第15話 ことのはじまり
文字数 1,416文字
「タケコ! まだか!?」
「はいいい!」
「タケコ!」
「今すぐ!」
「遅せぇ! もういいよ、かして」
「すみましぇんん……」
今日はなにやら厨房が騒がしい。声は
ツクツクボウシも鳴きやんで、乾いた涼しい風が吹き始めた初秋の頃。
洋菓子店シャンティ・フレーズのショーケースには
こういうケーキってとっても美味しいんだけど、厨房では『あるひと手間』が大変パティシエ泣かせなんだそうで。
「シェフぅ……これってなんか機械でできないんですか? ミキサーでばーってやっても無理なんですか?」
「うん。無理だよ」
冷たい返しに「くぅ」と白目を剥く。タケコさんの前にあるのは大きな
「だめだ……もう筋肉が限界です」
「ほんと力ねーな、タケコ」
厳しい声は那須さんのもの。
「男の人と一緒にしないでくださいよ」
「うちの奥さんなんかひとりで余裕でやってたよ。ね、シェフ」
那須さんの奥さんは元ここのパティシエールさんなのです。つまり職場婚、というやつ。
「
「ゴリラって言ってたって言っとく」
「言ってないでしょ!」
はあーん。と項垂れた。「もうだめれす……」と弱音を吐くタケコさんの額を那須さんが木べらの
「鬼ですか」
「菩薩の那須と呼ばれている」
「誰から」
「自称だ」
こんなやりとりが裏漉し作業の間ずっと厨房から聞こえてくる。タケコさんにはわるいけど、那須さんとタケコさんの掛け合いは私はちょっと好き。
「そういやタケちゃん、ファンレター来てたよ。見た?」
「「は!?」」
シェフの突然の爆弾発言に声を上げたのはその場にいた全員だった。いや、今日も原価計算中の小野寺くんは除いて。
「な、なんですかそれ」
「さあ。朝郵便受けに入ってた。切手もないし、直接投函していったみたいだねぇ」
言いながらシェフは手紙の束の中からひとつの封筒を取り出して見せた。なんの変哲もない白の封筒。『パティシエのタケコさんへ』と記載があるらしい。差出人は……?
「『松尾』さんだって。……知ってる?」
シェフの問いにタケコさんは首を傾げた。
「読んでみてよ」
那須さんがさも楽しそうにそう促す。タケコさんはそれを横目で見てからシェフに「いいですか?」と訊ねた。
「どうぞ」
手紙は細かな文字で二枚もあったようで読むのになかなか時間がかかっていた。はじめは興味津々だったみんなも待てずに仕事に戻りはじめ、私たちもお客様のご来店があったり清掃作業にかかり始めた。
「お。終わった?」
那須さんの声に再び厨房を覗いた。ゆうこさんも一緒に。
するとタケコさんはいそいそと手紙をたたんで封筒にしまい込むと、「片付けてきます」とぼそぼそ言ってロッカー室に引っ込んでしまった。残された面々は顔を見合わせる。
ほどなくして戻ってきたタケコさんは何事もなかったかのように手を洗うと手紙の話はせずに再び裏漉し作業に黙々とかかり始めた。
「おいおいタケコ、なにが書いてあったんだよ。気になるだろーが」
那須さんに詰め寄られても「大丈夫です」とだけ答えてそれ以上は黙ってしまった。
私もゆうこさんと顔を見合わせて首を捻った。