第73話 5分でカンタン♡

文字数 1,673文字

 はじめはたしかにお父さんの頼みだったんだそう。小野寺くんの動向の監視、悪友や恋人ができないように見張る、時にそれを妨害するように言われていたんだとか。私に忠告してきたのもそのせいだった。

「スパイみたいでしょ?」

 得意げに言われても困ります。

 でも洋菓子を学ぶうちに、いつしか自分も夢中になっていたんだって。はじめは確かに使命で(かよ)っていた学校も、いつの間にか学ぶことを心から楽しむようになっていた。もっと上手くなりたい、もっと学びたいと思うようになったそう。

「あんまり才能はなかったけどね」と可愛く舌を出した。

 就職先は本当は別のところを考えていたんだとか。だけど。

「許されなかった、っていうか、言い出すことも出来なかったの」

 そこには当然のように〈シャンティ・フレーズ〉が用意されていた。

「がっかりはしなかったよ。それも私の役目だと思えば諦めもついた。それにパティシエの仕事やらせてもらえるんだから、それだけでありがたかったし」

 〈シャンティ・フレーズ〉に入れたことは本当によかったと思ってる。と話してくれて私も嬉しかった。


 私たちは晩ご飯になる食材やお酒を適当に買って、とりあえずということでまた小野寺くんのアパートに来ていた。なんだかアジトみたいだな、とこっそり思う。相変わらずの小さな部屋。だけど今日はそれが落ち着いた。ふかふかの高級お座布団の上よりもこの床の上の方がずっと居心地がいい。

「……それで小野寺くんは、さ、沢口くん? に、なるの?」

 気になったので訊ねてみた。こうなっては呼び方も既に迷うのですが。

「ね、それもいい機会だしあんみつちゃんも『兼定』って呼べばいいじゃん? ね。もうそういう関係なわけだし」

 そういう関係……なんて妹さんに言われると恥ずかしいですけども。

「え……兼定、くん?」

 うんうん、と頷いてイタズラな妹は兄の顔を覗き込む。つられて私も一緒に覗き込む。

 小野寺くんはそんな女子二人からの視線を避けるように目を伏せながら「沢口ってのは」と乱暴に説明をしだした。

「母方の姓なんだ」

 なるほど。

「でも『小倉(おぐら) 兼定』もアリだよね?」

 南美ちゃんの発言に、ぶ、とお茶でむせた。畏れ多い、と思ってしまうのは仕方ないよね?

「いや。それはそれであんみつ側に説明すんのが面倒だから」

 たしかにそれはそうだ。

「二人の……四人のお母さんは、今は?」

 話の流れで一緒にいないことはわかったけれど。

「うーん。あんみつちゃん、〈沢口 春野(はるの)〉って、聞いたことない?」

「え……」

 すると南美ちゃんがおもむろに可愛い声を出した。

「『沢口 春野の5分でカンタン♡クッキング~!』ってやつ」

「え、知ってる。知ってるけど……」
 それはテレビでっていうか。

「それが母さん」

 彼の言葉に目を剥いた。や、うそでしょ? 実家は代々続く超お金持ちのお屋敷で、お母さんは有名料理研究家!? それで本人たちはパティシエで……って、どうなってんのこの家族は!

「会ってる?」
「いや。兼定こそどうなの?」
「まったく」

 なんだか本当に私なんかでいいのかわからなくなってきた。気後れってうか、本当にこの彼に私がつり合うのか、というのを嫌でも考えてしまう。

 昨日と今日受けたいろいろな衝撃も踏まえて。

 ──下等な血。

 やっぱり私じゃ、ダメなんじゃないか。ちょっとひとりでじっくりと考えたくなってしまった。

「あの……私、うーんと、そろそろ帰ろうかな」

 言うとよく似たふたつの顔に見られて耐えられず俯いた。

「待って。帰るのは私。あんみつちゃんじゃない」

「へ」

「ごめんね、邪魔してたね」

 そう言うとウインクをして南美ちゃんはさっさと荷物をまとめる。すぐに「それじゃ」と爽やかに片手を挙げた。

「や、なら私も一緒に……」

 そう立ち上がりかけると、ぐ、と手首を掴まれてしまった。ありゃ。

「おまえはまだ」

「えっ、なぜでしょうか……」

「逃げるな」
「ぐぬ……」

 バレてる。私が不安になったの、自信をなくしたの、ぜんぶバレてるんだ。


「飲も」

「え」

 南美ちゃんを見送るとそんな提案をされてしまった。

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