最終話

文字数 817文字

 四年の歳月が流れた。

 ここ越前の地を訪れる、旅装姿の父娘(おやこ)がいた。

 勝家を滅ぼした秀吉は、朝廷より関白の位を賜り姓も豊臣と改めている。関白・秀吉の治政下で、一応は世の中が平和になりつつあった。まだ九州、そして関東の北条は秀吉に屈していなかったが、それも時間の問題であった。

「父さま、ここが母さまが亡くなった城跡ですか」

 夏の暑い盛りだというのに、娘は汗ひとつ浮かべていない。菅笠の縁を押し上げ、顔を露わにした。もし、お市が生きていてその顔を見たら、自分に仕えてくれた侍女の名を呼んだであろう。だが素性を偽っていたが、最期まで付き従ってくれた侍女ではない。顔は似ているが、明らかに若かった。

「於奈津、お前の母は……そしてこの父の妻だったおなごは、忠義を尽くして死んでいった。忍びは本来、金で雇われる身だ。なれどお前の母は潜入先の主に義理立てし、それを貫き通した。この父は昔ながらの、忍びの生き方しかできぬ。父母どちらの生き方を選ぶかは、お前次第だ」

 旅装の父娘は、小十郎と於奈津である。十五歳となった於奈津も、つい先日独り立ちを認められた。太閤秀吉へ人質に差し出される真田家次男・信繁に仕える侍女として父と共に大坂城へ向かう途中で隊列を抜け出し、亡き於小夜が最期を選んだ場にやって来たのだ。

 於奈津には、はっきりと母の記憶はない。ただ修業時代に幾度か垣間見えた、小袖の裾や艶やかな黒髪の一部だけは鮮明に覚えている。師匠のおたよは、於奈津の意識が一瞬でもそちらへ向くと容赦なく手裏剣を飛ばし、集中させたものだ。それが、彼女にとっての母の記憶である。

「どちらの生き方にせよ、私は私の心の赴くままに。心のままに生きます、父さま」

 父娘はしばし黙祷を捧げた後、風のように走り真田信繁の隊列へ戻るべく立ち去った。

 後に残るは、風に揺れる夏草のみである。


        了
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