第126話 女性だけの
文字数 1,812文字
「あんみつちゃーん。こっちこっち!」
呼ばれた方を向くとその姿をすぐに発見した。佳乃さんが教えてくれた子連れに人気のカフェ。平日の昼間とあってどこを見ても小さい子を連れたお母さんたちが談笑していた。こんな世界があったとは。
「おつかれさまです佳乃さん!」
「おつかれー。わあ、おっきくなったねえ。いちごちゃん」
そう言う佳乃さんのそばにお子さんの姿はない。二人いるお子さんは今日は保育園なんだそう。
なに頼む? の質問もそこそこに「保育園入れるの?」と話題はさっそく本題に向いてゆく。
「いくつか候補は挙げてて。だけど……じつは復帰はそんなに急がなくてもいいのかな、って少し思ってて。二号店も今は困ってなさそうだし」
「え? あんみつちゃんの復帰なんか心待ちにされてるんじゃないの?」
佳乃さんは意外、と言わんばかりにその大きな目をぱちくりとした。
「そんなことないですよ。りんごちゃんは今や立派なヴァンドゥーズだし、小野寺店長がついてれば春夏は平気だと思います」
言ってまた心がチクリと痛む。
佳乃さんは「ふうん」とだけ言うと「でもあんみつちゃん自身は早く復帰したいでしょ?」と訊いてくる。
復帰。したいよ。したいに決まってる。だけど子どものそばにいたいって気持ちも当然ある。その上で〈必要とされてない〉ってことなら……。
「私が二号店に戻ったら、りんごちゃんは本店に戻されちゃうんですかね」
それもなんだか、申し訳ない。一歩間違えたら『邪魔者』みたいになったりしない? って。
「まあね。あの子はもともとあんみつちゃんのピンチヒッターとして二号店に来たわけだし。店の規模から見ても本店に二人置くのが理想だよね。けどもしあんみつちゃんが仕事量セーブしてパートになるとかって言うのなら話は別かもしれないけど」
「パート……!」
考えてもなかった。だけど、たしかに世の中のママさんたちにはそういう働き方の人も多い。
「正直なところはどうなの? あんみつちゃんはどのくらい働きたい?」
「私は……」
もちろん出来ることならこれまで通りフルタイムでやりたい。だけど、小さなこの子を泣かせてまで? 居ようと思えばたくさんそばに居てあげられるのに。
私が仕事量をセーブすれば。
すると佳乃さんは「よし。話題変えよ」と仕切り直した。……ん、どういうこと?
「前にあんみつちゃんにスカウトの話したの覚えてる? 三年くらい前」
「ああ、はい。もちろん」
佳乃さんがお店を開業したら、ヴァンドゥーズ長として働かないか、という話だった。
「あの時は旦那とお店やるつもりだったんだけどね、彼、もう全っ然やる気なくて。何度話しても『やらない』の一点張りなんだもん。私の方が折れたってわけ」
「そ、そうなんですか!?」
那須さん……復帰しないのか。
「それで。ならいっそ、女性だけのパティスリーっていうのも面白いかもなって考えたの」
「えっ、女性だけの……」
相変わらずというか、更にというか。佳乃さんってパワフルな人だ。
「そう。それもママだけ。ワーママのパティスリー」
ワーママ、つまり〈ワーキングママ〉。働くお母さんのこと。
「学生時代の友達とか、あたってみたら結構妊娠出産を機に退職した子がいてさ。パティシエールは数揃ってんの。ヴァンドゥーズ経験のある子もいるし」
で、ここからが重要なんだけど。と佳乃さんは言う。
「お店の横に従業員専用の託児所を作りたいんだよね」
専属の保育士も雇って。と。
「それ……すごいですね」
「でしょ。ママは子どもと一緒に出勤できるし、空き時間は自由に会いに行ける。繁忙期だってお迎え時間の心配をせずに済むし、なにより周りが全員同じ立場だから理解もあるし融通も利くってわけよ」
それでね。と熱い瞳がこちらを向いた。なにを言われるのか、私はもう理解していた。
「待遇はもちろん〈ヴァンドゥーズ長〉。どう? 一緒にやらない? あんみつちゃん」
オープン予定は半年後の今年秋だそう。すでに着々と準備は進んでいるらしい。
ちなみに佳乃さんが抜けることになる本店のパティシエ枠には、この春から二名の新卒採用が確定している。
「答えは急がないから。少し考えてみて」
予想だにしない、とまでは言わないけれど、それなりにガツンと衝撃のある話だった。
どうする? だけど。
私はヴァンドゥーズを続けたい。誰に気兼ねすることなく。誰を悲しませることもなく。
