第20話:長期クルーズ、旅行看護婦2

文字数 1,613文字

 今年の夏、7月は車で山梨から松本を抜け穂高、大町、白馬、栂池高原で避暑の旅に出かけた。1998年8月になり毎週の様に台風の影響で天気が悪く出かけられずにいた。その後、1998年11月9日、奥さんの石津三千子は、早朝、熱海のマンションを出て、ヒューストン経由でマイアミに出かけた。所要時間が16時間になる長旅のでマイアミに夕方、着いた。

 その晩、酒を飲み熟睡。翌朝、旅行会社の支店に挨拶に行き2人のクルーズディレクターと会った。今回は、毎日の仕事になるので2ケ月で60万円を支払いますが、体調管理に気をつけて下さいねと言われた。翌日から仕事開始で、マイアミ港から1日クルーズして3日目に183メートルの滝を下から登るダンズリバーの滝登りで有名な観光地ジャマイカのオーチョリオス着いた。

 その晩に出港し4日目にスティングレイと言うアカエイが人気のケイマン、イギリス領ケイマンに着き、その晩、出港した。5日目は終日クルーズで6日目にマイアミに到着しホテルに帰った。その晩出航し、3日目はナッソー、また翌日から違うクルーズ会社の船で出港し、2日目にココケイ、バハマ領と言う、Rカリビアン社の所有するプライベートアイランド。

 そこの自分達だけのプライべート・ビーチで海に出て楽しんだ。バハマに着き、ここは治安が、良く安心して楽しめるリゾート地でビーチ以外にも無税のショッピングやカジノ、各種アクティビティが豊富で、娯楽施設が多く、安心して観光できる場所だった。4日間にマイアミに戻る4日間のショートクルーズ。帰ってから1時間半かけフォートローダーデールという町に移動。

 そしてホテルに泊まり、翌日は、フォートローダーデール港から出港する事になる。翌朝、タクシーで港から乗船して、翌日は終日クルーズ、3日目に、ジョージタウン、ケイマン諸島という観光で栄えているリゾートタウンで世界的には、タックスヘイブンとして税金のかからない地域で、多くのオフショア・バンクが集まっている。

 4日目はコスタ・マヤ、メキシコに到着。マヤ文明の遺跡が多く残る歴史の街。メキシコ、ユカタン半島の東側にあり、マヤ遺跡を見に行くのに非常に便利な所で、マヤ文明の遺跡ツアーに参加した。5日目はコズメル、メキシコ、カリブ海に浮かぶ、長さ53キロ、幅14キロのメキシコで最大の島、コズメル。周辺は青い海が広がっていた。

 ここは、ダイビングでも有名な世界的リゾートでサン・ヘルバシオ遺跡やテキーラ工場などもあり海以外にも楽しめる場所は沢山ある地域。ここではスキューバ・ダイビングを教えてもらった。翌日、終日クルーズで7日目にフォートローダーデール港に戻った。そして船から下り、またタクシーで1時間半かけ、マイアミのホテルにチェックインして早めに床についた。

 翌日もクルーズ船に乗り、7日のクルーズの旅へ出かけた。今回は、アドベンチャーツアーやマリンスポーツが多く、切り傷、釣り傷が多い。2人が溺れ、ライフセーバーに助けてもらった。そのライフセーバーが、格好良くて、筋肉隆々のハンサムボーイで、それを見た、石津三千子は、久しぶりに胸キュンを経験した。

 そう言う思い出や多くの体験をして、船上のパーティーも経験し、人生経験も、お腹回りも一回りも二回りも大きくなり1999年1月11日に日本に帰ってきた。帰って来て、お帰りと言った後に、石津健之助は、石津三千子を見て、思わず、少し太ったんじゃないと言うと、そんな言い方しないの逞しくなったと言ってと言い返して大笑いした。

 1999年も4月にハワイ4島クルーズに2ヶ月間の看護の仕事とロサンゼルスでの10月5日から12月5日のメキシコクルーズの仕事の依頼があり出かけた。1999年は日本の株式市場もインターネット株が、好調で富裕層の懐具合も良いのか、ハワイ4島クルーズの日本乗客が増えて様で、初めて、クルーズ看護婦を依頼された。
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