第74話 吹き飛ばされる

文字数 1,630文字

「飲みたい。今日は」
「んん」

「付き合って」
「……はい」

 仕方なく渡された缶を開栓して相手のものに控えめに当てた。カツ、と弱い音が鳴る。

「おつかれ」
「おつかれさま」

 ぐい、と一気に流し込んで「嫌んなった?」といきなり突っ込んできた。その表情は意外にもすっきりとした困り顔だった。

「そういうわけじゃ……」

 好きかどうか、単純な話なら答えは簡単。だけど将来まで考えるとなると、本当に私でいいのかと自信をなくしてしまう。

「『下等な血』って言われたの、気にしてんでしょ」

 図星。やっぱりバレてたか。わかってる。気にしなくていいっていうのは。だけど気になるよ、気になるんだもん。

「住む世界がちがう、なんて思ったの」

「それは……」
 思った。思ったよ。兼定くんは言い淀む私を見て「まあそうなるよな」とお酒の缶を眺めながら寂しげに呟いた。

「縁を切っても、完全に無視できるわけじゃない。あの家や(ジジイ)が俺の血縁だって事実はどう足掻いても変わらないから」

 そんな悲しそうな顔、しないで。

「やっぱり怖いし面倒だって言うんなら、俺はこれ以上は無理にあんみつを巻き込みたくはない」

「ちがうの」

 お父さんはたしかに怖い。だけどそういうことじゃない。

「ちがうよ。お父さんは……たしかに怖かった。けどそれで嫌だとか面倒とかは思わないよ。むしろ、なんとか理解し合う方法があればいいのにって思ったくらいで……。それより、小野寺くんが……本物の王子様みたいだったから。その、私で……本当にいいのかなって不安になっちゃったんだよ」

 庶民の私があなたに本当に相応しいのか心配なんだよ。

 すると彼ははお酒をテーブルにコン、と置いてひと言、私の目を見て言った。

「名前、決めてんだよね」

「へ?」

 なにかと思ったら。

「子どもの名前」

 びっくりすることを言うんだから。

「こ、子どもの名前……?」
「そう」
「え、それって」
「俺たちの」

 俺たちの……。

「え、え!? あの、えと、それは」
「聞きたい?」

「……え、と、うん」
「聞くなら産んでよ?」

「え!?

 私の反応を見て「はは」と笑った。そしてまっすぐ私の目を見て、彼は、言った。

「あんみつ。俺と結婚して」

 吹き飛ばされる。自信のなさも、不安も、なにもかも。

「私で……いいの?」
「おまえがいいの」

「でも私」
「下等? どこの『馬鹿』がそんなこと言ったわけ」

 また泣くのかよ、と呆れる彼は優しく私を抱き寄せた。

「ね……、当ててみていい? 名前」
「はあ? 当たるかよ」
「待って。えっとね……男の子?」
「男の場合と、女の場合」
「わかるよ。女の子は『いちご』でしょ?」
「……」
「当たり? ね」
「……やめよ。耐えられない」

 身体を離して、あーあ、と残ったお酒をあおる。ふふ。照れてるんだね。ってことは当たりだ。じゃあ男の子はなんだろうな。

 すると兼定くんは照れ隠しにか少し真面目な顔をして「いちごならまだいいけど」と続けた。

「もし男だったらまた跡取りだなんだって煩くされるかもしれない。あの爺が生きてる限りは」

「『下等な血』って言ったのに?」
「根に持つなよ」
「むう……」

「ああいう考え方しか出来ないんだ。学力と家柄が全て。バカだろ。でも仕方ない。ずっとそんな世界で生きてきた人だから」

 んん、息苦しそうな世界だ。

「梓美のとこは子どもがいない。たぶんそれも爺が認めたがらない理由なんだろーね」

 なるほど……。

「あれは怖い人だから。古い考えの生き残りっつーか。そりゃ女性の自立みたいな考え持つ俺や母さんとは合わないわけだよ」

 合わない。それで縁を切る。仕方ない。……んん、やっぱり、少し寂しい。甘いかな? それでも。すぐには無理でもいつか。少しでも。歩み寄れればいいのに。

 兼定くんはからになった缶をテーブルにトン、と置くとベッドにどさりと寝そべった。

「……中学の頃から、高校に入ったら自立するって決めてたんだ」

 ぼんやりと天井を眺めていて、すら、と視線を私へと移した。「隣、来てよ」「えっ」

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