第2話 いけ好かない同期

文字数 2,711文字

 このお店でアルバイトを始めたのは高校一年生の秋のこと。近所のかわいいケーキ屋さん〈洋菓子店シャンティ・フレーズ〉。前から気にはなっていたけど来店したことは数えるほどしかなかった。

 ──うん。いつから来られる?

 はいはい、ふんふん、と私が初めて書いた履歴書をすらすら眺めてから、シェフが最初に発したその言葉はあまりに衝撃的で今でも忘れられない。

 ──え、雇ってもらえるんですか!?
 ──そう。今週からいける?
 ──あ……はいっ!

 そうして私は高校一年の秋から、この洋菓子店〈シャンティ・フレーズ〉の販売員、つまりヴァンドゥーズとして働き始めたわだった。

 ちなみに『ヴァンドゥーズ』という言葉はフランス語で意味は『洋菓子店販売員』。パン販売店さんでも使用可能。

 もちろん最初は失敗も多かった。ケーキの名前と値段を覚えるだけでもひと苦労したし、扱いの難しいケーキに触ることに慣れなくて。倒す、落とす……。壊したケーキは数多(あまた)。お客様にもシェフにもゆうこさんにも、数え切れないくらいに頭を下げてきた。

 でもそんなのはもう過去なわけで。

 私はこの春高校を卒業して、晴れて正社員としてこの〈シャンティ・フレーズ〉に入社することになったのです!

 ちなみに販売員の正社員をとるのは〈シャンティ・フレーズ〉では初めてのことだそう。

 そんなわけで、ヴァンドゥーズ歴は四年目。今やゆうこさんの片腕としてそれはそれは立派なヴァンドゥーズになったのです! …………と言いたいところなんだけど。

 実のところ、学生時代のアルバイトは週に一、二回程度だったわけで。実際はそんなに経験豊富というわけではないわけで。

「すいませーん。あの、この母の日ケーキって明日は買えません?」

「……あ、えと。申し訳ないです、本日までの限定となってしまいます」

「ですよねー、わかりました。ありがと」

 例えば一見平和に済んだこのやり取り。なにがいけなかったでしょうか。

「おまえさ」

 通りすがりにぼそり。

「明日出る別のケーキでも手書きのプレートで『母の日おめでとう』って書けますよ、とか、わざわざ訊いてくれたんだからせめてシェフに相談してみます、くらい言えないの?」

 むむむむむ。
 ソウデスネ、ソノトーリ。

「……気をつけます」

 こんな具合に。ヴァンドゥーズの仕事というのは意外とムズカシイの。

 へこんでいる暇はない。「すみませーん」の声がやまない。なんせ今日は年に一度の『母の日』。しかも大きな戦力である、というかむしろこのお店の接客のほぼ全てと言ってもいい、ゆうこさんを欠いている状況。必死。必ず死ぬ。文字通り。

「苺ショートはもうないですか?」

「あ……そうですね、出てる分で」「一時間ほどお時間いただければご用意できます」

 私の横からキラキラのイケメンスマイルがそう割り込んできた。訊ねたマダムはわかりやすく目をハートにして「あら。それなら後でまた伺うわ♡」と答える。その後のお取置きの数や再来店の時刻などのやり取りはもちろん全部小野寺さんに持っていかれた。

「あの……今日は追加できないんじゃ」

「苺ショートは一番人気だから追加できるようにするって朝シェフが言ってたろ」

 キラキラのイケメンスマイルは私の方には決して向けられない。お客様専用の仮面だから。

「ったく、寝てたのかよ。しっかりしてくれ」

 むむむむむ。対応の落差が激しすぎる!

「起きてましたよっ! 小野寺さんこそ、さっきお客様とケンカしてたでしょ」

 そう。見ましたよ、私、あんみつは。この目でしっかりと。

 お客様相手に小野寺さんが「はあ?」と怒声を浴びせていたことを。

「あとでシェフに言いつけてやろっかな」

 握った貴重な弱味は大切にしなければ。

「それならもうシェフに報告済み。難癖つけて無料(タダ)にしろ、とか言ってくる、よくあるクレーマー」

「クレーマー……」
 それでもあんな態度見せたら『火に油』になるのでは……。

「クレーマーには下手(したて)に出ないってのが俺のポリシーなんで」

「はあ」

「あんたは真似しない方がいい。返って逆上させるから」

 むむ……。

「そういう時はすぐ俺呼んで」

「え、助けてくれるんですか?」
 意外に紳士的?

「そういう時の対応は店の印象に大きく影響するから。あんたっていうより店のため」

 ぐぬぬぬぬ……。またこいつは。握った拳が震えるわ。

 こんな会話ができるくらいに、お店は一時的に落ち着きを見せていた。もちろん手は休めず箱折りをしたり片付けや整理をしたり残りの注文確認をしながらのことだけど。

 時刻はこれから夕食時を過ぎて、最後に帰宅前のお父様方がどどっと訪れて、それで〈シャンティ・フレーズ〉の長い『母の日』は閉幕を迎える。

「小野寺さんって」

「なに」

 まず話しかけんな、というおっかないオーラを出さないでほしいのですが。

「なんでそんなに販売の仕事慣れてるんですか?」

 いい機会だし前から気になっていたことを訊いてみた。入社は同期のはずなのに、しかも私はアルバイト歴もあるっていうのに、どうやっても小野寺さんの方が一枚上手(うわて)なんだもん。

「経験あるんですか?」

 ラッピングだって上手だし、さっきみたいなクレーム対応だって。

「経験自体は大してないけど」

 箱折りだってとっても丁寧。私よりずいぶん大きな手なのにさ。

「けど?」

「ケーキ屋めぐりは趣味だから。いろんな店員や接客は見てきたし、クレーム対応の現場に遭遇したこともあった」

「ケーキ屋めぐり……。それってどのくらい……?」

「さあ。高校の時からだから、丸五年? この辺のは全部行ったし、遠方にも出向く。何度も行ってるとこもある」

「な、なんでそんなスリムなんですか!?
 魔法!? スーパーイリュージョン!

「接客の話じゃなかったの」

 ふ、と笑った顔が意外とかわいかった。どきっとしたのは絶対に内緒。

「そう。だから小野寺くんは接客はほぼ完璧。ははん。でもねぇ、販売員としてはまだ不完全なんだよねぇ」

 声に驚いて振り向くと、苺ショートを綺麗に並べたトレーを持って立つシェフの姿があった。

「不完全、なんですか?」

 一体どこが? と小野寺さんを見ると、「おろ、あんみつちゃんもわかんない?」とシェフに言われてしまった。

「それがわかったら、厨房に入れたげる約束だからね」

 シェフはにんまりと笑って小野寺さんの肩に軽く触れると厨房へ引っ込んだ。その背中を恨めしそうに見つめる小野寺さん。

「ただの嫌がらせなんじゃないかと、最近思うんだけど」

「ま、まさかぁ」

 シェフが言うことだもん、嫌がらせなんかじゃないはず。でもなんだろう。小野寺さんの不完全な部分……。考えても全く思い当たらなかった。


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