第18話:海外旅行、クル-ズ旅行看護婦

文字数 1,737文字

 ラスベガス空港での入国審査は、早く済んで、航空会社の関係者が空港に来ていて旅行会社の現地事務所に連れて行かれて、病院の場所や、以前、どんな症状の患者さんがいたのかなどの説明を聞いた。意外に多いのが、プール、ゴルフでの怪我と交通事故が多いのに驚いた。また、ラスベガス特有なのが、寝不足による、高血圧の悪化など、体調不良が多い。

 それには、寝ることが一番の薬だと説明してくれるのを聞いて、石津三千子は、思わず笑ってしまった。一通りの説明を終えて、連絡用の携帯電話を渡されてトレジャーアイランドホテルに送ってもらい、早めに床についた。翌日、朝食をとりに、通りの向かいのベネシアンのピザ屋に行くと、絶品チーズのピザが最高で、毎朝、行く様になった。

 昼は、近くのホテル、ミラージュ、ハラーズ、デニーズ、ファッション・ショーモールのレストラン、中華が恋しくなるとパンダ・エクスプレスの中華3点盛りを食べる。ファッションショーモールの店の前のクオーターズで、ショー、ミュージカルの割引チケットが、半額か、それ以下で販売してる。それを買って、ミュージカルや有名な歌手の歌謡ショーを見た。

 ディスカウントチケットと言っても、多少、席が、見にくい程度。25ドルで、ショーを見られるのは、驚くほど安いと感じた。シルクドソレイユのオー、美女と野獣・・・。 但し、仕事の条件で、ラスベガスのストリップ大通りから離れては、いけないと書いてあり、北は、サーカス・サーカス、南は、マンダレイ・ベイまでの間にいて欲しいと書いてあった。

 その他、モノレールが移動に便利で使わせていただきホテルからの無料バスの出ている所へは、移動に利用した。また、コンベンションセンター・会議・展示場では、カーボーイ用品の展示会や、銃の展示会、電化製品のショーなど、行われ、出かけたが、カーボーイ洋品展示会では、素敵な革の手袋を買ってきた。

 また、カーボーイが使ってる映画スターの履いていた長めのカーボーイ・ブーツも素敵。仕事では、主に、軽い日射病になる人が多い。ツアー客が、旅行会社で、最初の会合の時、日射病対策に飲水をすすめた。冬でも砂漠の直射日光は強いので強力な日焼け止めと、こまめな水分補給と休息を心がける様に説明した。

 しかし、楽しさのあまり、長い距離を歩き、ダウンする観光客が、1日2、3人は出て、その都度、その人の所へ行き生理食塩水の様な飲み物を飲ませて、近くのホテルのロビーで回復を待つ場合が多く。たいていの場合は、10~20分で蘇る。しかし高齢で代謝の悪い女性で吐き気がして顔色話悪くなり回復が良くない時、車で5分の病院に連れて行く。

 週に2-3人程度、病院へ連れて行った。しかし、ほとんどが、受付を済まして看護婦としての仕事は終わり自分で病院からバスで帰った。しかし良い事もある、それは回復した、お客さんが豪華ディナーをおごってくれたり高価なプレゼントを下さったり、豪華なショーに、ご一緒させていただいたりして役得も多い。4週間が終わり現地の旅行会社の送別会に招待された。

 1997年4月10日に、石津三千子は成田に戻り、18時に熱海のマンションに帰って来た。今回はプレゼントが、多く大きな荷物をかかえ熱海駅まで旦那さんに車で迎えに来てもらった。石津健之助は中高年の麻雀仲間に呼び出される日が多い。また、毎週、加納夫妻のカラマラン・クルーザーで熱海芙蓉会のメンバーの釣りの先生となった。

 そこで餌の付け方から魚の引っかけ方、毒のある魚の見分け方などを教え充実していていた。やがて夏、今年も八ヶ岳や遠くは白馬へ避暑に出かけ人生を楽しんでいたが収入がないので預貯金の切り崩し、あまり贅沢せずに、うまく遊んで暮らしていた。秋風が冷たくなり総勢50人の盛大な熱海芙蓉会のクリスマスパーティーも終え、1998年を迎えた。

 今年はカリフォルニアからクルーズ船の旅に1998年3月2日から2ヶ月と1998年11月10日からの2ヶ月のカリブ海クルーズの旅の救急係として月給30万円で働かないかと旅行会社から提案されたとはなした。石津三千子が石津健之助に言うと自分で判断して下さいと言い、私は、止めませんと笑いながら言った。
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