第52話

文字数 1,509文字

 浅井との同盟が破棄された原因は、何といっても朝倉の存在である。

(乱世の将としての器もないくせに、苔むした盟約に固執する頭の固い武将めが。越前の地で、公家文化を守り抜いていることだけを考えておれば良いものを)

 信長の目に怒りと憎悪の炎が揺らめく。撤退を始めた朝倉勢の追撃の先手を命ぜられた武将らは、怒りで勢いを増した信長に抜かれてしまう。必死に追うもさらに遅れてしまい、信長から容赦のない叱責を浴びている。

 佐久間信盛は涙ながらに
「しかしながら我らのような有力な重臣は、ほかには居らぬのではありますまいか」
 と反論し、信長の怒りにますます火を付けた。

 信長は己に楯突く者には、誰であろうと容赦はしない。信盛も織田信秀の代から織田家に仕えてきた。そんな彼ですら後年、高野山へ追放され更に熊野へと追いやられた。執念深い信長の性格が垣間見える。

 朝倉義景は本拠地である一乗谷城まで撤退するが、己に付き従う武将は近習を含め僅かに五百あまり。それでも大野の平泉寺にいる僧兵の手を借り、大野盆地の守りやすく攻めにくい地形を生かして戦おうと、大野まで落ち延びていく。

 一乗谷には、応仁の乱で戦火を逃れた僧侶や文化人が多く住み着いていた。一乗谷が戦火に巻き込まれることを恐れた彼らは、都の文化を庇護してくれる義景を頼り大野へと共に落ち延びていく。

 現代でも山奥の盆地である大野の地が小京都と呼ばれ、岐阜と隣接しているのに京訛りに近い言葉が残っている。また当時の文化や空気を僅かながらに残しているのは、この時に義景と共に逃げ延びた京の公家や文化人のお陰である。

「平泉寺じゃ、平泉寺の僧兵たちへ密書を送れ。我と共に信長を斃し、越前の地を守り抜こうぞ」

 義景の意を受けた忍びたちが平泉寺へと飛ぶが、色よい返事はなかった。これは義景が大野へ逃げると聞いた秀吉が先手を打ち、平泉寺の領土安寧を約束し織田に寝返らせることに成功していたからだ。

「平泉寺が、動かぬだと?」

 この報せを受けた義景は、目の前が真っ暗になるのを覚えた。兵は僅かに五百で士気も低い。加えて、頼みにしていた平泉寺の僧兵たちも織田側に寝返ったとあっては、大野の地も危うい。旧い盟約を守ってくれた浅井家を裏切り、越前に逃げ帰る形になった己の姿がひどく滑稽だった。

 今は亡き武田信玄が、再三にわたって出兵を促していたときに挙兵していれば、今頃岐阜城で追い詰められていたのは信長だった。

「儂は……己の保身にばかり目が眩んで、浅井どのを見殺しにしてしまった」

 後悔しても、もはや遅い。放棄された一乗谷は、柴田勝家らによって攻め入られ火の海と化していた。公家文化が花開き、遊興に耽るかつての姿は、どこにもない。

 従弟である朝倉景鏡(かげあきら)は、大野郡司であったために義景を大野に呼んだ張本人である。にもかかわらず密かに織田へ寝返り、二百の兵をもって義景の宿営である賢松寺を取り囲んだ。

 一乗谷に戻ってきた際に留守を任せていた重臣や各地を治めていた一族の者は、織田の怒りを恐れて、蜘蛛の子を散らすように逃げ果せていた。唯一手を差し伸べてくれた景鏡に裏切られ義景は決意を固める。

「もはや、これまでか。無念なり」

 義景は、自分に付き従ってきてくれた兵たちや近習が必死に時間稼ぎをする中、腹を召した。

 景鏡は主君の首級と、捕縛した義景の母親(高徳院)と、側妾及び子を信長に差し出したために降伏を許された。後に越前一向一揆鎮圧のために、織田軍の一員として出兵した景鏡は、かつて自分たち一族が治めていた越前の地で命を落とした。

 義景が無念の内に自刃したことで、十一代続いた越前国守護代の朝倉家は、ここに滅んだ。
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