第18話

文字数 1,132文字

 朝餉が終わった頃合いに信長がずかずかとお市の部屋へやって来て、侍女たちをじろりとひと睨みした。まさに蛇にひと睨みされた蛙の如く、侍女たちは指一本動かすことが出来なかった。

「お前たちの中に、曲者と通じている者がいるな」

 凄まじい大音声に侍女たちは身をすくめ、ただひたすらに平伏するばかりである。於小夜もひれ伏しながらも、目の端でしっかりと、信長が抱えているそれを捉えていた。
(昨夜の忍び?)

 頭巾を被ったままの男が、どさりと音を立てて畳に転がされた。その血塗れの姿に、侍女たちの悲鳴が更に大きく上がる。

「狼狽えるでない」

 その声に静けさが戻る。物言わぬ肉塊と化したそれを足で転がした信長は、侍女たちを守るように立ち塞がったお市を押し退け、ぐるりと見渡す。

「この正体不明の忍びと通じていたのは、誰だ?」

 沈黙が場を支配し、当然だが誰も名乗りを上げない。何処の大名が放ったか判らぬ忍びと通じている――即ち、内通者と断言される。於小夜は己の正体が露見したわけでない事に安堵し、ひれ伏しながらも、さり気なく遺体の顔を盗み見た。記憶にない顔の為、於小夜は平常心を保ったまま、今度は侍女たちを横目で伺う。

「兄上さま、この者は一体?」
「我が手の者が、井戸の傍に打ち捨ててあったと言うてきてな」

 やはり、織田家も密かに忍びを飼っているのだ。だが、遺体は織田家の忍びではなさそうだ。ましてや武田の三ツ者でもない。では眼前に転がるこの忍びは、何処の手の者であろうか。

「そなた、面を上げよ。名は何と申す」

 突如、信長の厳しい声が飛んだ。於小夜の隣にいた侍女、お《》《ちか》の身体は小刻みに震えている。そんなに判りやすく震えていたら、自白しているも同然だろう。ずかずかと信長は、お千賀の前に立つと、艶やかな黒髪をいきなり掴み、顔を上げさせた。あまりの痛みに思わず声をあげるお千賀など気にも留めず、もっとよく見ろと言わんばかりに、彼女の頭を遺体の方に突き出す。ひと言も発さないお千賀は、やがて痺れをきらせた信長によって、遺体の傍に放り出された。

「そなた、何を知っておる? 隠し立てすると容赦せぬぞ」

 すぐ傍で大音声が響くものだから、他の侍女たちもすっかり怯えてしまった。お千賀は忌々しげに信長をひと睨みすると、口の端からひと筋の血を垂らす。

「うぬ? 舌を噛み切りおったか」
 忌々しげに信長は叫んだが、於小夜は見ていた。信長が彼女を投げ捨てたと同時に、口に何か含んだのを。おそらくトリカブトの根を丸薬にしたものだろう。トリカブトの根には猛毒が含まれている。その他にも何か毒物を混ぜ込み、自害用の毒物を携帯していたと思われた。

 毒を飲んだお千賀は目を見開き、憎悪に満ちた眼差しのまま、息絶えた。
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