だったら─────。
呼ばれた方を向くとその姿をすぐに発見した。佳乃さんが教えてくれた子連れに人気のカフェ。平日の昼間とあってどこを見ても小さい子を連れたお母さんたちが談笑していた。こんな世界があったとは。
「おつかれさまです佳乃さん!」
「おつかれー。わあ、おっきくなったねえ。いちごちゃん」
そう言う佳乃さんのそばにお子さんの姿はない。二人いるお子さんは今日は保育園なんだそう。
なに頼む? の質問もそこそこに「保育園入れるの?」と話題はさっそく本題に向いてゆく。
「いくつか候補は挙げてて。だけど……じつは復帰はそんなに急がなくてもいいのかな、って少し思ってて。二号店も今は困ってなさそうだし」
「え? あんみつちゃんの復帰なんか心待ちにされてるんじゃないの?」
佳乃さんは意外、と言わんばかりにその大きな目をぱちくりとした。
「そんなことないですよ。りんごちゃんは今や立派なヴァンドゥーズだし、小野寺店長がついてれば春夏は平気だと思います」
言ってまた心がチクリと痛む。
佳乃さんは「ふうん」とだけ言うと「でもあんみつちゃん自身は早く復帰したいでしょ?」と訊いてくる。
復帰。したいよ。したいに決まってる。だけど子どものそばにいたいって気持ちも当然ある。その上で〈必要とされてない〉ってことなら……。
「私が二号店に戻ったら、りんごちゃんは本店に戻されちゃうんですかね」
それもなんだか、申し訳ない。一歩間違えたら『邪魔者』みたいになったりしない? って。
「まあね。あの子はもともとあんみつちゃんのピンチヒッターとして二号店に来たわけだし。店の規模から見ても本店に二人置くのが理想だよね。けどもしあんみつちゃんが仕事量セーブしてパートになるとかって言うのなら話は別かもしれないけど」
「パート……!」
考えてもなかった。だけど、たしかに世の中のママさんたちにはそういう働き方の人も多い。
「正直なところはどうなの? あんみつちゃんはどのくらい働きたい?」
「私は……」
もちろん出来ることならこれまで通りフルタイムでやりたい。だけど、小さなこの子を泣かせてまで? 居ようと思えばたくさんそばに居てあげられるのに。
私が仕事量をセーブすれば。
すると佳乃さんは「よし。話題変えよ」と仕切り直した。……ん、どういうこと?
「前にあんみつちゃんにスカウトの話したの覚えてる? 三年くらい前」
「ああ、はい。もちろん」
佳乃さんがお店を開業したら、ヴァンドゥーズ長として働かないか、という話だった。
「あの時は旦那とお店やるつもりだったんだけどね、彼、もう全っ然やる気なくて。何度話しても『やらない』の一点張りなんだもん。私の方が折れたってわけ」
「そ、そうなんですか!?」
那須さん……復帰しないのか。
「それで。ならいっそ、女性だけのパティスリーっていうのも面白いかもなって考えたの」
「えっ、女性だけの……」
相変わらずというか、更にというか。佳乃さんってパワフルな人だ。
「そう。それもママだけ。ワーママのパティスリー」
ワーママ、つまり〈ワーキングママ〉。働くお母さんのこと。
「学生時代の友達とか、あたってみたら結構妊娠出産を機に退職した子がいてさ。パティシエールは数揃ってんの。ヴァンドゥーズ経験のある子もいるし」
で、ここからが重要なんだけど。と佳乃さんは言う。
「お店の横に従業員専用の託児所を作りたいんだよね」
専属の保育士も雇って。と。
「それ……すごいですね」
「でしょ。ママは子どもと一緒に出勤できるし、空き時間は自由に会いに行ける。繁忙期だってお迎え時間の心配をせずに済むし、なにより周りが全員同じ立場だから理解もあるし融通も利くってわけよ」
それでね。と熱い瞳がこちらを向いた。なにを言われるのか、私はもう理解していた。
「待遇はもちろん〈ヴァンドゥーズ長〉。どう? 一緒にやらない? あんみつちゃん」
オープン予定は半年後の今年秋だそう。すでに着々と準備は進んでいるらしい。
ちなみに佳乃さんが抜けることになる本店のパティシエ枠には、この春から二名の新卒採用が確定している。
「答えは急がないから。少し考えてみて」
予想だにしない、とまでは言わないけれど、それなりにガツンと衝撃のある話だった。
どうする? だけど。
私はヴァンドゥーズを続けたい。誰に気兼ねすることなく。誰を悲しませることもなく。
だったら─────。