第21話 エムバの王子(4)

文字数 3,569文字

 その夜、王の舘で歓迎の宴が催された。野外闘技場でのエリン・ドールとラリマーの立ち会いを見た人々が、彼女達に盛んに酒を酌み交わしに訪れてきた。
 エムバでは、武の強さが人間を評価する大きな要素である。あのラリマーを子供扱いした彼女を認めたのである。
 会場である迎賓の間の舞台では、音楽団がエムバの伝統的な民族音楽を奏でていた。ギター、管弦楽だけのシンプルな構成だが、深い味わいを感じさせる音色だ。
「うむ、見事な音色よ」
 レンドと酒を酌み交わしていたヨーヤムサンが感嘆する。
「我らエムバに取って音楽は日々の暮らしに根付いているもの。色々な歌、曲がある」
「うむ、ローラル平原の町々にも色々な楽曲があり、人々は日々歌い踊っている。楽団を抱えている王や商人もいるほどよ」
「そうか、それは一度聞いてみたいものだな」
「うむ、ローラル平原の曲ではないが、エリン・ドール達も中々の音を奏でるぞ」
「ほう、それは是非に聞いてみたい」
 エリン・ドールら5人の女が楽器を携えて舞台に立つ。皆若く個性的な容姿、格好をしている。
 中でもギターを携えた赤髪の女は目を引いた。左目に眼帯をした、その女はエムバ族の女達よりも背が高かった。
 エリン・ドールがウッドベースを奏でる。ほかにギター、打楽器、管楽器、アコーディオンで編成された音色は人々を魅了した。
「これは聞いたことがあるぞ。エミリアの戦士の歌であろう。亡きエミリアの姫を想い出す。懐かしい限りだ」レンドが聞き入っている。
 曲が2曲目に入ると、青い目をした人形のような女が歌いだした。どこまでも透き通るような美しい歌声に人々は感動のあまり言葉を失う。


戦士たちよ。休息の時がきた。
我が祖国は守られた。
ああ、エミリアの女神よ。
私を包んでおくれ。
我らに永遠の安らぎを与えておくれ。


 人々の目から涙が溢れる。演奏を終えた女山賊達に惜しみない拍手と歓声が送られる。エリン・ドール達はすっかりエムバの人々の心を掴んでいた。
 その日以来、アルジはエリン・ドールのことが頭から離れなかった。彼女のことを思い浮かべると、焼き焦がれるように胸が熱くなる。たまに見かけた時は、まともに顔を見ることすら出来ない。
 これは一体どういうことだ。もう少しでヨーヤンサンはエムバを離れるはずだ。そうすればエリン・ドールといつ会えるのかさえ分からない。そう思うと何故か切ない気持ちになる。
 つい、この間まで、エリナを失った喪失感に悩まされていたというのに、僕はこんなにも軽い人間なのか、と悩む。
 そんな日々を送っていたとき、父から突然、ヨーヤムサンの旅に同行するよう告げられた。外の世界を見て見聞を広めよ、というのだ。
「父上、私には出来ません」
 即座に断った。とんでもない話だ。いくら父王が懇意にしているとはいえ、山賊と一緒に旅をするなど考えられない。
 それにヨーヤムサンの武勇伝は聞いている。山賊でありながら軍隊を目の敵にして、アジェンスト帝国の守備軍を平気で襲うというではないか。これでは、いくら命があっても足りない。
「良いか、これは命令だ。お前のことは全てヨーヤムサンに任せている。あやつが良いと言うまで、エムバに帰ってくることは許さぬ。良いな」
 レンドは全く取り合わない。
「ち、父上」
 なおも食い下がろうとする息子を残し退室してしまった。
「母上、あんまりです」
 母にも訴える。
「アルジ、私はお前のことを少し甘やかしすぎました。お前は将来、このエムバの王となるべき男。しかし、今のままではとても叶いませぬ。ヨーヤムサン様と一緒に旅に出て修行して参りなさい」
「そんな。母上、ヨーヤムサンと一緒にいたら、生きて帰ってなどこられません」
「そうなったら、それはお前の定め。私の覚悟は出来ております」
「は、母上、そんな」
「アルジ、お前は人より背が低いことを言い訳に何事も諦めているのではないのですか。どうせ勝てないと。そんな人間に王が務まりますか」
「母上、私は王などにはならなくても」
「情けないことを言ってはなりません。お前は王となるべき宿命を背負った者。エムバの民を敵から守り抜かねばなりません」
「母上、そんな」
 母はそれ以上、取り合ってはくれなかった。
 そうこうしている間に、出発が2日後に迫り、憂鬱な日々を送るアルジは、エリン・ドールから声を掛けられた。
「あたし達と一緒に行くそうね。よろしくね」
 突然のことにドキマギが止まらない。
「あ、ああ、よろしく」
「どうしたの、元気がないのね」
 そう言われ、アルジは視線を落とす。
「それはそうさ。僕はエムバを離れたことがないんだ」
「ふーん」
 不思議そうに見つめるエリン・ドールの顔は、やはり造り物のように美しい。
「嫌なの」
「嫌さ。でも」
「嫌だったら断ればいいわ。行きたいのなら一緒に来ればいい。それだけよ」
 じゃあねと、エリン・ドールは去っていった。
 それが出来れば何の悩みも要らないと、アルジは押し黙る。でも確かにその通りだ。人に謂われて行動を起こすのではなく、あくまで自分の意思で決めなければならないのではないか。
 僕はヨーヤムサンと一緒に行きたいのか、行きたくないのか。悩むアルジに声をかける女がもう一人いた。
「おい、エムバ族の王子かどうかは知らんが、あたし達の仲間となる以上、お前は一番下っ端だ。覚悟しろよ」
 エリン・ドールの右腕でターナと呼ばれる女だった。エムバ族の男達にすら引けを取らぬほど背が高く肩幅が広い。胸の膨らみと腰のくびれで女だと分かるほどだ。
 歓迎の宴でギターを弾いていた女だ。歳は25歳と聞いている。なんと言っても人々がギョッとするのが、その容姿である。
 ショートカットの赤い髪、少し釣り上がった大きな瞳、高い鼻を持つ美女だが、左目にトレードマークの黒い眼帯を付けていた。
 そして睨み付けるような鋭い眼光は相手を怯ませるほどの迫力だ。左頬にはエリン・ドールと同じ蝶の刺青がある。
 首にはスカルを模した黒いチョーカーネックレスを巻いていた。
 隻眼のターナといえば誰しもが震え上がる女盗賊として名が知られている。
「あ、ああ、わかっているよ」
 何とか返事をすると、アルジはそそくさとその場を去る。
「アルジだっけ。あんなんで大丈夫なのかね。あたし達に付いてこれるのか。何でお頭はあんな奴を連れて行くのを引き受けたのかな」
 ターナが呆れたように言う。
「彼、自分の意思を言えるようになれば、いい男になると思うわ」
 いつの間にかエリン・ドールが横にきていた。そうかな、とターナは首を傾げる。

