第3話

文字数 1,102文字

 清洲城は静まり返っている。至る所で篝火が焚かれているが、城内の空気は諦めに満ちている。番卒たちのやる気も失せているらしく、ただ立っているだけで隙だらけだ。二人は夜の闇を利用し、地面を蛇のように這い回る。やる気の失せた番卒など案山子も同然。月が雲に隠れた一瞬を狙い、見張り二人を打ち倒すと装束を剥ぎ取り、手早く着替える。気を失った番卒たちを縛り上げ、猿ぐつわを噛ませると茂みに隠した。

 篝火の爆ぜる音に混じり、この戦は負けだと嘆く声がかすかに聞こえてくる。足軽までこのように嘆くのだから、上はもっと悲嘆に暮れているだろうと、二人は小さく肩をすくめる。打ち倒した番卒のふりをして、持ち場に立った。

「ご苦労でござる。暑いのう」
「こうも暑いと、立っているのが嫌になるわい」

 何食わぬ顔で交代に来た別の番兵と挨拶を交わし、その場を立ち去った。織田の兵士の格好をしているので、堂々と歩ける。行き交う兵士たちと、先ほどと似たような何気ない会話を繰り返しつつ、奥へと進む。於小夜は男の声を出すことができないので、会話は小十郎が一手に引き受けている。

 これ以上は怪しまれる、という処まで難なく潜り込んだ二人は、暗闇の中で番卒の装束を脱ぎ捨て、元の忍び装束に戻り本丸の屋根に飛び移った。

 城内のあちこちでは自暴自棄になった諸将が酒を飲んだり、何とかこの危機を乗り越えられぬかと頭を抱えている。二人はそれらには目もくれず、信長の寝所を目指して天井裏を這い進んでいく。忍びの気配は不思議となかった。

 目的の部屋に辿り着くと於小夜は苦無(くない)を取りだし、少しずつ天井に穴を空け始めた。小十郎はこの間じっと耳をすまし、こちらの存在が気付かれていないか確認している。やがて天井板に丸い穴が空き、そこから大胆にも大の字で寝ている信長の、端正な寝顔を見下ろす。

(この清洲城の目前まで今川家の大軍が迫ってきているというのに、呑気に寝ているとは。やはり大うつけ者か)

 於小夜はこみ上げてくる笑いを堪え、小十郎の腕を突いた。これ以上、探っても意味がないとの意を込めて。小十郎も同じ思いらしく、二人が腰を上げかけた、そのとき。

(うっ!)

 ぎくりと身体が強張った。つい先程まで二人の周囲に広がっていた闇は、ただの闇だった。しかし、今は急激に重苦しい圧迫感に押し包まれている。

 いつの間にか何者かが、自分たちを見ている、そんな重さだ。そんな状況下でいち早く動いたのは小十郎だった。彼は手裏剣を闇に向かって打つと、於小夜を突き飛ばした。相手の気を逸らした隙に、逃げよという合図だ。

「ぐふっ」

 どうやら敵の何処かに手裏剣が食い込んだらしく、空気が揺れ動いた。
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