第47話

文字数 1,456文字

 三ツ者たちの中には、早くも次のお屋形となる勝頼に見切りをつけ、抜け忍になる者もいた。勝頼は信玄と違い、忍びを下卑た者と見ていた。

 情報を集めるだけの態の良い駒だと思っており、常々
「父上は何故、こ奴らを優遇するのか解せぬ」
 と公言していたためだ。

 庄助は信玄の傍近くに長く仕え、現在は三ツ者頭領の地位にある。部下たちが寝返ることを恐れ、容赦なく抜け忍になる者は斬り捨てた。

「庄助どの。もしよければ、三ツ者でそなたが信頼できる者を幾人か、拙者に預からせてはくれまいか」

 容赦なく仲間を斬り捨てる庄助を見るに見かねて、ある日、喜兵衛が申し出てきた。

「拙者は、今はただの足軽大将かもしれぬが、幼少の頃からお屋形さまのお傍で、忍びの重要性をつぶさに見てきた。このまま武田忍軍が滅んでいくのを見るのはつらい。どんな形であれ、お屋形さまが心血を注いで築き上げたこの三ツ者という組織を、存続させたいのじゃ。拙者はいずれ武藤の家を嗣ぐ。その時に、お屋形さまが築かれた諜報網を継承したい。のう、拙者が願いを、聞き届けてはくれないか」

 頭を下げかねない真摯な物の言い方に、庄助の心が僅かに動かされた。

(確かにこのままでは、諜報網が瓦解してしまう。武田軍の強さは兵馬の強さのみに非ず。我ら忍びたちの命を懸けた働きによる情報で、敵の動きを読み勝利に導いてきた。このまま若さまが武田家を嗣ぎ、忍びたちが蔑ろにされたら間違いなく、崩壊の一途を辿る。それならばいっそ、信頼の置ける漢に懸けてみるのも手か)

 庄助は、じっと喜兵衛の目を見つめてそれだけの事を考えると、三ツ者頭領として、決断を下した。

「承知した。全て喜兵衛どのにお任せするとしよう」
「おお、感謝するぞ庄助どの。して、浅井家に潜入している、そなたの姪御は如何するつもりじゃ?」
「ふむ……」

 問われ、改めて逡巡する。柴田家に潜り込んでいる小十郎の話では、信長は是が非でも朝倉と浅井を滅ぼすと息巻いているらしい。浅井長政の正室、お市の侍女として潜り込んでいる姪の於小夜は、どんな結末になろうとお市と共に織田家に行くことになるだろう。では小十郎は。庄助の目から見ても、小十郎ほどの手練れは、是が非でも喜兵衛のもとで働いてもらいたい。しかし朝倉家や浅井家を破った後の事を知るには、このまま置いておきたい。

「密書を於小夜と、柴田家に潜入している小十郎に送る。二人とも、そのままでと。いずれ折をみて、喜兵衛どのの傘下に加わってもらおう」

 言うなり庄助はその場で密書を認めた。伝書鳩の足にそれを括り付け、西へと飛ばす。

 どうか二人とも、無事で。庄助の願いを乗せた伝書鳩は、順調に飛んでいく。

 武田信玄の遺言は、次のようだった。

 一、死を三年の間は何としても秘匿すること。
 一、遺骸を諏訪湖に沈めること。
 一、孫の信勝(勝頼の子)が元服したら、家督を継がせること。勝頼はそれまでは後見として務め、今後は越後の上杉謙信を頼ること。

 自分が今死ねば、せっかく虫の息になっている織田と徳川が、息を吹き返すのは明らかだった。花押入りの紙を三百枚以上も病身を押して用意し、厳重に文箱に入れて保管しておいた。全ては孫、信勝の元服までこの武田家が存続することを願ってのこと。だがここまでしても、忍びの嗅覚を誤魔化すことは不可能だった。

 抜け忍となる者を斬り捨てても、網をかいくぐって脱出する者は少なからずいた。その者たちが上杉の軒猿や、織田や徳川が飼い慣らしている甲賀と伊賀の忍びたちに捕まり、情報を吐かされた。
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