第51話

文字数 1,260文字

 姉川の合戦から三年が経過した。

 反信長包囲網の総大将ともいえる武田信玄を喪い、旗頭であった足利幕府十五代将軍の義昭が京から追放された。浅井と朝倉の味方をしてくれる石山本願寺も、奮戦虚しく敗れ去った。

 鬼と化した信長を止められる者は、もはやいない。いるとすれば上杉や北条毛利なのだが、彼らは信長討伐に腰を上げはしなかった。生前の信玄がいくら要請しても出陣しなかった朝倉義景が、度重なる長政の要請にようやく応えて出陣をしたのは、天正元年(元亀四年)のこと。朝倉家家中からも、出陣には反対の声が多く挙がった。

 だが(ふる)き盟約を優先し義兄・信長との同盟を反古にした長政への義理立てを優先し、義景自らが軍を率いて北近江付近まで軍を進めた。この知らせを受けた長政は悦びはしたが、不満もあった。信玄が存命の内に挙兵して欲しかったのが、本音だ。

 ともあれ、孤立無援に近かった小谷城もこれで息を吹き返せる。そう長政が思ったのも束の間、勢いに乗る信長の軍勢は攻撃の手を弛めなかった。朝倉義景が余呉に本陣を置いた頃、浅井家中で裏切り行為が相次いだ。これは人たらしの天才とも謳われる木下秀吉が、密かに浅井家の重臣たちに密書を送り内応を促したためだった。

 秀吉は元来、流血による勝利を望まない性格である。できるだけ無血でというのが信条であるが、この乱世では血を一滴も流さないのは不可能。

 秀吉は若い頃に行商で全国を行脚し、一人でも多くの人間に買ってもらうためにどうすれば良いのか必死に智恵を絞った。長年培った駆け引きの術を駆使し、敵将の心を掌握していった。

 この頃の秀吉は信長から「猿め、猿めよ」と目をかけられており、姉川の合戦で落とした横山城の城代として浅井軍に睨みを利かせていた。

 天正元年、浅井家重臣で山本山城主である阿閉(あつじ)貞征(さだゆき)が織田方へ寝返ると、信長はこれを好機と捉えて三万の軍を率いて岐阜を出立する。

「朝倉が邪魔だな」

 信長は背後からひたひたと義景の影を感じていたので、無理に攻め入ることはしなかった。背後を疎かにすることは、不意を突かれて敗北することもある。

「朝倉を先に潰すぞ」

 小うるさい背後の蝿を叩き潰せ、と信長は配下の武将たちに命じると一気呵成に朝倉を攻め立てた。真柄をはじめとする勇猛な武将を(さき)の姉川で喪い、元々出陣に反対だった家臣たちも多いので全体的に士気は上がらず。戦上手ではない義景の采配も振るわず、前哨戦で完全敗北したことを受けて越前へ撤退を決めた。

「何のためにわざわざ北近江まで来たのだ。越前どのは、まことに不甲斐なき者よ」

 長政が怒りに震えるも、自分とて相次ぐ重臣の造反により戦力は低下。籠城戦に持ち込むしか手はない。

「殿」

 苛立つ夫を宥めようと声をかけるも、お市にはそれが徒労に終わることを承知している。完全に浅井家は負け戦の空気に包まれている。中には織田家から嫁いできたお市を、憎々しげに見つめる目まである。

「朝倉を滅ぼせ。一乗谷まで追い詰め、二度と儂に刃向かう気が起こらぬよう一族郎党、ことごとく討ち滅ぼせ!」
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