第114話 続ける理由
文字数 1,497文字
「そんときは、シェフと同じだと思うよ」
つまりひとりでもお店を続ける、と。私がいても、いなくても。うん、兼定くんはそうだと私も思う。
「シェフは、元気?」
私が訊ねると真由ちゃんは「はい」と答えた。
「さすがに参ったみたいでしたけど。仕事で紛らわしてるのか前より真面目にいろいろ取り組んでます」
「そっか」とほっとしたのもつかの間、真由ちゃんは床に視線を落としつつ低い声で「だけど〈シャンティ・フレーズ〉の全盛期は」と話を続けた。
「小野寺店長が本店の厨房にいた頃なんだろうなって、私思います」
私と佑が入社するより前の。と。
「あの頃が父は一番楽しそうでした。毎晩『兼定が』『兼定が』って言ってて。『小野寺さんの話はもういいよ』って、家族がうんざりするくらい」
たしかにあの頃のシェフは兼定くんを愛弟子にしていた。勤務中も、休日さえも、まるで本当の親子のように。
「二号店が無事にオープンしたのはよかったけど、お母さんが辞めて、頼りの佳乃さんもそろそろ独立したがってる。パティシエとヴァンドゥーズそれぞれに新人さんを入れるって話もあるけど、この機会にお店を畳む選択肢も冗談抜きであると思いますよ。二号店だけ残して」
「え、そんな!」
思わず叫んだ。だってそんなの、あまりに悲しすぎるよ。
「お父さんだって専門学校の常勤講師の話がだいぶ前から来てるんですよ」
「そ、そうなの?」
兼定くんを見ると肯定も否定もせずに無表情の目を真由ちゃんに向けていた。「知ってた?」と私が訊ねると「まあ」と短く答えて続けた。
「けどその話には乗らないよ。あの人は」
向いてない。とバッサリ斬った。
「店も畳んだりはしないと思うよ。少なくとも、死ぬまでは」
そういうタイプっしょ。と言って真由ちゃんを見ると、「ふ」と目を細めた。
「全盛期がいつかなんて、全部終わらないとわかんないよ。俺がいた頃はたしかにシェフにとっては充実してたかもしんない。けど、この先それを超える時代が来ないとも限らない。そんでそこには、続けてないと到達できない」
ごくり、と唾を飲んでいた。続ける理由。辞めない理由。私たちが追い求めるものは、明確であって不明確。でもそれでいい。それが面白いのだから。
真由ちゃんは俯いてからくすりと笑うと、そのまま兼定くんを見上げて微笑みながら言った。
「やっぱ私、小野寺店長のこと嫌いです」
え、なんで!?
「だって。私より、お母さんより、お父さんのこと全部わかってて。フランス行っててそのまま二号店勤務になったのに、なんでそこまでシェフのことわかるんですか? 連絡だってそんなに取ってないでしょ?」
「それはパティシエ同士だからなんじゃない?」
私が言うと真由ちゃんは「へ」と眉根を寄せた。そしてその視線は佑くんへ向く。
「佑も、わかった?」
「え」
わかんねーよ、と顔に書いてある。
「わかるようになるんだよ。佑くんにも。逃げずに続けてれば」
「……それ、試験受けろってことっすか」
「それは自分で決めないと」
微笑みかけると、佑くんは苦い顔をして不満げに鼻でため息をついた。
帰り際、玄関で靴を履きながら「佑」と兼定くんが呼ぶ。
「……なんすか」
弟子はすっかり居心地悪そうにして答えた。
「受けるんなら絶対に受かってよ」
び、とさした指は佑くんの眉間にまっすぐ向いていた。
「最後のおさらい、まだ途中だったっしょ。やる気あんなら明日言ってきて」
これはプレッシャーではなくて、兼定くんなりの「辞めるな」というエールだ。どうでもいいと思っている相手に、彼は絶対自分からこういうことは言わないから。
