第13話 ライバル

文字数 2,389文字

 目を丸くする私の隣で嘘つき野郎はなおも微笑を浮かべたままだった。

 販売員さんは疑うことなく「やっぱり!」と嬉しそうにぽんと手を打つ。

「勉強させていただこうと思いまして」

 よくもまあしゃあしゃあとこんな嘘がつけたものだ。でもなんでこんな嘘をつくのだろう。そんな私の疑問は直後の販売員さんの行動ですぐに解決した。

「ならこれも。売れ残りでわるいけど、勉強の応援ということでサービスさせてくださいね」

 なんですってぇ!?

 箱に追加してくれたのは二つのプリンだった。だめ、だめ、人の善意をこんな!

「おー、ありがとうございます。お金ないので嬉しいです」

 これは事実ですが。

「また来させていただきます」とまたまた嘘八百を述べて店を出た。ほんとこの人の人間性をいよいよ疑うわ。

「嘘はだめですよ」

 店を出てからそうつっかかった。

「嘘はついてない」
「ついたでしょうに、学生だって」
「数ヵ月前までは嘘じゃない」
「今は違うでしょ」
「勉強のためなのはほんとだし」
「だからってだめですよ、ていうか! なにかもらえると思って学生だって言ったでしょ、最低!」

 言うと(あか)い夕日の中で立ち止まってぎろりと睨まれた。遠くで弱く蝉の鳴く声がする。

「なんですか」

「おまえさ」

 また『おまえ』って言うし。

「この世界、そんな綺麗事だけで生きていけると思うなよ? こんなん序の口。もっと強欲にならないと。嘘ついてでも、騙してでも技や知識を得ていかないといつまで経っても結局は同じ場所だ」

「私は……」

「なんだよ」

「パティシエさんじゃないし」

 技術なんて。ヴァンドゥーズなんてカッコつけて言っていても、所詮はただの販売員だし。

「ヴァンドゥーズだって同じだろうが」

「同じ……。そうですかね」

 パティシエとヴァンドゥーズはちがう。強欲に学んだところで、ヴァンドゥーズにケーキを生み出すことはできない。販売員は、所詮販売員で、職人さんじゃないもん。

 小野寺さんは少し黙って、それからつぶやくように言葉をはき出した。

「おまえがそんなこと言うなよ」

「……なんですかそれ」

「ヴァンドゥーズがパティシエより劣るみたいなこと言うなって言ってんの」

 どきりとした。
 たしかに、そう思っていた。職人じゃない、『ただの販売員』だと、無意識に自分の仕事を卑下していた。

「職人じゃなくても、技術や知識がものを言う世界だろうが」

「それはそう……だけど」

「おまえ今のままで満足してんの?」

「満足は、してないです」

「ならどうすればいい。どう改善する」
「え……と」

「なにを学べばいい。得ればいい」
「そんな……いきなり言われても」

 問うた本人は私の答えにあからさまにがっかりした様子を見せて小さくため息をついて舌打ちをした。舌打ちはしないでください。

「あんた毎日なにを売ってんの?」
「……ケーキです」
「それだろ」
「え」
「ケーキ売ってんなら、ケーキのことはなんでも知って損はないんじゃねーの」

 そうだ。その通り。味、見た目、材料、名前の由来、逸話。まだまだ、知らないことだらけだ。

「で、どんなケーキ売ってんの」
「どんなって」
他所(よそ)とどうちがう」
「それは……」
「特徴は。良さは。シェフのこだわりは。苺の品種は。産地は」
「そんなことまで」
「答えられるヴァンドゥーズになれよ!」

 私に足りないもの。
 私が目指すべきもの。

「あんたの目標ってなに?」

「それは……ゆうこさんみたいに」
「目標が低いんじゃね?」
「え……」

 思いもしない言葉だった。

「今日いろいろ見て、感じなかった? うちの店はまだまだだ、って。俺らに出来ることはまだまだ、無限にあるって。冷房が効いてないからって暑い暑いってうるさく騒いでだらだら仕事サボってるような人に憧れてどーすんだよ」

 言い過ぎです、小野寺さん。

「俺は春までに、自分が納得できる販売員になる」

「納得できる……とは?」

「やれることは全部やる。そんで自分の不完全、見つけて必ずシェフを納得させる」

 冷めてるようで、激アツ。小野寺さんという人は、こういう人なんだ。

「だからおまえが横で低い目標持ってたらたら仕事してたら目障りなんだよな」

「な!」

「悔しかったらレベル上げてついてこいよ」

「わ、私が……?」
 ついていく……小野寺さんのレベルに?

 真夏の西日に照らされながら、じっとその顔を見つめた。何度見てもムカつくくらいに整ったその顔を。

「素質ありそうだから」
「え……?」

「シェフに言われてから、見てた。あんたの接客」

 げげ、なんと……。

(アラ)はまあ多いけど、たしかに、なんか惹き付けるもんがある気はした。細かな所作だったり、心がけ、気遣い。たぶん、自分でもわかってないんだろうけど」

 そこは才能っぽくてムカつく。とぼそりと付け足す。

「ライバルにしたい」

「え」

「あんたとなら、高め合える」


 夕日の中でのそれは、告白にも似た出来事だった。


「だからこれからは敬語はなし」
「な、そんないきなり」
「俺も遠慮しないし」
「それは今まで通りでは」
「『あんみつ』って呼ばしてもらうんで」
「それは……ご自由に」
「そっちも『さん』付けはなしで」
「ええ!? 無理ですよ、そんなの!」
「敬語なし」
「無理……無理、だよ、……えと、その」

 なんでこんなことに!?

 しどろもどろする私を「ふ」と笑って先を歩いていく。

「ちょっと待ってく……待ってよ」

 ライバル、それは敵ではなくて、同士のこと。高め合える存在……。私が小野寺さんのそんなものになれるの? それはまるでずっと遠くにいると思っていた彼が、突然目の前に現れて勢いよく私の手を引いてくるみたいだった。

 だけど、そうか。〈目標〉〈同士〉私にはそれが必要だったのかもしれない。にしても……。

「待ってよ、小野寺さ……くん!」

 こんな突然で強引じゃ心の準備もなにもないよ。おかげで旅館までの帰り道、最低限の会話すらもままならなかった。

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