第39話 それぞれの道へ
文字数 2,004文字
さて。小野寺くんに続いてこの春に変化を迎えるのはあと二人。
ひとりは、那須さん。
専門学校を卒業してから、丸五年、このシャンティ・フレーズでパティシエとして働いてきた、シェフとゆうこさんを除いた今のメンバーの中ではいちばんの古株さん。
「次、なんの仕事されるんですか?」
「えー。教えナイチンゲール」
「え、なんで」
「教えたくないから」
こんな小学生みたいな返しをしてくるけどこれでも26歳で一児の父です。
「ほんじゃ、おつかれした。くつ下。割り下」
そう言って片手を挙げた。いつも通り、にこやかに。
「那須さんんんん」
「……なんだよあんみつ姫、しんみりすんなよ」
「だって……」
女性からの評価は正直なところ賛否のある那須さんだけど、私にとっては頼れるお兄さん的な存在だった。だから居なくなってしまうのはとても、とても寂しいんだ。
「また会いにきてくだしゃい……」
「おー、那須くん。罪な男だな」
「ちょ、シェフ、人が悪いな。やめてくださいよ」
「俺は泣くほど嬉しいけど」
「おまえはだまれ小野寺」
ぎ、と睨んでから小野寺くんのその肩を掴んだ。
「しっかりやれよ」
先輩から、後輩へ。あ、いいな。そんな瞬間だった。
「盛大に送別会やるからね」
「あんたらただ飲みたいだけでしょ」
「まさかまさか。ね、兼定」
「前回飲みそびったんで、また高級ワイン期待してます。先輩」
「いや俺が持ってくのおかしくない!?」
そして、もうひとりは、タケコさん。
「もう泣いてるし」
「ないて、ないれす……」
「泣いてるじゃん」
「泣いてるね」
「泣いてる」
「泣いてる」
「……ないてにゃいのっ!」
ぐずん……はあ、と息をついた。
タケコさんは私が高校二年の時にパティシエールさんとして入社してきた。お姉ちゃんみたいで、時に妹みたいで、同級生みたいで。でもやっぱりしっかり年上のお姉さんで。いろんな悩みも言い合ったし、共感し合った。これまでも、そして、これからもずっと私の良き友。
「イタリアン、行きますからね」
「うん……じつは、報告しないといけないことがありまして」
「……え?」
私がキョロキョロと周りを見回すと、どうやら誰も心当たりはないようだった。
「じつは……」
その頬はピンクに染まっていた。まさか?
「わたくし、タケコ、この度……結婚することになりましたっ」
「ひ」
ひょえええええええ!
「え、うそ、タケコさん、え、え、まさか、あの店長さんと!?」
私が訊ねるとこくり、と小さく頷いた。
ひあー、松尾さんーーー!
「すごい! すごい! おめでとうございます! やだ、涙出てきた!」
結婚式は挙げないけれど、あのイタリアンのお店でお祝い会をやるんだそうです。
もちろん行かせていただきます!
「ひー、けっこんかぁ……」
私がしみじみつぶやくと隣で小野寺くんが「ぷ」と噴いた。「なに」
「べつに」
む。どうせ私には程遠い話ですよーだ。
そんなわけで。二人の送別会はそれはそれは盛大に執り行われたわけだった。
「俺はさ、嬉しいわけよ」
「なにがですか?」
「あんみつ姫が立派になって」
私は酔った那須さんにしっかり絡まれておりました。
「小野寺にいじめられて辞めたらどうしようかとずっと心配だったから」
「辞めませんよ、私は」
「今後もなんかあったらいつでも俺に言えな」
「那須くん。それ以上は浮気でセクハラ」
ゆうこさんに忠告されてちぇー、と口を尖らせた。
「あんみつ。どいて。俺も喋っとく」
「へ」
そう助け舟を出してくれたのは意外にも小野寺くんだった。
「最後くらい敬ってあげますよ。先輩」
「おま、日本語がおかしいだろーが! 『敬わせていただきます』っつーんだよそこは!」
ほんとかわいくねー後輩! とまた小突かれていた。
その横で。
「ね、ね、タケコさん。聞かせてくださいよ。バレンタインデーの話から」
小野寺くんに席を譲った私は次にタケコさんの隣に移動していた。
「えーやだ。……けどあんみつちゃんにはお世話になったからなぁ」
「はい。大変お世話させていただきました」
「ふふ。そうだねー。おかげであの日からね、そういうことになったんだよ」
「ひー! やっぱりそうだったんですね!?」
「詳しいことは20歳 過ぎてから教えてあげる」
「むー! 子ども扱いしないでください!」
「子どもじゃん。こんなの飲んでー」
「むー!」
今日も私はリンゴジュース。来年には仲間に入れてもらうんだからね。
さて。名残惜しい会にもいつかは終わりの時が訪れる。
私たちは、たいへん居心地のいいチームだったけど、それをこの春一部解散して、そして新たにチームを創ってゆく。
寂しいけど、それもまた『働く』ということ。
大きく大きく手を振って、別れを惜しんで、そうしてまた、それぞれ前を向いて歩き出そう。
「おつかれさまでした!」
