第49話

文字数 1,275文字

 元亀四年現在、柴田勝家は摂津国にて戦をしていた。足軽組頭として小十郎も参戦している。勝家の許で足軽として働き始めてからは、一度も甲府へ帰っていない。

 仲間から甲府の状況は聞けるが、こうも長く国元を離れていると次第に柴田勝家というひとかどの武将に魅せられていった。勝家は鬼柴田と渾名されるように、勇猛果敢で無骨な性格である。信玄は領民を愛し、攻める前に熟考する。異なる性格なのだが小十郎は勝家の中に、信玄と通ずる何かを見出していた。それは紛う事なき強さだ。

 勝家の強さは野獣のような、荒々しいもの。信玄の強さは風に揺れる柳のような、臨機応変に大局を見通し勝利を掴む強さ。どちらがこの戦乱の世に相応しいのか、小十郎ほどの手練れでも判りかねたが、勝家に惚れ込んでいった。

(このまま甲府から指令がなければ、一生この身を柴田の殿に預けても良い)

 姉川の合戦が終わってから、小十郎の胸にはそんな思いが去来していた。そのとき脳裏に浮かぶのは、浅井家にいる於小夜の顔。

 信長は朝倉と浅井を滅ぼす気でいる。お市は信長の妹なので命までは取られないだろうが、もし夫に殉じてしまったら於小夜はどうするのであろうか。混乱に乗じて甲府へ帰るのだろうか。そんな懊悩を抱えているときであった。佐助が蝋封を解かれた頭領の密書を携えて、彼の前に現れたのは。

「佐助、久しいな」
「小十郎どのも、ご健勝にてなによりと存じます」
「ふふ、よせ。そなたも世辞を使う歳になったか。して、如何した?」

 佐助は信玄が病死したこと、九郎を斬り捨てたことを淡々と告げた。信玄が病死と聞いて一瞬だけ青くなったが、九郎の件についてはひと言も発しなかった。

「頭領さまからの密書が、手違いで九郎に届いたゆえ奴は封を切りました。今後の事は、この密書の中に」

 小十郎は無言で密書を検めると、僅かに眉を上げて息を吐いた。武藤喜兵衛に従うことに否やはない。まだ前髪が残る小姓時代の喜兵衛しか知らないが、信玄の傍に仕え忍びの重要さを叩き込まれた数少ない人物だと記憶している。

 密書には、このまま勝家の足軽として潜入を続けろとある。於小夜についても同様であった。ここまで読み進めて、小十郎は一つの決意をした。そのためには一度甲府に帰り、頭領に会わねばならない。

「頭領に伝えてくれぬか。近々、小十郎がそちらに戻ると」

 忍びの足でも摂津国から甲府まで駆けに駆けても、ゆうに三日はかかる。一向宗と対峙している現在、往復で約六日もの間、足軽頭である小十郎が戦線を離脱しても大丈夫なのかと、佐助の目に疑問の色が浮かぶ。

「案ずるな。死なず且つ全力で走るに支障がない程度の傷を負って、離脱する」

 どうやら左半身側にわざと傷を負い、療養の目的で戦場を離脱し、その間に帰参する腹積もりらしい。

「頭領に、そう伝えます」

 言うなり佐助は、得意の猿飛び術で樹上へと身を隠してしまった。

(お屋形さまが御隠れになった以上、もはや武田家に義理立てすることはない。武藤どのの配下になろうとも、俺は)

 小十郎は手早く具足をつけると、再び戦乱に身を投じていった。
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