佑くん。頑張って。決断は本人に委ねて帰宅した。
つまりひとりでもお店を続ける、と。私がいても、いなくても。うん、兼定くんはそうだと私も思う。
「シェフは、元気?」
私が訊ねると真由ちゃんは「はい」と答えた。
「さすがに参ったみたいでしたけど。仕事で紛らわしてるのか前より真面目にいろいろ取り組んでます」
「そっか」とほっとしたのもつかの間、真由ちゃんは床に視線を落としつつ低い声で「だけど〈シャンティ・フレーズ〉の全盛期は」と話を続けた。
「小野寺店長が本店の厨房にいた頃なんだろうなって、私思います」
私と佑が入社するより前の。と。
「あの頃が父は一番楽しそうでした。毎晩『兼定が』『兼定が』って言ってて。『小野寺さんの話はもういいよ』って、家族がうんざりするくらい」
たしかにあの頃のシェフは兼定くんを愛弟子にしていた。勤務中も、休日さえも、まるで本当の親子のように。
「二号店が無事にオープンしたのはよかったけど、お母さんが辞めて、頼りの佳乃さんもそろそろ独立したがってる。パティシエとヴァンドゥーズそれぞれに新人さんを入れるって話もあるけど、この機会にお店を畳む選択肢も冗談抜きであると思いますよ。二号店だけ残して」
「え、そんな!」
思わず叫んだ。だってそんなの、あまりに悲しすぎるよ。
「お父さんだって専門学校の常勤講師の話がだいぶ前から来てるんですよ」
「そ、そうなの?」
兼定くんを見ると肯定も否定もせずに無表情の目を真由ちゃんに向けていた。「知ってた?」と私が訊ねると「まあ」と短く答えて続けた。
「けどその話には乗らないよ。あの人は」
向いてない。とバッサリ斬った。
「店も畳んだりはしないと思うよ。少なくとも、死ぬまでは」
そういうタイプっしょ。と言って真由ちゃんを見ると、「ふ」と目を細めた。
「全盛期がいつかなんて、全部終わらないとわかんないよ。俺がいた頃はたしかにシェフにとっては充実してたかもしんない。けど、この先それを超える時代が来ないとも限らない。そんでそこには、続けてないと到達できない」
ごくり、と唾を飲んでいた。続ける理由。辞めない理由。私たちが追い求めるものは、明確であって不明確。でもそれでいい。それが面白いのだから。
真由ちゃんは俯いてからくすりと笑うと、そのまま兼定くんを見上げて微笑みながら言った。
「やっぱ私、小野寺店長のこと嫌いです」
え、なんで!?
「だって。私より、お母さんより、お父さんのこと全部わかってて。フランス行っててそのまま二号店勤務になったのに、なんでそこまでシェフのことわかるんですか? 連絡だってそんなに取ってないでしょ?」
「それはパティシエ同士だからなんじゃない?」
私が言うと真由ちゃんは「へ」と眉根を寄せた。そしてその視線は佑くんへ向く。
「佑も、わかった?」
「え」
わかんねーよ、と顔に書いてある。
「わかるようになるんだよ。佑くんにも。逃げずに続けてれば」
「……それ、試験受けろってことっすか」
「それは自分で決めないと」
微笑みかけると、佑くんは苦い顔をして不満げに鼻でため息をついた。
帰り際、玄関で靴を履きながら「佑」と兼定くんが呼ぶ。
「……なんすか」
弟子はすっかり居心地悪そうにして答えた。
「受けるんなら絶対に受かってよ」
び、とさした指は佑くんの眉間にまっすぐ向いていた。
「最後のおさらい、まだ途中だったっしょ。やる気あんなら明日言ってきて」
これはプレッシャーではなくて、兼定くんなりの「辞めるな」というエールだ。どうでもいいと思っている相手に、彼は絶対自分からこういうことは言わないから。
佑くん。頑張って。決断は本人に委ねて帰宅した。