会えなくなっても、同じ時間を過ごした過去は変わらない。別れ別れになっても、ずっと仲間だって、私は思う。
ひとりは、那須さん。
専門学校を卒業してから、丸五年、このシャンティ・フレーズでパティシエとして働いてきた、シェフとゆうこさんを除いた今のメンバーの中ではいちばんの古株さん。
「次、なんの仕事されるんですか?」
「えー。教えナイチンゲール」
「え、なんで」
「教えたくないから」
こんな小学生みたいな返しをしてくるけどこれでも26歳で一児の父です。
「ほんじゃ、おつかれした。くつ下。割り下」
そう言って片手を挙げた。いつも通り、にこやかに。
「那須さんんんん」
「……なんだよあんみつ姫、しんみりすんなよ」
「だって……」
女性からの評価は正直なところ賛否のある那須さんだけど、私にとっては頼れるお兄さん的な存在だった。だから居なくなってしまうのはとても、とても寂しいんだ。
「また会いにきてくだしゃい……」
「おー、那須くん。罪な男だな」
「ちょ、シェフ、人が悪いな。やめてくださいよ」
「俺は泣くほど嬉しいけど」
「おまえはだまれ小野寺」
ぎ、と睨んでから小野寺くんのその肩を掴んだ。
「しっかりやれよ」
先輩から、後輩へ。あ、いいな。そんな瞬間だった。
「盛大に送別会やるからね」
「あんたらただ飲みたいだけでしょ」
「まさかまさか。ね、兼定」
「前回飲みそびったんで、また高級ワイン期待してます。先輩」
「いや俺が持ってくのおかしくない!?」
そして、もうひとりは、タケコさん。
「もう泣いてるし」
「ないて、ないれす……」
「泣いてるじゃん」
「泣いてるね」
「泣いてる」
「泣いてる」
「……ないてにゃいのっ!」
ぐずん……はあ、と息をついた。
タケコさんは私が高校二年の時にパティシエールさんとして入社してきた。お姉ちゃんみたいで、時に妹みたいで、同級生みたいで。でもやっぱりしっかり年上のお姉さんで。いろんな悩みも言い合ったし、共感し合った。これまでも、そして、これからもずっと私の良き友。
「イタリアン、行きますからね」
「うん……じつは、報告しないといけないことがありまして」
「……え?」
私がキョロキョロと周りを見回すと、どうやら誰も心当たりはないようだった。
「じつは……」
その頬はピンクに染まっていた。まさか?
「わたくし、タケコ、この度……結婚することになりましたっ」
「ひ」
ひょえええええええ!
「え、うそ、タケコさん、え、え、まさか、あの店長さんと!?」
私が訊ねるとこくり、と小さく頷いた。
ひあー、松尾さんーーー!
「すごい! すごい! おめでとうございます! やだ、涙出てきた!」
結婚式は挙げないけれど、あのイタリアンのお店でお祝い会をやるんだそうです。
もちろん行かせていただきます!
「ひー、けっこんかぁ……」
私がしみじみつぶやくと隣で小野寺くんが「ぷ」と噴いた。「なに」
「べつに」
む。どうせ私には程遠い話ですよーだ。
そんなわけで。二人の送別会はそれはそれは盛大に執り行われたわけだった。
「俺はさ、嬉しいわけよ」
「なにがですか?」
「あんみつ姫が立派になって」
私は酔った那須さんにしっかり絡まれておりました。
「小野寺にいじめられて辞めたらどうしようかとずっと心配だったから」
「辞めませんよ、私は」
「今後もなんかあったらいつでも俺に言えな」
「那須くん。それ以上は浮気でセクハラ」
ゆうこさんに忠告されてちぇー、と口を尖らせた。
「あんみつ。どいて。俺も喋っとく」
「へ」
そう助け舟を出してくれたのは意外にも小野寺くんだった。
「最後くらい敬ってあげますよ。先輩」
「おま、日本語がおかしいだろーが! 『敬わせていただきます』っつーんだよそこは!」
ほんとかわいくねー後輩! とまた小突かれていた。
その横で。
「ね、ね、タケコさん。聞かせてくださいよ。バレンタインデーの話から」
小野寺くんに席を譲った私は次にタケコさんの隣に移動していた。
「えーやだ。……けどあんみつちゃんにはお世話になったからなぁ」
「はい。大変お世話させていただきました」
「ふふ。そうだねー。おかげであの日からね、そういうことになったんだよ」
「ひー! やっぱりそうだったんですね!?」
「詳しいことは
「むー! 子ども扱いしないでください!」
「子どもじゃん。こんなの飲んでー」
「むー!」
今日も私はリンゴジュース。来年には仲間に入れてもらうんだからね。
さて。名残惜しい会にもいつかは終わりの時が訪れる。
私たちは、たいへん居心地のいいチームだったけど、それをこの春一部解散して、そして新たにチームを創ってゆく。
寂しいけど、それもまた『働く』ということ。
大きく大きく手を振って、別れを惜しんで、そうしてまた、それぞれ前を向いて歩き出そう。
「おつかれさまでした!」
会えなくなっても、同じ時間を過ごした過去は変わらない。別れ別れになっても、ずっと仲間だって、私は思う。