第109話 ヤキモチ?

文字数 1,626文字

「昨日はごめんね、大丈夫だった?」

 翌朝のりんごちゃんは「わあ、あんみつさんん」と朝から懐いてきてくれてまた可愛い。小動物みたいだな。この子は。

「はい。なんとか……」

 言いながらピースサインをしてくるからほっとすると「二個で済みました」と不穏なことを言う。

 ピースサインじゃなくて、……二個?

「店長に『三個目やったら本店に突き返す』って言われちゃってたんですけど、なんとか免れました」

 苦笑いで今度は親指を立てて頷いた。よかったね、突き返されなくて。

「でも店長ほんとに凄くて。販売員の仕事も完璧にできるんですね、びっくりしました」

「そりゃ、店長だからね」

「そうですか? 私が前働いてたカフェの店長なんか接客最悪でしたよ。小太りでテカテカしてて、髪も薄いおじさんで。シフト組むのだけは上手かったですけど」

「あは……。店長もいろいろなんだね。りんごちゃん、カフェにいたんだ」

 今日は珍しくお客様のご来店も落ち着いていて会話が弾んだ。

「そうなんです。家から近くてすごく良かったんですけど、急に潰れちゃって……」

「え」

「店長が夜逃げしたとかって」
「うそ」
「わかんないですけど、噂です」

 それで〈シャンティ・フレーズ〉の求人に応募したんだそうです。

「小野寺店長はなんでも完璧で。見た目もかっこいいし、頼りになるし、なんか少女漫画に出てくる理想の男性って感じですよね」

 それが私の夫だって、えっとこの子は知ってるんだっけ……?

「昨日もファンっぽいお客様が何名かお見えで。やっぱそうなりますよね」

「そう……だね。モテるね」
「ですよね! きっと昔からモテモテなんだろうなあ。ひゃー」

 どういう「ひゃー」なのか。
 そこまで話してからはお客様のご来店が続いて会話はそのまま流れてしまった。

 むう。兼定くんがかっこいいのははじめからのことだし、結婚している今更なにを心配する必要もないんだけど。

 なんだろう。こんな可愛いりんごちゃんが「かっこいい」なんて言うと心がざわついてしまう。

 え、これって、ヤキモチ?

 まさか。私らしくもない。
 それにりんごちゃんだってそんなつもりはないだろうし。

 必死で気持ちを押さえ込んだというのに、波風を立ててくる輩がおりました……。

「前から思ってたけど小野寺さん、なんで『楠木(くすのき)さん』なんすか。俺のことも『(たすく)』って呼んでんだし『りんご』とか『りんごちゃん』って呼べばいいじゃないすか」

 閉店時刻間際、掃除をしながら佑くんが言い出した。兼定くんは素っ気なく「べつに」とだけ答える。

「いやいや。『楠木(くすのき)』って言いにくいし『りんご』のがどう考えても言いやすいっすよ。俺のことも『神崎(かんざき)』が言いにくいから『(たすく)』でいいだろって言ってそうなったのに、おかしいでしょ」

 ね? とりんごちゃんに振る。「わ、私はなんでも」とりんごちゃんは困惑気味に答えた。

「はっはーん。さては小野寺さん、りんごちゃんが可愛いから変な気起こさないために予防線引いてんでしょ。わかりますよ。呼び方って結構関係に影響しますもんね」

「はあ? バカかよ」

「真由じゃなくて知らない若い子が来たから。照れてんすか? ね。浮気はダメっすよ。

の目の前で」

 え? え? と目をしばたくりんごちゃんを遮るように「あのな」と兼定くんが言う。

「べつに変に意識なんかしてない。昔から女子の呼び方はなんとなく苗字にしてんの。それだけ」

 佑くんは「ふうん」とまだ疑わしげに目を細めて兼定くんを見るけど「いいから働け」と頭を布巾ではたかれて、ちぇー、と口を尖らせた。

 そうだよ。変に意識なんかしてないよね? 少しくらい若くて、可愛くて、昔の私に似たタイプでも……。

 でも『りんご』……。

 ──リンゴの木ってさ。

 彼にとってそれは、特別な果物のはず。


 もやっと黒いものが、心の底に溜まってゆく。これも妊娠による影響? 心のバランスが乱れるって、どこかに書いてあったような気がする。

 むう。やだな。信じてるのにな。

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