第51話 白の貴公子の結婚(2)

文字数 3,160文字

「珍しく時間がかかったな」
「面目ありませぬ」ビクトは頭を下げた。
 こんな時間に報告に来たということは緊急か重要なことに違いなかった。
「苦労しました。なにせ当時のことを知る兵達の誰に聞いても名前すら知らぬというのです」
「ほう、それは面白い」ナルシア夫人の話と同じだった。
「ですが、皆一様に申すには、この世の者とは思えぬほど美しい容姿をしているということです。ところが、ある者は若く美しい女だといい、ある者は神々しいばかりの美しい男だといいます。人によって申す容姿が違っているのです。中には妖艶な女だという者もいました」「複数人いるということか」
「いいえ。恐らく同一人物と思われます」
 テプロは首を捻った。一体何者なのだ。
「さらに一様に申すのは、恐ろしく強い剣術の持ち主ということです」
「流派は分かるのか」「いいえ、そこまでは分かりませんでした。皆、これまで見たことの無い剣だと申しておりました」
 アジェンスト帝国にあっては、我がサンド流剣術こそ最強の剣なはずだ。それを上回る剣など聞いたことがない。まさか、サンド流の達人なのか。それにしても腑に落ちない。
「ただ、正体について、一つ分かったことがございます」「申してみよ」
「ハッ、かなり高貴な身分の方のようです」「うむ。そうではないかとは思っていた」
「しかも、王族に連なる身分の方のようです」
「うーむ」とテプロは唸った。
「現帝には、ご兄弟が3人おられる。その内のどなたかということか。まさか女性の皇族ではあるまい。既に嫁がれている」
「申し訳ありません。今、分かるのはここまでです」 
 この話もかなり重要な情報ではあるが、ビクトがこの深夜に現れたということは他にも報告があるに違いない。
「それともう一つ。明日の夜、エミール川湖畔の古城で密かに宴が催される予定です」
「誰の主催か」「現帝です」
 何い、とさすがのテプロも思わず声を上げた。
「私は聞いておらぬぞ。父上も招待されていないはずだ」「本当にごく少数の限られた方々しか参加されぬようです」
 父であるアランスト公爵すら知らされぬとは、只の宴ではないことは分かる。
「参加される方は分かるのか」「そこまでは分かりませんでした。明日、直接見張ってみます。ただ、かなり極秘な催しのようです。周辺を嗅ぎ回るのもかなりの危険を伴うと思われます」
 ビクトが言う程だ。相当なものだろう。
「分かった。お前のことだ。万が一のこともないと思うが用心せよ。悟られるな」「ハッ、お任せを。ただ、テプロ様との繋がりを消すため、報告までしばらく間が空くかもしれません」ウム、とテプロが頷くと、ビクトは気配を消した。
 ビクトが報告に現れたのは1週間経った後だった。いつも表情を変えぬ冷静な男の顔色が悪い。何かあったらしい。
「遅くなりました。申し訳ございません」
「例の古城での宴の件だな」「ハッ」
「かなり手こずったようだな」「面目ございません」
 今は深夜である。テプロはテラスで夜風に当たっている振りを装っている。
「確認できたのは、3名の方です」「誰だ」
「宰相シルバー大公様、サマンド長官、そして軍師ベニール様です」
 帝国の実権を握る錚々たる顔ぶれである。サマンド長官についてはナルシア夫人から聞いていたので、大きな驚きはない。
「宴というには人数が少ないな。それとも権力者同士羽目を外したいという趣向か」
「あと、お一人、確認は出来ませんでしたが、参加された方がいらっしゃいました」
「現帝か」「分かりません。かなり、厳重で馬車から降りる時も幕で囲まれているため、お姿を見ることは出来ませんでした」「うむ」
「中の様子は伺えたか」
「はい。但し蟻が入り込む隙がないほど、手の者が配置されておりましたので、その内の一人に紛れ、少しだけ、中の様子を覗くことが出来ました」
