第4話

文字数 1,031文字

 信玄の命令は信長を探ることで、探り取ったことを報告せねばならない。女忍びである於小夜では、体力的にも膂力の問題からも、長時間の武器を取っての戦闘は難しい。だから男忍びである小十郎が動いた。

 殺気を孕んだ闇が迫ってきたが、忍びとしては動きが鈍い。どうやら手裏剣は敵の太腿に食い込み、機動力を削いだようだ。

 二、三回ほど敵の刃が虚しく空を切り、小十郎は手裏剣を牽制で投げつつ、隙を見て相手の背後に回り込む。狭い天井裏でも焦ることなく相手の口を片手で塞ぐと、心臓に苦無を突き立てる。

 忍び同士の戦闘ゆえ、音は殆どたっていない。血の臭いで信長に気付かれぬよう突き立てた苦無をそのままに、念のために相手の忍び刀と鞘を奪った。さらしで遺体をきつく縛り、血の流れを少しでも止める。耳をすまし下の様子を探るが、どうやら信長には気付かれなかったようだ。

 そっと二人は天井裏を抜けだし、甲斐国へ帰ろうと庭へ出たその時。またもや闇の中に気配を感じた。咄嗟に木陰に身を潜め、息を殺して己の気配を消す二人の傍を、全身血まみれとなった忍び装束の男が、足を引きずりながら通り過ぎていく。ただならぬ気配を察した二人は、風下に身を置きつつ、再び信長の寝所まで戻った。

「もし、もし上さま」

 男から流れ出る血は夥しく、その臭いは廊下と障子を隔てている信長の目を覚まさせるには、充分だった。

 がばりと跳ね起きた信長は
「如何した」
 と鋭く聞き返す。

「はっ。今川本陣は現在、桶狭間にて酒宴を開いております。本陣の数は、おおよそ五千から六千かと」
「よし、でかした」

 信長に報告を終えたその忍びは、そこまでが限界だったのだろう。失血のために意識を失い、倒れ込んだ。

「誰かある、鼓を持て」

 隣の部屋に控えていた侍女が、慌てて鼓を持ってきた。信長の大音声に気付いた彼の正室である帰蝶(お濃の方)がやって来て、侍女たちに具足櫃や膳の用意を命じる。妻の手際に満足そうに頷いた信長は、
「帰蝶、鼓を打て」
 と鋭く命じた。

「心得ております」

 信長は、こよなく愛する幸若舞の敦盛を舞い始める。

「人間五十年……下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者の、あるべきか」
 と、ここまで舞った後に
「螺を吹け、具足を寄越せ」
 矢継ぎ早に命じ、小姓たちの手を借りて戦支度を整えていく。

 そして勝ち栗や昆布を乗せた膳を前にし、立ったまま湯漬けを食べ終えると
「熱田の大宮(神宮)にて待つ」
 と言い残し出て行ってしまった。
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