第107話 本題は?
文字数 1,562文字
着替えを済ませて廊下に出ると、ちょうどトイレから出てきた佑くんと鉢合わせた。
「ああ、おつかれした」
「ごめんね佑くん。迷惑かけて」
「いえ」
つか聞きましたか。と訊ねられて首を傾げた。
「シェフとゆうこさん、別居するとかって」
「え」
ぞくり、と寒気がした。
「まあもう娘さんたちもそれぞれ大人になって、親としての責務全うっていうか。そんなところみたいっすよ」
「ゆうこさん……どうするのかな」
鼓動が速い。身体に悪いよ、もう。
「一番上のお姉さんと東京で暮らすみたいなこと言ってましたけどね。シェフは現状維持。真由も今のまま続けるつもりって言ってました」
「そうなんだ……」
こんなところで知ることになるとは。
「まあ、ずっと嫌だったらしいっすね。販売員の仕事。休みもあんまないし、立ちっぱだし。旦那に仕方なく付き合ってやってたって感じなんすかね? いい加減自由になりたいって、大げんかしたとかって」
知らなかった。ゆうこさんがヴァンドゥーズの仕事を嫌だと思っていたなんて。私が憧れていたゆうこさんからは、そんな様子全く感じられなかった。
──ゴー、あんみつ!
ゆうこさん。
会いに行かないと。そう思った。
【今日、いつでもいいので会えませんか。少し話がしたいです】
メッセージを送信すると、意外にもすぐに返信が来た。
【家にいるからいつでも大丈夫。あんみつちゃん、今日おやすみ?】
早帰りにしてもらった旨を伝えて、私の体調を考慮して私の自宅にゆうこさんが来てくれることとなった。
なんだかそわそわする。シェフとゆうこさんの家には何度かお邪魔したことはあったけど、ゆうこさんを自宅に招くのは初めてのことだった。
「へーえ。いいマンションねぇ」
休日のゆうこさんはヴァンドゥーズの姿とはずいぶん雰囲気が違って見えた。大福もちのような頬に今日は気合いのチークがのっていない。ふっくらとしたそれはナチュラルな薄桃色だった。
ずっと慕ってきた人。憧れであって、目標でもあった。
「経過は順調? ね、エコー写真とかないの?」
「え……。ありますけど」
「見せて見せて」
わかっていて本題を避けているのか。それとも本当に赤ちゃんの話がしたいのか。もしかしたらどっちもなのかもしれないけど。
ゆうこさんは白黒のエコー写真を手に取って「懐かしい」「やっぱ昔より見やすいのね」なんて目を細めていた。
「けどあのあんみつちゃんがお母さんになるんだもんねぇ」
そうして今度は私の方をしみじみと眺めた。「ついこの間まで高校生だったのに」と。
「失敗も多かったよね。覚えてる? あんみつちゃん、トングが下手で。掴み損ねて何個ケーキ潰したことか。それでうちの店はトングやめたんだから」
ぶ、とお茶を噴きそうになった。
もう、なんてひどい昔話を引っ張り出してくれるの。そう、その件があって今でも〈シャンティ・フレーズ〉では衛生手袋でケーキをお取りしている。
「笑顔と一生懸命さだけは当時から百点満点だったけどね。ふふ。ね、そういうとこ、りんごちゃんと似てない?」
たしかに……そうかも。あの子は昔の私なのか。
「だからあんみつちゃんとも、小野寺くんともきっと合うわ」
「ゆうこさん……」
そんな話をしに来たわけじゃ、ないでしょう?
