第89話

文字数 851文字

 お市の身体が倒れ伏し、大量の血が流れ出す。それを一瞥し、今度は勝家が上半身の武装を解くと、静かに座した。

「これが鬼柴田の腹の割き方じゃ。後学にいたせ!」

 高らかに叫ぶと古式の作法に則り、十文字に腹を割いた。

 切腹とは本来、腹を十文字に斬り内蔵を掴み出すまで、介錯の太刀は振り下ろされない。勝家も高らかに、誇らしげに己の臓物を掲げる。ここまでやって、ようやく介錯人が太刀を振り下ろし、介錯が行われた。

「殿、お供つかまつりますぞ!」

 そう声高に叫び殉死する柴田勢、約八十名。同時に敵兵が、勝家の首級を取るために動き出す。心ある者たちは織田家随一の剛の者の、見事な最期に落涙しながら。

 介錯人が呼ばれた段階で、密かに命じられた小者たちが城の至る所に仕掛けられた火薬に火を付けた。旗本衆の幾人かが敵の目を掻い潜りながら、火薬に火を付けていく。その大きく燃え上がる炎は、押し寄せる敵と主君夫妻の亡骸諸共に焼き尽くしていく。

 火事に巻き込まれることを怖れた敵兵は、押し合いへし合い脱兎の如く逃げ出した。混乱に乗じてわずかに残った柴田勢は、北ノ庄城を敵に渡すまいと、あちこちで火薬を爆発させていく。

 こうして、北ノ庄城は焼け落ちた。

 羽柴軍に保護される道中の中、茶々たち三姉妹は、落城の悲劇を味わっている。

(母上さま)

  茶々は十一年前の、小谷城落城を脳裏に思い起こしていた。あの時も今も、自分はこうして生き恥をさらしている。もっとも、おなごであるがゆえに生かされ、浅井家の血を後世に残すこともできるのだが今は、口惜しさに無意識に拳を握りしめる。だが表情は、能面の如く変わらない。

(父上、母上。そして柴田殿。わたくしは、生きます。この先、如何なる試練がこの身に降りかかろうとも、浅井家の血を残すまでは決して死にませぬ)

「父上、母上……」

  お初も姉と同じく無表情だった。ただお江だけが泣きじゃくり、姉たちの後ろをついていく。

 降りしきる雨。

 涙雨とも言うべきその雨足よりも、北ノ庄城を焼き尽くす炎の勢いは強かった。
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