第112話 もうひとりの住人
文字数 1,286文字
真由ちゃんに連絡をしてみると【今上がりました】と返信が。
真由ちゃんが現在住んでいるはずのシェフの家に向かうつもりでいたのに、その旨を伝えると意外な住所が送られてきた。
【今、ここに住んでて。狭いですけどよければ来てください】
兼定くんに見せると怪訝な顔をした。
「ここって……」
言いながら地図アプリで検索する。
「やっぱ。すぐそこのアパートじゃん」
「へ」と指さす方を向いて驚いた。こんなにも二号店の近くに? それってまさか……。
【ピンポン押さずに待っててください】という真由ちゃんの指示のもと、虫の声が美しく鳴る夏の夜風の中で兼定くんと二人、主 の帰りを待つ。
「あ、蚊に刺されたっ」
「ははん。気合いが足りてないね」
「はい? なに気合いって」
「俺は全然だよ」
「美味しくないんじゃない?」
「上等。蚊になんか好かれたくねー」
こんな言い合いをしつつ虫の鳴き声と夏の星空を二人で楽しんだ。兼定くんは虫の名前も星座の種類も全然知らない。教えてあげても全くと言っていいほど興味なさげ。「必要ない知識」なんて言うけど、そんなのないよ? 拡げたい、と言っていたはずの『趣味の幅』は相変わらずらしい。
それにしても日常を離れたこういう些細なことが案外とても幸せだったりするんだな。と改めて気がついた。
「あ」
言うが早いか手を取ってペチ、と腕を叩かれた。「痛!」
「おまえほんと蚊に好かれんだね」
「嬉しくないいい」
するとそう言う彼の頬にも蚊が見えた。これはチャンス!
ぱ、と伸ばした私の手は容易く取り押さえられてしまい彼は自分で頬を払う。
「ああ、ペチっとやりたかったのに!」
「そうはさせるか」
「つか蚊いすぎ。場所変える?」と兼定くんが提案したところだった。
「う、声掛けづら……」
背後からそんな声が聴こえて揃って振り向いた。
「ああ、おつかれさまです。あんみつさん、小野寺店長」
こっちです、と私たちを二階へ案内すると一室のドアノブに躊躇いなく手をかけた。未施錠らしく扉はガチャリと開く。中から照明の光が、ぶわ、と洩れた。
予想通りというか。つまりそこには『もうひとりの住人』がいるらしい。
「ただいま」と真由ちゃんが声を掛けると、奥から聞き覚えのある男性の声がした。
「晩飯なに────は?」
ばっちり目が合った。佑くんは一瞬固まったかと思うとさっと身軽にその体勢を翻してベランダへと逃げようとする。ってここ二階ですが!?
「ちょっと!」と真由ちゃんが慌てて逃走犯の襟首を捕まえた。
「離せ裏切り者!」
「小野寺店長まで一緒だとは思わなかったの! っていうか試験なら受ければいいじゃん。ほんとバカだよね。今受けないとか言い出したらこうなるに決まってんでしょ!」
「おまえが別れるとか言うからでしょーが」
「そんなこと言ってない。パティシエ続けたいのか私との関係続けたいのかどっちなの、って聞いただけ!」
ええと。あの。なにを見せられてます? 兼定くんが私の横で「くふぁ」と大あくびをした。
「……あの二人とも。とりあえず、上がってもいいですか」
私がそう訊ねると真由ちゃんは慌てて「すみません」と頭を下げた。
真由ちゃんが現在住んでいるはずのシェフの家に向かうつもりでいたのに、その旨を伝えると意外な住所が送られてきた。
【今、ここに住んでて。狭いですけどよければ来てください】
兼定くんに見せると怪訝な顔をした。
「ここって……」
言いながら地図アプリで検索する。
「やっぱ。すぐそこのアパートじゃん」
「へ」と指さす方を向いて驚いた。こんなにも二号店の近くに? それってまさか……。
【ピンポン押さずに待っててください】という真由ちゃんの指示のもと、虫の声が美しく鳴る夏の夜風の中で兼定くんと二人、
「あ、蚊に刺されたっ」
「ははん。気合いが足りてないね」
「はい? なに気合いって」
「俺は全然だよ」
「美味しくないんじゃない?」
「上等。蚊になんか好かれたくねー」
こんな言い合いをしつつ虫の鳴き声と夏の星空を二人で楽しんだ。兼定くんは虫の名前も星座の種類も全然知らない。教えてあげても全くと言っていいほど興味なさげ。「必要ない知識」なんて言うけど、そんなのないよ? 拡げたい、と言っていたはずの『趣味の幅』は相変わらずらしい。
それにしても日常を離れたこういう些細なことが案外とても幸せだったりするんだな。と改めて気がついた。
「あ」
言うが早いか手を取ってペチ、と腕を叩かれた。「痛!」
「おまえほんと蚊に好かれんだね」
「嬉しくないいい」
するとそう言う彼の頬にも蚊が見えた。これはチャンス!
ぱ、と伸ばした私の手は容易く取り押さえられてしまい彼は自分で頬を払う。
「ああ、ペチっとやりたかったのに!」
「そうはさせるか」
「つか蚊いすぎ。場所変える?」と兼定くんが提案したところだった。
「う、声掛けづら……」
背後からそんな声が聴こえて揃って振り向いた。
「ああ、おつかれさまです。あんみつさん、小野寺店長」
こっちです、と私たちを二階へ案内すると一室のドアノブに躊躇いなく手をかけた。未施錠らしく扉はガチャリと開く。中から照明の光が、ぶわ、と洩れた。
予想通りというか。つまりそこには『もうひとりの住人』がいるらしい。
「ただいま」と真由ちゃんが声を掛けると、奥から聞き覚えのある男性の声がした。
「晩飯なに────は?」
ばっちり目が合った。佑くんは一瞬固まったかと思うとさっと身軽にその体勢を翻してベランダへと逃げようとする。ってここ二階ですが!?
「ちょっと!」と真由ちゃんが慌てて逃走犯の襟首を捕まえた。
「離せ裏切り者!」
「小野寺店長まで一緒だとは思わなかったの! っていうか試験なら受ければいいじゃん。ほんとバカだよね。今受けないとか言い出したらこうなるに決まってんでしょ!」
「おまえが別れるとか言うからでしょーが」
「そんなこと言ってない。パティシエ続けたいのか私との関係続けたいのかどっちなの、って聞いただけ!」
ええと。あの。なにを見せられてます? 兼定くんが私の横で「くふぁ」と大あくびをした。
「……あの二人とも。とりあえず、上がってもいいですか」
私がそう訊ねると真由ちゃんは慌てて「すみません」と頭を下げた。