「……教えてくれないんですか?」
辞める理由を。私には。
じ、と見つめると、ふ、と目を細めて「なにを?」とわざと訊ねてくる。
「離婚、するんですか?」
知りたい。隠そうとしているのがわかっていても、知りたい。大好きな人だから。出来ることがあるのなら、助けになりたいから。
ゆうこさんは微笑んだままで少しの間私を見つめて、やがて観念したようにその目を伏せた。
「新婚の妊婦さんに聞かせたい話じゃないのよ」
それでも懇願すると、「なら」とようやくその口を開いてくれた。
「ああ、おつかれした」
「ごめんね佑くん。迷惑かけて」
「いえ」
つか聞きましたか。と訊ねられて首を傾げた。
「シェフとゆうこさん、別居するとかって」
「え」
ぞくり、と寒気がした。
「まあもう娘さんたちもそれぞれ大人になって、親としての責務全うっていうか。そんなところみたいっすよ」
「ゆうこさん……どうするのかな」
鼓動が速い。身体に悪いよ、もう。
「一番上のお姉さんと東京で暮らすみたいなこと言ってましたけどね。シェフは現状維持。真由も今のまま続けるつもりって言ってました」
「そうなんだ……」
こんなところで知ることになるとは。
「まあ、ずっと嫌だったらしいっすね。販売員の仕事。休みもあんまないし、立ちっぱだし。旦那に仕方なく付き合ってやってたって感じなんすかね? いい加減自由になりたいって、大げんかしたとかって」
知らなかった。ゆうこさんがヴァンドゥーズの仕事を嫌だと思っていたなんて。私が憧れていたゆうこさんからは、そんな様子全く感じられなかった。
──ゴー、あんみつ!
ゆうこさん。
会いに行かないと。そう思った。
【今日、いつでもいいので会えませんか。少し話がしたいです】
メッセージを送信すると、意外にもすぐに返信が来た。
【家にいるからいつでも大丈夫。あんみつちゃん、今日おやすみ?】
早帰りにしてもらった旨を伝えて、私の体調を考慮して私の自宅にゆうこさんが来てくれることとなった。
なんだかそわそわする。シェフとゆうこさんの家には何度かお邪魔したことはあったけど、ゆうこさんを自宅に招くのは初めてのことだった。
「へーえ。いいマンションねぇ」
休日のゆうこさんはヴァンドゥーズの姿とはずいぶん雰囲気が違って見えた。大福もちのような頬に今日は気合いのチークがのっていない。ふっくらとしたそれはナチュラルな薄桃色だった。
ずっと慕ってきた人。憧れであって、目標でもあった。
「経過は順調? ね、エコー写真とかないの?」
「え……。ありますけど」
「見せて見せて」
わかっていて本題を避けているのか。それとも本当に赤ちゃんの話がしたいのか。もしかしたらどっちもなのかもしれないけど。
ゆうこさんは白黒のエコー写真を手に取って「懐かしい」「やっぱ昔より見やすいのね」なんて目を細めていた。
「けどあのあんみつちゃんがお母さんになるんだもんねぇ」
そうして今度は私の方をしみじみと眺めた。「ついこの間まで高校生だったのに」と。
「失敗も多かったよね。覚えてる? あんみつちゃん、トングが下手で。掴み損ねて何個ケーキ潰したことか。それでうちの店はトングやめたんだから」
ぶ、とお茶を噴きそうになった。
もう、なんてひどい昔話を引っ張り出してくれるの。そう、その件があって今でも〈シャンティ・フレーズ〉では衛生手袋でケーキをお取りしている。
「笑顔と一生懸命さだけは当時から百点満点だったけどね。ふふ。ね、そういうとこ、りんごちゃんと似てない?」
たしかに……そうかも。あの子は昔の私なのか。
「だからあんみつちゃんとも、小野寺くんともきっと合うわ」
「ゆうこさん……」
そんな話をしに来たわけじゃ、ないでしょう?
「……教えてくれないんですか?」
辞める理由を。私には。
じ、と見つめると、ふ、と目を細めて「なにを?」とわざと訊ねてくる。
「離婚、するんですか?」
知りたい。隠そうとしているのがわかっていても、知りたい。大好きな人だから。出来ることがあるのなら、助けになりたいから。
ゆうこさんは微笑んだままで少しの間私を見つめて、やがて観念したようにその目を伏せた。
「新婚の妊婦さんに聞かせたい話じゃないのよ」
それでも懇願すると、「なら」とようやくその口を開いてくれた。