 久しぶりに石畳の階段を歩いてみた。夕暮れのエムバの街は夕焼けに照らされ美しかった。エリナと何度も一緒に見た光景だ。エリナは僕のことをずっと信じていてくれた。なのに僕は王になる道を自ら閉ざしていたんだ。小さかったのは、背ではなく、僕の心だったのかも知れない。
 このままエムバにいても、また他の少年達から苛められ、家臣からは陰口を叩かれる日々だ。それは望むことではない。
 ヨーヤムサンの旅に同行しても、どうなるかは分らない。だけど、エムバに居たままでは何も変わらないのは確かだ。
 よし、僕は決めた。夕暮れに染まるアデリーの峰々を眺めるアルジの表情に赤みが差していた。

「特別扱いは要らぬ。お主たちの掟に従い、手下として使ってくれ」
 出発の朝、見送りに現れたレンドはヨーヤムサンにそう言った。
「うむ」とヨーヤムサンが頷く。
 レンドはアルジの顔を見た。前とは違う。何か吹っ切れたような表情をしている。覚悟が出来たようだ、戦いに挑む戦士の表情をしていると、我が息子の成長に感心する。
「アルジ、世界を見てこい。そして必ずエムバに戻ってくるのだ。成長したお前に会うのを楽しみにしている」
「はい」アルジはしっかりと答えた。

「出発だ」
 ターナを先頭に、男2人、女5人の一行は歩き出した。ヨーヤムサンは列の真ん中を歩き、その後をアルジが続く。殿はエリン・ドールだ。
 残雪の残るエムバの地を一行は進んでいく。
「しばらく、エムバには戻れぬ。景色を良く目に焼き付けておくがいい」
 そう促すヨーヤムサンにアルジは首を振った。
「いいよ。僕は必ず帰ってくる。だから、それまではいいんだ。今は見なくてもいい」
「そうか、ならば何も言うまい」
 ヨーヤムサンの眼差しは優しく見えた。
 父母や故郷を思うと涙が出そうになる。くそ、僕は絶対に振り返らない。アルジは前を向いて歩く。
 僕はこのエムバの王とならなければならない。そのために色々な経験を積んでやる。自分の意思で旅に出るのだ。
 見ていろ、強くなって帰ってきた時、馬鹿にした奴らを見返してやる、少年はそう決心した。
 そして、エリン・ドールとしばらく一緒に居られると思うと少しワクワクするのだった。
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