言う話を聞き、ポルトガルのゴールデン・ビザの話をすると、興味を持た。

 そこで、近いうち仲間と詳しく聞きに熱海に伺いたいと言うので了解した。数日後、4月10日、佐藤君から熱海で面会したいと電話があり、熱海のKホテルで12時に待ち合わせることになった。Kホテルにでかけると佐藤和則、富田義秀、伊東慶子、清水克子の4人が待っていた。4人とも投資仲間だそうで、伊東慶子、清水克子さん達は、資産家の娘。

 そして、富田義秀さんは、投資グループのリーダーで、ポルトガルのゴールデンビザについて、50万ユーロ以上の不動産購入で、手に入り海外から入る収入に税金をかからないと書いてあり非常に興味を持っていた。そのため近いうちポルトガルに行って確認してくると述べた。こちらの予想通りだったらゴールデン・ビザを手に入れようと考えていると語った。

 2013年、山梨フードバンクから始まった、こども食堂が、全国に数多くの施設ができた。平成芙蓉会でも神奈川のこども食堂を支援しようという運動が始まり募金で集めた300万円で2tロングトラックを買い神奈川県内の東西南北に食料品を輸送する手伝いを若手メンバーが交代でするようになった。
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