第58話 こじらせ恋愛

文字数 2,151文字

 小野寺くんはその後無事に回復して翌日には普段通り元気に出勤してきた。

 よかった。安心するとともに、私はあの日の南美ちゃんの言葉が頭から離れなくて困っていた。


 ──あんみつちゃんを巻き込みたくないの。


 一体なにに巻き込みたくないというのか。小野寺くんのこと、好きにならないでってこと? でも妹さんがなんでそんなことを。

 幸いというか小野寺くんとはお店ではそれほど顔を合わせたり会話をすることもほぼない。だけどどうしてももやもやしてしまう。

 そんな気持ちが顔に出ていたらしい。

「あら。悩み事? ほんとにわかりやすいもんね、あんみつちゃんは」

 ゆうこさんに笑われてしまった。

「悩み事は誰かに相談するのかいいんじゃない?」

 そうか。……でも誰に?



「いらっしゃ……うわ、悩んでるでしょ」

「そんなにわかりやすいですか?」

 ここは行きつけ……なんて言っていいのかわからないけど、私の大好きな人が働くイタリアンのお店。

「うん、わかりやすい。だって暗いもんー! なに、お酒飲む? 付き合おうか?」

「お酒はいらないです……」

 タケコさんは「なあんだ」と残念そうに言った。そっか、この人もお酒好きだったっけ。

 三年前まで〈シャンティ・フレーズ〉でパティシエールをしていたタケコさんは、縁あってこのイタリアンの専属パティシエに転職。今はここの店長さんと結婚して夫婦で仲良くお店を切り盛りしている。

「なるほどね。あんみつちゃんもついに恋のお悩みだ?」

 鋭い質問にお水を「ぶ」と噴く。盛大にむせて心配されてしまった。

「図星もわかりやすい」
「もう、からかわないでくださいよ」
「小野寺でしょ」
「ぐぬぬう!」

 ろくに喋らなくてもここまでバレる私もなかなか凄いと思うけど。

「見たよ、この前のコンテストの記事。すごいねぇ彼は。出世コースまっしぐらじゃん」

 それはそうかもしれないけど。話題に出すだけでもう胸が苦しい。むう。私らしくもない。

「じれったいなあ、何年もさ。さっさと付き合えばいいのにと思うけど。だめなの?」

「ひい、簡単に言わないでください」
「だって好きなんでしょ?」
「好きっていうか」
「え。まだそのレベル?」
「むう……」

 レベルってなんですか。もう。

「そこを認めないとまず始まんないよ」

「認めるもなにも」
「向こうは?」
「向こうは……」

 ──付き合わねえ? 今日から。

「どうだろう」

「告白されたりしてないの?」

 ぐ。鋭い。

「ん? されたの?」
「んんんんん」

 私が唸るとタケコさんは「なに」とたじろいだ。

「振っちゃいました」

「は!? なんで!」

「だって!」

 あれ、泣きそうだ私。なんでだろう。

「『ヴァンドゥーズとして好き』なんて言われたから……」

 するとタケコさんはあんぐり口を開いて空をあおいだ。白目だった。

「……くう、バカ小野寺」

 それから項垂れて「あんみつちゃんもバカ」と呻くように付け足した。

「はー。すごいね、こじらせ恋愛って実在するんだ」

「やめてくださいよ」

 飲んだ水の味すらも苦い気がする。

「じゃあ先輩の私が教えてあげる」
「……なにをですか」

「ではどうして『ヴァンドゥーズのあんみつちゃんが好き』って言われて、嫌だったのでしょう?」

「え、いきなりクイズ?」
「いいから答えてみ」

「むう。それは……私のことちゃんと見てくれてないと思ったから」

「なに言ってんの。『ちゃんと』なんて恋人同士になってから知れるんだよ」

「ええ……?」

 なんだかこんがらがってきた……。

「結婚して、毎日一緒に生活してても『こんな一面が』って驚くこともあるんだから」

「そうなんだ……」

「そして、それがすごく嬉しいんだよ」

「嬉しい……?」

「そう。嬉しいの。相手の知らなかった部分を知れることが」

 タケコさんはそう言うと、「ひい、私がこんなこと言うようになるとはね」と両腕を抱いてさすった。

「どれだけ知ってるかなんてどうでもいい。大事なのはあんみつちゃんが相手のことを『知りたいか』ってこと」

 びし、と鼻先を指でさされた。

「そもそもあんみつちゃんだって、小野寺くんのなにを知ってんのさ」

「なにって……」
 ケーキ馬鹿のヘンタイ……。だけどたしかに、『天才』だとか迂闊に言って怒られたんだった。

「じゃあケーキ以外の部分はどのくらい知ってる?」

「え……と」

「家事が出来ない」
「ふんふん」
「いつも黒い服」
「うん」
「頭いい」
「そうなんだ」
「家族と仲悪い」

「ああ。だけど妹の……南美ちゃん、だっけ? とは仲良く仕事してるんでしょ?」

 南美ちゃんはタケコさんと入れ替わりに入社したからタケコさんは彼女をあまり知らない。

 南美ちゃんの名前が出てまた胸が苦くなってしまった。言ってしまおうか。タケコさんに言えばなにか手がかりが見つかるかもしれない。

「……その南美ちゃんから」

「なに?」

 言い淀むとじっと見つめられてしまった。もう言うしかない。

「小野寺くんのこと、好きにならないで、って言われてしまって」

「え……」

 厳密には、関わりすぎないで、と言われたわけだけど。

「『巻き込みたくないから』って。それって……どういう意味ですかね」

 するとタケコさんは少しその視線を手もとに落としてから「あんみつちゃん」と神妙な顔で私を見つめた。

「じつはちょっとした噂を聞いたことがあってね」

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