第28話:メキシコ・クルーズ

文字数 1,695文字

 その後、乗員全員参加の避難訓練が終えると続々と夕食に乗客が現れた。日本人のクルーズ仲間で集まりクルーズ経験者の石津三千子さんに、いろいろな質問をし丁寧に答えた。最後に何に一番注意したら良いですかと聞かれると体重を増やさない様に注意すること言うと大笑いになった。その後、石津夫妻は部屋に戻って早めに寝た。

 その後、船酔いになった日本人仲間が3人来て、彼らに船酔いの薬を渡した。そして船酔いの時は、できたら、もどした方が楽になる事を教えた。そんな事で夜12時頃まで、寝られなかった。翌朝8時に起き朝食をとり船の甲板を散歩して回ると大勢の人が同じ様に散歩していた。日本人のグループは団体で行動して騒がしく目立っていた。

 その後、娯楽室で麻雀したり、カードゲームをしたりバスケット、卓球し、時間を過ごしていた。2,3日と終日クルーズで、4日目にプエルトバジャルタ、メキシコに到着後、石津健之助をはじめ市内観光に出かける人が、多い中、石津三千子は、船で待っていた。その後、船に戻ってきた人で、テキーラを飲みすぎた人がいたので生理食塩水を飲ませると寝てしまった。

 翌朝、飲み過ぎた人が、お礼に来たが、やはり二日酔いだったので、石津三千子が飲み過ぎないでねと笑いながら言った。5日目、マサトランに到着、石津三千子さん以外はツアーに出てサルサダンス教室や山岳ドライブ、ショッピングに行く人に別れたが、この日も飲み過ぎた女性が3人が来て、サルサ教室で楽しく踊って喉が渇いたので美味しいマルガリータをかなり飲んだ。

 まるで、ジュースの様に、飲んで、頭が痛と言うので、生理食塩水を飲ませ、部屋で、ゆっくりする様に言った。幸いな事に、重症者がなくて、石津三千子さんは安心した。6日目、最終目的地、バハカリフォルニア、豪華な施設が多いコリドー地区や、アーチ形をした岩場、鯨の回遊を見に行くツアーなどがある。オプショナルツアーを終え帰路についた。

 翌日は、終日航海で、8日目、ロサンゼルスのサン・ペドロ埠頭にもどり、ロサンゼルス空港から日本に帰った。今回のクルーズは暖かい気候で冬のクルーズには、日本人も比較的近く、最近、日本人が増えた様だ。その後、旅行のアンケートで、全体のツアーでは5-6日の日程が一番人気があり安いツアーと、高価だがクルーズも人気があった。

 また、避寒、避暑の南半球と、冬場のグアム、ハワイも人気があった。そこで、次回、ハワイは4泊6日と、ハワイ4島クルーズを同時に計画して、ケアンズの避寒の旅と一緒に、ケアンズ、ゴールコースト、シドニー旅行を同時に行く事にした。2007年3月、加納幸夫さんに前立腺癌が見つかったと言う話を平成芙蓉会の会合の時、石津三千子に加納夫妻が相談に来た。

 しかし、進行の程度がわからないと、答えると、次回の病院の診察の時に、ついてきて欲しいと言われて断れず、石津夫妻でついて行き、泌尿器科の先生と加納夫妻と一緒に、診察室に入り、話を聞くと、前立腺癌が、大きすぎて、手術はできないと、言われ、女性ホルモン療法で、進行を抑えるしかないと言われた。

 奥さんが、あと何年、持ちますかと、質問すると何年とは言い難いけれど奥さんが10年と聞くと、それは厳しいと言い5年ですかと聞くと、それ位と考えた方が良いと答えた。後は転移しない様に願うしかないと言った。釣りは続けて良いですかと聞くと身体がきつくなければ何をしても良いと言い薬を欠かさずに使って下さいと言うだけだった。

 診察を終えて出て来て、石津三千子は、何も言えずに黙っていると、奥さんがたまらず、今度どうやって生きていったら良いのでしょうかと聞いた。今まで通りに、できるだけ人生を楽しむしかないし、現在、ひどい症状があるわけではないのだから味や小旅行も、できますと言った。

 釣りも良いのですかねと聞くと、先生も言われた様に、基本的に身体がきつくなければ、制限はないと言ったとおりに、人生を楽しむしかないのではと助言した。その話を聞いて加納幸夫さんはカラマラン・クルーザーに乗って、近くの海を走ったり、釣りをしていくと話した。
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