第66話 実家の話

文字数 1,880文字

「まずうちは、長女、二女、長男、三女の四人きょうだいで」

「お、お姉さんが二人も!?

 次々明かされる新事実に思考を追いつかせるだけで精一杯だった。

「そう。で、長男の俺が跡取りとして育てられたわけだけど、今は長女の梓美(あずみ)が婿を取って実質そこが跡取り候補……なんだよな? 南美」

「そう。苗字も〈小野寺〉で」

「それなら小野寺くんはもう跡取りじゃないってこと?」

 私が訊ねると「そう簡単に済めばいいんだけどね」と苦い顔をする。お酒の缶を傾けて中を覗いてからひっくり返して僅かに残る雫をすすった。

「父親は梓美を認めてない。婿を取ることも最後まで反対してたし、『継がせる気はない』って聞かないんだと」

「それは兼定を待ってるからでしょ?」
「いや。女だからだろ」

 なんと……。そういう考えの方なんですね。

「バカみたいに堅い頭で。『パティシエ』って言葉さえ使えないんだ。『ヴァンドゥーズ』なんて言ったところで通じるわけない。そもそも結婚した女が働くことを良しとしてない」

 そんな。それじゃ小野寺くんと考えが合うはずがない。

「つーかあの(ジジイ)はまだ俺に跡取りやれとか言ってんの?」

「『まだ』じゃない。ずっと待ってたんだよ。時が解決するなんて考え甘いよ。わざと五年(はな)って、『もう満足しただろう』って言うつもりでいるんだから」

「俺のことなんてさっさと忘れてくれればいいのに」

 言いながら忌々しげに例の封筒を睨んでいた。

「そんなことできるわけないでしょ。兼定はきょうだいで唯一の男だったんだから」
「好きでなったわけじゃない」
「それは誰でもそうだよ。運命を恨むしかない」

 運命を恨む……。なんだろう。お金持ちでも、恵まれていても、全然幸せじゃないなんて。

「とにかくお父さんはもう動いてる。今回のお金のこともそうだし、大学にも願書送ったって聞いたよ」
「はあ? 勝手に?」
「そう。これからでも大学行かせて跡継ぎにするつもりなんだから」

 ななな、なんてこと。大学に行くなんてことになれば当然パティシエは続けられない。

「春からなにか動きがありそうな感じはあったの。でも兼定が全然聞く耳持ってくれないから」

「おまえを無視してた結果がこれだって?」

 言って例の封筒を指さす。そして私の方に視線を向けると、呆れたように言った。

「二百万だよ。頭おかしいでしょ」

「にっ」
 予想を超えた金額に言葉を失い目を剥いた。

「このカネで俺を買い取るんだと」
「そんな言い方やめて」
「そういうことだろ。脅迫まがいの文書まで付けて」

 南美ちゃんをじろりと睨んだ。封筒は今日、お店の郵便受けにどさりと投函されていたのを帰り際にシェフが発見したんだそう。現金だしもちろん切手や消印はなくて、直接入れられたものらしい。

「わかってる。これを突き返しても次は店ごと潰すぞって俺を脅す気なんだろ」

 ぞくり、と寒気がした。店ごと……。シェフとゆうこさんの顔が浮かぶ。そんなことあっていいはずがない。

「どうやっても逃げられないよ。もう会うしかない。会って、跡取りはやらない、自分はパティシエとして生きて、この人と結婚します。って堂々と宣言すればいいんじゃん」

「そんな戯言(ざれごと)が通用するかよ」
「その戯言をやりたいんでしょ? 覚悟があるんでしょ?」

 黙る小野寺くんの表情はとても苦しそうだった。

 そんな顔、してほしくない。

「あ、あの……」

 会話に割って入るのはなかなか困難だったけど、伝えなくちゃ、と思ったのです。

「私、いいよ。一緒に会うよ。なんでもするよ」

 向けられた二つの似た顔。きっと四きょうだい揃って美形なんだろうな。

「小野寺くんの力になりたい」

 怖くないと言えば、嘘だけど。乗り越えなければいけないことなら、全力でサポートさせていただきます。それが私らしいと思うから。

 南美ちゃんは少し黙ってやがて「兼定」とお兄さんを呼んだ。

「ねえ、こんな彼女(ひと)、初めてじゃない? 兼定を『跡取り』としてじゃなくて、ちゃんとひとりの人として見てくれてる彼女なんて」

 私の知る限り初めてだよ……。と感動されてしまった。え、元カノさんは全員そんなだったの? あと南美ちゃん、お兄さんの元カノを全員把握しているのですか。一体何人いたのかな……。べつにいいけどさ。

「私、二人には絶対幸せになってほしい。なにかあれば全面的にサポートするから。とにかく、明日。お父さんには私から伝えておきます。時間はまた連絡するから。兼定、あんみつちゃん。健闘を祈ります」

 自分だとばかり思っていたサポート役はどうやら南美ちゃんで、私はがっつりスタメンだということをこの時ようやく理解した。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み