 ビクトは古城に忍び込んだ時の様子を報告した。元々この城はマントヴァ一世が居城としていたもので、マントヴァ宮殿に移ってからもしばらくは別荘として使われていた城である。今は朽ち果て、高く聳え立つ主塔が当時の栄華を物語っていた。
 場内に入り、ゆらゆらと揺れる燭台の灯りを頼りに、長い廊下を進むと、舞踏会場と思わしき広く豪華な部屋があった。しばらく使用されていなかったのであろう。カビの匂いが鼻をつく。
 そこで繰り広げられていたのは、想像を絶する行為だった。恐らくは二十歳前であろう、美しい生娘達が三人、壇上に立っていた。その生娘達を相手におぞましいことが繰り広げられていたのだ。
「まさか、シルバー大公、サマンド長官達が行っていた訳ではあるまい」
「はい、3名の方は、見守っていただけで行為に参加した訳ではありませんでした。中でもシルバー大公様はご気分を悪くなされた御様子でした。ただ、何方からの御命令を受けているのか、目を背けることを禁じられている御様子でした」
 これは王室のスキャンダルとでも言うべき衝撃的な出来事だ。しかし、あの無気力な現帝マントヴァ三世がそんな行為をするものなのか。いや、現帝の隠れた性癖なのか。そもそも現帝は参加しているのか。
「痴態を演じたのは、何方なのだ。顔は確認出来たのか」
「はい。初めて見る御顔でした」
 ビクトが顔を知らない人物は、王室や高貴な貴族の間には居ない。要人の顔は全て頭の中に入っている。
「どんな方だ」特徴を聞けば、もしかすれば心当たりがあるかも知れない。
「恐らくは男性です」
「恐らく?」「女性にも見えました。ただ、どちらにせよ、かなり美しい容姿でした」
「年齢は」「10代後半から20代前半に見えました。それと一度だけですが、目が合いました」
「気付かれたのか」
「恐らく。それでテプロ様に手が及ばぬよう、偽装工作に時間が掛かった次第です」
 ふむ、とテプロは少し思案した。ビクトの偽装工作は完璧だ。心配はしていない。だが、その人物の正体は一体、誰なのか。ビクトですら男なのか女なのか分からないという。
「それと、私の他にこの宴を探っている男がおりました。召使いを装っておりました」
「誰の手の者か分かるか」
「恐らく我が国の者ではありません。ローラル平原から差し向けられた者のようです。その男の仲間であるかのように偽装工作しましたので、テプロ様に手が及ぶことは万が一もございません」
 ピネリー王国か。エムバ族やエミリア族が諜報活動を行うとは思えない。
「私が直接、確認出来たのはここまででございます。ただ、もう一つ、手の者が確認したことがございます」「うむ」
「翌朝、エミール川湖畔に若い女が3人打ち上げられておりました」「?!」
 ビクトの報告によれば、3人共、心臓を刃で一突きされた痕跡があったということだった。エミール川に死体が打ち上げられるのは珍しいことではない。事故死、殺人と原因は色々あるが、年に数回は死体が上がり、野次馬達が集まる。
「死んでいるのに、まるで眠っているかの様な死体だったそうです」
「心臓を突かれたまま、暫く生かされていたのであろう。剣先で心臓の動きを自在に操る。恐ろしい剣の持ち主かも知れん」「そんな技があるのですか」
「いや、サンド流ではない。マスターが一度だけ話されたことがある。遠い昔、悪魔の剣と呼ばれた剣術がアロウ平野に存在したと。ローラル平原の民に滅ぼされ、今は存在しないと聞いた」
 テプロは暫し思案する。
「我らはとんでもないものを覗こうとしているのかも知れん。この件からは暫く距離を置いた方がいいだろう。ただし、網は張っておけ。必ず又、動き出すに違いない。それとこの件に関わるのは、お前の他、最小限の者にせよ」「ハッ。承知致しました」
 まだ知らぬ帝国の暗部の一端に触れたかも知れない。さすがのテプロも背筋が凍ったような感触を味わざるを得なかった。
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